走り抜ける君へ 2 体育館に並ぶ、人、人、人。予行演習なら卒業生だけでいいじゃないか、そんな文句と共に欠伸をかみ殺す。すでに何度かかみ殺せずにいるのだが、先生の視線がそろそろ痛いので努力をしてみる。おぼろげな意識のまま教室に戻ると、堀尾が煩く注意をしてきた。 「お前、本番寝るなよな!」 「さあ」 「手塚先輩の答辞だぞ!」 「…そうなんだ」 聞き流していた中に名前を聞き取り、視線だけ相手の方を向く。あーのなー、と大袈裟なジェスチャーで自慢げに堀尾が声を張り上げた。 「生徒会長なんだから当たり前だろ」 言われて思い出す。ああ、そういえば学校行事で妙に忙しそうだったし挨拶もしていたな、と。 ゴミ捨てのために焼却場に向かう途中、同じくゴミ袋を持った手塚に遭遇。道すがら、答辞について触れてみると、ちらりと視線を寄越して口を開いた。 「お前、随分と眠そうだったな」 「……見てたの?」 「冗談だ」 このやろう。 ひっかけに遠回しに文句を言ったら、大方そんなことだろうと思っただけだと返される。 それをひっかけというのだ。この天然め、とじっとりした視線を送る。 「本番は寝るなよ」 「それ二回目」 軽く続いた言葉も、うんざりさせるのに十分なもの。 そっけなく返せば、神妙な台詞を頂戴した。 「忠告は大事にしておけ、重ねて受けたのなら尚更な」 要するに寝るなって言いたいんだろ。 ハイハイわかりました、手をひらりと振って会話を打ち切った。溜息が聞こえたのは気のせいだと思っておく。 ―――卒業したらドイツに行く。 親しくなった当初にいきなり言われたのがこれだった。決勝前には決めていた、と確定事項を聞かされるのだから、ふーん、と頷く以外特にない。 ただ、納得いかないのは一点のみ。 「勝ち逃げ?」 ものすごく微妙な顔をされた。 自分が負けず嫌いなら向こうも相当な負けず嫌いだ。 試合をなんどか迫ってみたもののすげなく却下され、打ち合いくらいなら、と付き合っておきながら終わる頃には本気で打ち込んできたりする。そうなってもらう方が楽しいのは確かだが、ちょっと得意げにした途端、対応が変わるのはどうなのか。はっきり言って大人気ない。 落ち着いて見える相手が、案外子供だと気付いたのもこうやって関わるようになってからの話である。部活の先輩後輩だけの関係ならば、正直細かいことは気にもしなかった。倒したい、次は勝つ、目標であり通過点である存在がいつの間にやら近くにいる。 人生、何が起こるかわからない、なんてこの年で考えている自分に少し呆れた。取り留めのない思考が妙な方向に進んだものだ。 横目で見上げた手塚は変化のない涼しい顔でまっすぐ前を向いている。無表情なのは怒っているのではなく、特に何も考えてないことが多い、気がしないでもない。 視線を戻しかけたところで目がかち合う。私服で見ると一段と年齢の上がる相手が時計を確認し、おもむろに尋ねてきた。 「この後、時間はあるか?」 何を?どこに?質問はみんな、行けば分かるで一蹴された。不服ながらも早足の手塚に置いて行かれまいと歩調を速める。 足のコンパスの差を理解して欲しい、というかこの差がなんだかむかつく。2年立てば自分もこのくらい背が伸びるだろうか、見上げる距離が縮まるだろうか。 「ついたぞ」 到着したのは小高い丘の上。テニスコートからそんなに距離のないそこは、付近を一望できる場所だった。 リョーマが追いつくのを待って、手塚が景色へ視線を向ける。 「そろそろだ」 目に入ったのはちょうど夕日が沈む刻。 茜色が街を徐々に覆い、温かい輝きを放つ。強いのに眩しさを感じないその光はやわらかく包み込むように広がっていく。 やがて視界一面が夕日に染まった。 「っ………」 声も出なかった。 頭上も足元も光り輝き、自分自身が光っているかのような錯覚。一秒たりとも止まることなく移り変わる光の景色。きらきらと反射する光がまた光を呼び、幾重にも重なってまるでひとつの作品のようだ。 少しでも見逃してしまうのが惜しくて、瞬きもせずに見つめ続ける。やがて、ゆるゆると沈んでゆく夕日と共に、静かに光は収縮し、消えていった。 「この時期が一番、条件がいい」 光が終わるタイミングで声が響く。満足そうに呟く表情は、心なしかやわらかい。 相変わらず言葉が足りないが、要するにあの景色を見るのに適した季節が今、と言いたいのだろう。 つまりはそれを見せるためにつれて来られた訳で。 と、いうことは、なんだろう。 「山に登ると、こういうの見れる?」 「そうだな」 「ふーん」 日が落ち、薄暗くなり始めた風景に目をやった。 さっきと同じ場所だとは、到底思えない。 「一回くらいなら、行ってみたいかも」 ぽつり、言って手塚を見る。 僅かの間。 意味を汲み取ったのか、軽く頷いた。 「考えておこう」 ――通じるんだ、今ので。 |