Ping×Pong×Dash! 4


普段は面倒な放課後の担当も、この日ばかりは嬉しい。
根本的な解決になっていないのは分かっていても、どうもこの流れで手塚を顔を合わすのは癪だ。 だったら今日くらい真面目に図書委員をやってみようかと、いつもは適当な書架整理を自分でも驚くくらい丁寧に進めた。 まあ当社比であるから、多少の誤差はご愛嬌である。
今日はいつにも増して放課後利用者が少なく、司書も所要で席を外していた。よってほぼ自分一人という空間に開放感は大きい。 脚立を持ってぐるぐると回り、奥の棚まで辿りつく。手持ちの本はどうやらここが収納場所だ。ひょいと覗きこんで、息を呑む。
腕から脚立が滑り落ち、派手な音を立てた。
 
「何をしてるんだ、お前は」
 
眼鏡の奥、鋭い光が自分を捉える。精一杯の逃亡も数時間で終了した。
音に振り返り、状況を見て眉をひそめたのは、ありがたくないことに手塚国光以外の何者でもなかった。
 
「なんでいんの」
「生徒会資料だ。昼にも来たんだがあまり時間が取れなくてな」

混乱してつい投げつけた言葉も、違う解釈をされたのか普通の会話が成り立った。
安堵と舌打ちしたい気分が同時にこみ上げる。 
あの翌日、どんな顔して会えばいいのかとさんざん悩んで迎えた部活でこの男は何も変わらなかった。
登下校でも、廊下でも、すれ違う時、挨拶する時、何一つ変わりはしなかったのだ。
そうなんだ、と流すには無理な内容だった。さらりとかわされたからこそ余計にどうしていいか分からなかった。 自分だけが気にしているのだと思うと更にどうしようもなくなった。なのになんだ、この男はなんなんだ。
自分をこんなに苦しめる権利があるっていうのか。ふざけんな。

「なんかすごいむかつくんだけど」

本を物色していた動きが止まる、ゆっくりとリョーマを向いて、口を開く。

「それは悪かったな」

ふざけんな。

「わかってないくせにあやまんな」

いきなり年下に罵倒されて何をすましているのかこの男は。そこで謝罪の言葉が出てくるという態度にリョーマの不快感は更に高まる。睨み据える気迫に手塚は数度瞬き、きちんと向き直り聞く姿勢をとる。あくまで淡々と。

「では何があった」
「ふざけんな!」

手塚の態度に何かが切れた。

「あった?アンタのせいでしょ、アンタがやったんでしょ」

視線に耐えかねて、問いただして、返ってきたものが曖昧な返答。聞き返すこともできず、忘れることもできず、回る疑問と切り捨ててしまえない自分への苛立ち。

「なんで俺ばっかりか考えて悩まなきゃなんないわけ?不公平だ」

全部全部、そう全ては目の前にいる存在のせいで。

「アンタが、アンタが俺を見たりなんかしなかったら!」

考えることもなかった、何もなかった。

「俺はっ…」
「要するに、お前は俺を好きなんだな」

瞬間、衝撃が手塚を襲った。咄嗟に顔を腕で庇い、抱えた本が床へと散らばる。
本を投げつけたのだと理解したのは、腕の痛みと惨状。
そして歪んだ笑顔で立つ後輩の姿だった。

「悪かったね」

手塚が我に返るより早く、リョーマはその場を駆け出した。数瞬遅れて手塚も本を蹴飛ばし床を蹴る。

「待て、越前待て」

無人の図書室、駆け抜ける足音がやけに響く。棚に阻まれ、長身の手塚は思うように走れない。
出入り口への通路を阻むと、リョーマが反対方向へ踵を返す。その手に持っているのは、書庫の鍵。図書委員または生徒会役員にしか使えないその鍵は、この状況を膠着させる代物である。中に篭らせる訳にはいかない、扉を開き相手が室内へ身を滑らせた直後、手塚は足で割り込んだ。
蹴り止めたと言っても過言ではない衝撃に扉が震え、次いで隙間に手をかけ、強引に扉を押し開く。

「人の話を聞かないか」

息を切らし、射殺さんばかりの視線。そのくせ声だけは明瞭に威圧感を伴って届いてくる。リョーマは一瞬怯み、それでも吐き捨てるように零す。

「散々話さなかったのはどこの人」

押し開けられた扉を力の限り閉めようと足を蹴る。何度蹴ってもびくともしない、視線も少しも逸らさない。

――だから見るな、もう見るな!

「くるなくるな!アンタはいらない!」
「自棄になるな」
「だからっ――…!」

扉を抑えた手を離す、完全に開け放たれたその時を狙い、殴り飛ばそうと振りかぶった。だがそれより早く、伸ばされた腕がリョーマを捕らえる。抵抗する間もなく、ふわと優しく抱きとめられる。
風が吹き抜けた。
胸のうちにあった何もかもが、風にさらわれて溶け消える。残るのはやりきれなさ、情けなさ、それと。

「…さいあく」

果てしない敗北感だった。

「そう言うな、勝手がわからない」

腕の中で大人しくなってしまったリョーマを相手に、手塚は大きく息を吐き、些か困った様子で語りかける。
お互いの静かな息遣いだけがしばらく聞こえ、やがていくらか逡巡したのち、肩口で搾り出すような言葉。

「俺が好きだとして、お前もそうだとは限らない。分かった所で確認することでもないと思ったんだ」

抑揚はあまりない。だが、隠し切れない感情が滲む。

「思ったんだが…」

再びの沈黙。一度強く抱きしめられ、肩に額の当たる感触のあと、そろりと腕の力が緩まり、顔を覗きこんできた。

「どうやら欲が出たらしい」
  
真剣に困った顔、そうとしか言えない顔だった。 

「終わり?」
 
沈黙を守り、言葉を聞いていたリョーマが見つめる。 手塚が疑問符を浮かべ、それを見る瞳が剣呑なものに。

「言うこと終わりなワケ?」
 
幾分低いトーンで発せられた声に、最終通告を感じ取り、真顔のまま数秒考える。 

「そうだな、とりあえず……」

導き出された答えは、

「一緒に帰るか」

脱力させるのに十分なものだった。

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