Q.E.D.を綴る指  2


繰り返すが花京院の両親は資産家だ。
よって、海外で離れて暮らす息子へのラブコールは国際電話。まだまだ普及していない携帯電話は専ら両親専用の端末だった。メールで電話する時間を決めて、短くて三十分から長くて二時間。父より母の頻度が多いのはやはり男女の違いなのだろうか。父も口下手という訳ではないのだけれど。
学習所での日常は写真に収められ、両親へ送られている。息子の楽しそうな様子を知るたび電話口の声がはしゃぐ。
それでね、と相槌を打つ花京院の耳へ切り込んできたのは鋭い質問。

「ところで『博士』って呼びなれないみたいね。いつもなんて呼んでるのかしら?」

刹那、息が止まった。どう誤魔化すべきか考えて無駄だと早々に悟ったので正直に答える。

「……承太郎」
「まあ」

口をOの字に開いた母親の顔が浮かぶ。背中に嫌な汗を掻きそうになっていると、朗らかな笑い声。

「随分と仲良くなったのね」

典明が甘えられる人がいて安心よ、だとか嬉しそうな海外の相手に居た堪れない気持ちで一杯だ。
その後、承太郎宛に感謝の一報が入ったと聞いて崩れ落ちたのも致し方なかろう。

「理解があって結構じゃねーか」
「ちがう、絶対に違うからな」

頭を抱える花京院に涼しい顔で嘯く承太郎は、機を逃さず杜王町への旅行許可を得た。
それが外見年齢八歳の話である。


***


一人で刃物と火の元を扱う許可が出て数年、学校へ通っていれば中学生になる年齢となった。
承太郎の腰にも届かなかった背は、クローゼットへついた鏡で身支度出来るほどに。

「だいぶ伸びたな」
「まだまだだよ」

見上げる相手は背伸びしても届くまい。首が痛くなるから顔を見るのも大変だ。
昔から比べれば、確かに十分な成長かもしれないが。

「あ、もしかして抱えるの大変になった?」
「てめえ」

いつかの嫉妬を持ち出して笑う花京院に承太郎の手が伸びる。くすくすじゃれ合ううち、コートを引っ張って顔を寄せた。吸い付く唇は長く、深く。作った隙間から舌が入り込めば当然のように絡んで擦れる。ざらついた面が上顎を舐めて、振るえる肩と共に離れていく感覚。引いた糸を惜しむみたいに舌先で辿る。

「承太郎……」

潤んだ視線で呼ぶと顔が逸らされた。
屈む相手の胸元へ頭を擦り付ける。

「花京院」

嗜める響きに顔をずらし、首元に息を吹きかけた。分かりやすく反応するのに溜飲を下げる。

「君が甘えてくれないから」

最近、子どもにするようなキスさえしなくなった理由は自制の強化。
なんだかんだ、幼ければそれ以上にはならないと高を括る承太郎は何度かやらかしてきた訳だが、外見が成長するにつれていよいよ建前も危険だと感じたのだろう。抱き締めかけた腕が止まるのを、許さず掴んできたのは花京院だ。

「いつまで我慢するつもりなんだ?」

揶揄めいて笑えば、忌々しげな舌打ちが届く。


***


「いざ、通いなおすとなると緊張するものだな」

ブランクざっと八年間、ここ数年は受験の為に真面目に勉強してきた花京院は正攻法で試験を突破した。
めでたく四月から高校生となる息子の入学式は両親が仕事の合間を縫って駆けつけてくれる。
少し浮かれて制服やら鞄を確かめる仕草へ空気を読まず、先程からずっと刺さってくるものがあった。

「なんだその、おれとの時間はどうする的な視線は……君だって仕事があるだろう」

ソファで読みもしない専門書片手にジトリと見つめてくる相手に溜息を吐く。
この八年間、数ヶ月ごとに実家とマンションを行き来する生活は一種完成されてもいた。
刃物の扱いが解禁されてから料理はほぼ花京院が引き受けていたし、弁当を作ることもあった。
花京院への食生活は煩いくせに、一人になると適当に済ませるのを放っておけず両親の帰国期間でも世話を焼く。
承太郎が心配だから、と口にした息子への母親の返答は暢気なものだ。

――どっちが保護者か分からないわね。

そんな愛しき後見人様は、もはや書籍を放り投げて沈黙する。ついつい大きく溜息を吐いた。

「フィールドワークにまでぼくを連れまわすつもりか?」
「その発想はなかったぜ」
「いやいやいやいや、これ以上世間から隔離されても困るんだが」

我が意を得たり、の表情になりかけた相手を即答で刺す。
途端聞こえたのはやっぱり舌打ちで、この男は成長しなさすぎじゃないかと頭痛を覚える。

「このままの流れだと君が三者面談まで同伴しそうだな……」

花京院の予想はそのまま現実となった。





季節の進んだ、ある嵐の日。
傘は持っていたもののびしゃびしゃに濡れてしまった花京院は玄関で靴を脱いでどうしたものかと思案する。
タイミングよく廊下へ現れた承太郎にタオルを、と言う前に抱きすくめられた。

――また今回も時を止めたか。

いったいどうしたんだ、承太郎。そう呼びかける口は塞がれる。
性急なキスはどこか必死で、服に水が染み込むのも構わず抱き締める力は強い。
彼は震えていた。

「ああ。そうか、そうだったね」

追いついたのだ、やっと。彼が見ていた花京院典明に。
雫の滴る己の姿で、思い出すのが何か問うまい。

「大丈夫、大丈夫だよ」

囁く声が睦言となって、体温を分け合うのも必然だった。

その日の承太郎はなんというか、いわば初めてのようにおそるおそるで、花京院は堪えきれず何度も笑ってしまう。
確かめる指が身体中を辿るのを好きにさせ、意地悪く目を細める。

「もう手は出してるくせに」
「てめーが煽ったんだろ」

幾らかの無理は相応の対価も払ったけれど、後悔などはしていない。

「だって君が欲しかった」

両腕を伸ばして顔を引き寄せる。彫りの深い美術品のような造形は年齢を重ねて更に魅力を増していく。

「承太郎はずっと素敵だ」

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