陽射しのいい部屋 5


その日から倉間は来なくなった。当然だ。激昂した顔なんて考えたら見たことがない。感情をぶつけられ、不快さよりも痛ましさの方が勝った。非常に情けない話だが、自分が思うより随分と大切に思っていたらしい。これは、同情心とは違う。違うからこそ、笑えない。抱き締めたいと、思ったなんて。

偏頭痛が酷くて早上がりをした夕方。家に帰って電気をつける。最近、部屋が広く感じるのは――確かめるまでもなく。 居心地の良さを認めていたのは自分もだったのだ。歳の差を考えて頭を抱える。

「マジでアウトじゃねえ…?」

襲う痛みに薬を飲んで横になる、訪れる睡魔に身を任せ目を閉じた。

見覚えのある屋上、フェンスに凭れて見る空は青い。扉が開く音がした。視線を向けると現れたのは小柄な姿。

「俺、アンタのサッカー好きなんです!」

眩しい笑顔に手を伸ばした。
声が響く。

――そん時なら付き合いました?

目が、覚める。差し込む光、鳥の鳴き声。朝だと告げる要素に思わず跳ね起きる。日付を確認した、携帯のスケジュールに短い書き込み。今日は、倉間の引退試合だ。とっくに三年生は部活を退いてはいるが、そこは雷門。最後の最後、受験に差し掛かる前に引退試合をする粋な計らいがあった。まさか今も続いているとは思わなかったが。練習試合によく使うグラウンド、母校からほど近いそこは観客で賑わっていた。キックオフのホイッスル、どうやらタイミングが良かったらしい。駆け出す倉間を離れた場所から見守った。

試合は3−2で雷門の勝利。称え合う歓声と笑顔、最後のシュートを決めた倉間はもみくちゃにされていた。思わず笑う。グラウンドから出て行く間際、なんの奇跡か野生の勘か、相手の視線がこちらを捉える。驚きに見開いた倉間がチームメイトに声を掛け、一目散に走ってきた。

「試合の後に元気だな」
「み、なみさわさん、なんで、」
「最後、なんだろ。見てた」

ぜーはー荒い息でまともな言葉も紡げない。どんだけ全力疾走してきたんだこいつは。なんとか呼吸を整え、顔を上げると今度は深々と頭を下げた。

「ありがとうございました!!」
「え」

ぽかんとする。

「俺、ほんとすげー世話になって、なのにちゃんと礼とか、言ってないと、思って」
「いや、俺は」
「南沢さんマジ頼りになるし、やっぱ自慢の先輩です」

晴れやかな笑顔に何も言えない。倉間はもう一度頭を下げ、チームメイトの輪に戻っていった。観客もほとんどが帰路についている。静かになり始めたグラウンドに背を向けて、歩き出した。釈然としないのは自分だけ、すっきりとした倉間の表情。導き出される答えは簡単。

「ふられた、のか」

思ったよりショックだったことが衝撃だった。


うららかな春の陽射し。道に咲く花も季節に合わせて随分変わった。秋を思い出してしんみりするほど殊勝でもないのが自分の取り得で何よりだ。それこそ気の迷いだ熱病だ、数ヶ月もすれば綺麗に忘れて――

「みーなみさーわ、さん」

忘れる前に、幻覚を見た。

「高校合格!しました!」

誇らしげに合格通知を掲げてみせる倉間が幻じゃなかったら何なのかと問いたい。

「諦めてなかったのか」
「まさか」

呆然と呟く俺を鼻で笑う。仮にも惚れてる相手にそれはどうなんだ。通知を丁寧に畳んでしまい込み、選手宣誓のように片手を上げる。

「まー、とりあえず長期戦ってことで。子供扱いは妥協します」

悪戯っぽい笑みが可愛いとは思う。が、しかし。

「俺はまた頭痛に悩まされるのか…」
「あ、それは大丈夫です」

大人気ない本音をこぼすも、妙に軽い調子で言い切られた。

「根拠は」
「ストレスにならなきゃ俺の勝ち」
「は」

逆転の発想、とばかりに倉間が指を鳴らす。

「アンタの人生、俺が面白くすりゃいいんでしょ?」

事も無げに言い放つ少年は、どこまでも男らしかった。
4へ   6へ

戻る