陽射しのいい部屋 2


それはほんの気まぐれ。いつもつるむ友人が重ねて用事が出来て、久しぶりの一人下校。通ったことのない道は冒険心をくすぐるには十分で、方向が分かっていれば迷いもしないだろうと入り込んだ。いつもは見ない風景の新鮮さにうきうきと見渡し、レンガ造りの塀やイングリッシュガーデンを眺めて歩く。そういえばこのあたりは洒落た住宅地ってやつだったと納得し、抜けた先のマンションが視界に飛び込む。新築だろうか、ぴかぴかのエントランスを思わずまじまじと見つめた。ふと、入口から人影。何故か気まずい感じになって数歩移動する。横切る相手をつい確かめて、驚いた。若い、そしてクラスの女子が見たら黄色い声を上げそうな外見。つまりはイケメンという分類。ちらっと見ただけで男の自分がそう思ったから余程かもしれない。昼と夕方の境目、中途半端な時間帯に出歩くといえば、なんだろうか。背を見送って思わず呟いた。

「………ホスト?」

その日の冒険は妙な印象でもって終了した。ともあれ、道自体は気に入ったのでちょくちょく一人で通るようになる。
習慣化し始めてしばらく、商店街の駐車場の端っこに何かがちょこんと落ちているのを見つけた。鳥の巣だった。

「よく無事だったな…」

見れば小さな雛が一羽、近くの木を見上げると巣の片割れというかそこに作られたのだろう跡が見受けられた。高さと巣を見比べる。悩む時間は短かった。木登り程度ならなんとかなる、ただ巣を抱えてはなかなか難易度が高い。部活後ならジャージでもう少しマシだったかもしれないが今更の話だ。なんとか枝に乗せ、意外と安定している土台の組み方に感心しながら油断せずに木を下りた。程なくして飛んでくる親鳥、自然と笑みが浮かぶ。待ってたようにぱちぱちと響く、軽い拍手。振り向くと、窓から乗り出して自分を見る男が一人。

「なかなかの身のこなし」

褒められた。どうしていいか分からないので会釈する。ちょいちょい、手招きされて首を傾げた。男はまず俺を指し、それから自分の手の甲を指で示す。視線を落とした、いま気付いたが擦りむいて血が出ている。認識するとじわじわ痛くなってきた。

「表から回って来い」
「へ?」
「手当て、するから」

声に顔を上げると方向を示すジェスチャー、視線を移すと出入り口。看板を見て思い出す、ここは歯医者の駐車場だったことを。


「歯医者にしてもらうって違和感…」
「おいおい医者舐めんな」

手早く消毒され、ガーゼとテープで患部の保護。あっさり終わった処置に礼を言って立ち上がり――ばっちり目が合った。しばらく記憶の隅にあるようで、忘れかけていた印象を探り当てる。

「ホストの人だ」
「な、」

固まる表情、同時に医院中に響き渡るいくつもの笑い声。自分でもなければ相手でもない。今の発言を拾ってくれた他の歯医者さん及び患者さんたちだった。

「ちょ、みんなして笑いますか。つかお前も謝れ」
「あ、え、すいません…」

周囲に動揺を隠せない様子でツッコミを入れ、そのままの勢いで文句が飛ぶ。反射で謝ったところ、ますます笑いが広がって、男は肩を竦めた。


家に帰って事情を話すと、次の日に菓子折りを持たされた。帰宅後すぐに放り出され医院へ向かうとまさかの午後は休診日。確かめてこなかったのも悪いが、とんだ無駄足。仕方なく来た道を戻る途中、レンガの塀付近で声が掛かった。

「どーも、ホストです」
「悪かったですって」

片手を上げるポーズがいまの台詞を際立たせていることはさすがに言わないでおく。運ぶだけの荷物にならずに済んだ菓子折りを渡して再度のお礼。受け取った相手は何やらまじまじと見つめてくる。

「なん、ですか」
「お前、運動部?」

いきなりの問いにクエスチョンマーク。はた、と自分の服装を見た。着替えもせずそのまま来たおかげでジャージなのだ。おもむろに歯医者が口を開く。

「サッカー部?」
「何でわかるんすか!」
「マジで」

驚きに驚きが返る。どうやら言ってみただけらしい。

「雷門だから、当たったら嬉しいなー程度の」
「はあ」
「母校だし」
「マジで?!」

まさかの先輩だった。ということは、さっきの流れからして明白だ。

「サッカー部、OB?」
「いかにも」

思いがけない共通点で親近感がわいた。それからというもの、道で行き会えば話したりする仲になった。サッカーしようぜ、となるのも自然な流れで、南沢さんの休みにボールを蹴って驚かされる。しばらくやってない、なんて言う割に物凄く上手く、大人の体力も合わせって太刀打ちできない。ボールキープしたまま鮮やかにかわす動きに思わず見惚れた。時間さえ合えば指導を願い、南沢さんも快く付き合ってくれる。ただし勉強もきちんとする約束の上で。
腐っても受験生だ。

「お前、証明は得意なのになんであれで詰まるんだよ」

微かに呆れた声。得意不得意がはっきりしすぎている俺には頼もしい教師でもあった。 親の信頼も早々に勝ち取り、サッカーを餌に勉学に勤しむ日々が過ぎていく。 幸い、覚えは悪くなかったので志望校のレベルまで順調に達し、模試の結果も自分の中では上々となる。 何より、きちんと理解できた時、出来が良かった時の相手の反応が嬉しかった。 同年代とも親とも違う年齢の南沢さんは何を話しても新鮮で、一緒にいる時間が楽しい。たまに息抜きだと連れ出す先はやはりサッカーで、その度に尊敬の念を新たにする。

「全問正解。やるじゃん」

柔らかく笑う顔。くしゃり、撫でる手が温かい。唐突に全部が腑に落ちた。 通い慣れてきた相手の部屋。この空間が落ち着くのは当たり前で、自分はそれを訪れた最初から知っていた。頭から離れる手をそっと掴み、まっすぐに見る。 疑問が浮かぶ瞳を覗き込んだ。

「俺、南沢さんが好きみたいです」
「頭を冷やせ」

切り返しの一言は、予想以上に低く、冷たかった。
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