組み立て意識の取り扱い 6


「諦めたはずのものが手に入るのはどんな気持ちか、わかるか」

南沢の声は淡々としていた。 薄く笑う顔を凝視する。感じていた息苦しさや不快感などどこかへ行ってしまった。
身体だけはだるくて、思うように動かせない。

「サッカーなくてもお前が懐くかなんてわからなかった。 なのにさ、先輩とかじゃなくてさ、当たり前みたいに南沢さんって呼ぶんだよお前。マジねーよ」

ほんとわらった。そう動く口と表情は笑っているけど笑っていない。 優しく頭を撫でながら、尚も言葉は続く。

「お前とサッカーやっても邪魔が入らなかったのは、きっと世界が戻ろうとしてるんじゃないかって。 俺の頭痛も減ったし、記憶の混濁も振り分けられるようになった。」

何を言っているのか理解が追いつかず、それなのに嫌な予感だけが頭を埋めていく。
その悟りきったような態度はなんだというのか。

「きっとお前は覚えてないし、俺もどうなるかわからない。ただ、今が終わるってことだけは確かだな」
「意味、わかんね」
「ははっ」

笑い声は軽い、愉快げな口元は馬鹿にしているのでも楽しんでいるのでもなく、それこそ諦め。

「楽しかったよ、お前といるの。でもサッカーがないのは俺もお前もやっぱ無理だろ。 大丈夫、次に目が覚めたらお前の好きな雷門だよ、多分な」

動かない指を動かして、服を握る。ふっと微笑んだ相手はゆっくりと顔を寄せ、唇を重ねた。
記憶の混ざるような酩酊感、身体の感覚がなくなり、意識が途絶える。
最後にもう一度、呼ぶ声を聞いた気がした。


目覚ましの音、自分を呼ぶのは母親だ。 寝坊をしたんでもないのに朝から呼ばれるとなんだか鬱陶しい。
ぼーっとする思考の中、違和感を覚え首を傾げる。今日は何月何日だろう。

寝起きの気分が抜けないまま学校へ到着する。 朝練のために部室へ向かい、扉を開けたところで後輩の襲撃にあった。 思わず尻餅をついて倒れ込み、文句を言いかけて遮られる。

「倉間先輩!」
「良かったー!」

飛び掛ってきた天馬と信助が口々に騒ぐのをぽかんと見つめ、助けを求めて周囲へ視線を巡らす。 既に餌食になったらしい浜野や速水と目が合い、肩を竦められた。 剣城がそっと首を振る。どうやら処置なしのようだ。

「またサッカーできるの嬉しくて!」
「またもなにも毎日やって…?」
「あ、そうですよね!これからもよろしくお願いします!」
「お、おう…」

勢いに飲まれて曖昧に答え、満足した後輩から解放される。 訳も分からないままとりあえず着替えて朝練を開始した。 やけに皆が張り切って見えるのは気のせいか、しかし自分もなんだかやる気が違った。 そのテンションは放課後に持ち越され、充実した部活動を味わう。

「やー、久しぶりに白熱したって感じ?」
「わかります、楽しかったですね」

わいわい帰る道すがら、終始笑顔の二人に釣られて倉間も笑う。 胸を満たす温かい満足感は、心地よい。
ふと電気屋の店先のテレビが目に入る。

「あれくらいでかいテレビとか迫力違いそう!」
「ちょ、浜野くん声が大きいです」
「あー、この前、」

南沢さんと、口にしかけてぴたりと止まる。 言葉を切った倉間を二人が不思議そうに見た。
なんでもない、と話を戻し、先程の発言を省みる。

――南沢さんと、出掛けた?最近なんて、そんな。

最後に会ったのはホーリーロード優勝の時で、向こうの寮へ戻ったのだからまず会うことも難しいはずだ。
転校してからスタジアムで再会するまで、連絡さえ取れていない。 和解した後も頻繁に会った訳ではないし、それこそ片手で足りるほど。 悠長に街頭のテレビについて会話するなんてことが、ある訳なかった。

家に帰り着き、部屋で座り込む。先刻の違和感がどうも拭えない。
今日は何日、昨日はいつ、あの人と話したのは、何処の時間で。 隅へ置かれたサッカーボールがころりと転がる。目を見開いた。 頭に浮かび上がる、笑った顔。

「みなみさわ、さん、」

確かにあった、存在していた。 切り取った時間、ただ傍にいた時間、記憶は否定するのにそれは事実だったと心が叫ぶ。 自分に付き合っていたのではなくて、ずっとあの人も蹴りたかった。 河川敷へ降りた際、周りを見回し安堵するような表情だったのは何故か。 降り積もる降り積もる、たくさんの消え去ったはずの思い出。

――サッカー部でも入るか。

放り投げた鞄から携帯を取り出す。 検索ももどかしく、相手を見つけてボタンを連打。
祈るような気持ちでコール音を聞いていると、繋がった。

「もしもし」
「南沢さんっ、あの…っ!」

口火を切りかけて我に返る。 覚えているのが自分だけだったら?
いきなり掛けてきて意味不明なことをほざく後輩でしかない。
勢いで電話したことを後悔し、言葉の見つからない倉間が焦るうち、相手がぽつりと言葉を投げる。

「俺、いま稲妻町にいるんだけど」
「えっ」
「会う?」
「行きます」

待ち合わせ場所を決めると、着替えもせずにそこへ向かった。

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