組み立て意識の取り扱い 5


起きたら世界が変わっていた。
自分が知るものはどこにもなく、新しいはずの記憶がそれが本当だと主張する。
頭痛に吐き気、責めるようなイメージが続き、早々に面倒になったので享受した。
受け入れてしまえば、それは過ごしやすい限りで思わず笑いが落ちる。

サッカーをやろうとすると必ず邪魔が入った。面白いくらいに。
因果律だか何かがその道を完全に閉ざしにかかったのかと考えるくらいだ。
諦めも早かった。何かを諦めるのは初めてでもなかった。
この世界を認めた時に、もう悟ったようなものだったからだ。

ご丁寧に進学クラスまで雷門に新設してくれた優しさは何処の誰のものか。 それともそれを望んだ自分でもいたのだろうか。 時間だけは無駄にあった。勉強だけをしていればいいのだから使い方はいくらでも。 図書室に入り浸るようになる。 SFにもオカルトにもさして興味はなかったが、これだけ頭を掻き回されていれば何かしら手掛かりも欲しくなった。 中学校の割に蔵書は充実しており、望む情報は意外と容易く手に入る。勉強のついでに図書館にも通った。
平行世界、俗に言うパラレルワールド。鼻で笑うくらいのネタとはいえ、説明するにはそれしかない。 ならば自分は別世界の記憶を共有した状態で、次々入り込んでくるのは他の思い出だったりするわけだ。
情報は本当に様々で、自分が雷門を去らない世界もあれば、月山国光で勝ち進む世界さえあった。
正直頭がおかしくなったかと思うレベルではあるが、流してしまえば映画を見ているような気分にもなる。
どこの記憶だかは知らないが、いきなり正体不明な輩に襲われて途切れたものもあった。 サッカーを消す、だとかなんとか。 別の映像と重ねて合わせると、どうやらそれがこの疲れる現象の元凶の可能性と思えた。
分かったからといって何が出来るわけもなく、ただ、解決される世界があるならここもいつか終わるのだろう、と。
そんな漠然とした確信だけが頭の隅にいつもあった。 何故なら、自分にとっての本当は紛れもなく生きた時間だけであり、基盤がそれだと主張することこそ、生きている意味になる。

いつか終わるのならば、とことん世界に沿ってみてやろうじゃないか。

倉間を見かけた。当然といえば当然だ。 雷門にいることまで消された訳ではなかった。
呼びかけそうになって押し留まる、倉間は自分を知らない。
関係の程度はともかく、サッカー部メンバーは意外と固まって過ごしているように見えた。 当たり前の風景が見れないくらいには組み合わせは違ったけれど。 気が合って過ごしていたのなら、きっかけがあれば滞りなく。 実際、見慣れた固まりで笑っているのを時間が経つほど見るようになる。 自分も動けば変わるのかもしれないが、どうにも食指が動かない。 進学クラスでずるずると、当たり障りのない付き合いをして日々が過ぎる。
倉間を目で追うのもやめた。 そのきっかけが潰されたのだ。サッカーがなければ、自分は相手にとって何の価値があるものか。 まっすぐ憧れる視線、褒めた時の嬉しそうな顔、誇らしげな、表情。

鬱憤は全て勉強にぶつけたおかげでみるみる成績はトップクラス。 どんどん関わりが面倒になって、ついに図書室が根城になった。 目を瞑っても浅い眠り、人の来ない書架の奥、気を抜ける唯一の場所になる。
珍しく誰かの気配がした、寝てると見れば声もかけないはずと高をくくった。 携帯のバイブ音、自分のものじゃない。次いで慌てたような声。思わず目を開く。
視界に映った相手、目を疑う。もう一度開いて、視認した。

「お前…なに」

――今の俺の世界にお前はいないはずなのに。

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