進学クラスの南沢さん 2


まだまだ残暑厳しい9月を通り越して迎えるは中間テスト。
嘆くほど悪くもないが褒めるほど大したこともない自分の成績はさておいて、気になるのはあの先輩の順位だった。
いつもは流し見さえしない上位成績者の張り出しを見つけ、ついつい足が動く。 まずは1位から、目線を動かして硬直する。

「いっ…」

南沢篤志。探すまでもなく、素晴らしい存在感でそこにあった。

「アンタ、本当に頭良かったんですね…」
「なんだと思ってたんだ」

参考書を開いて壁に凭れる相手にしみじみ呟くと呆れたような声が返る。
悪いとは思ってなかった、だが首席なんてものは倉間からすれば雲の上、むしろ人外の領域に当たる。

「あそこまでやってて中途半端だったら残念な人だと」
「正直だなコラ」

伸ばされた指が頬をつまむ。いつの間にか閉じられた本は膝にあった。 痛くもないちょっかいを片手で払うとあっさり離され、次いで鼻を押して楽しそうに笑う。 大概こんな感じなので、最近怒る気にもならなくなった。 慣れたのも癪だが、反抗するのが相手のお気に入りらしいと思うと面倒くさい。

「お前さ、暇なのか?」

図書室に通い始めて2ヶ月に近い、もっともな疑問ではあるが実のところ、倉間にも明確な答えはなかった。
好感と表すには微妙な気持ちの方が大きいこの相手を、わざわざ毎週訪ねている。 一年の違いと価値観の違いは楽しい、時間を邪魔する後ろめたさは拭えないけれど。 そしてそれを素直に言える性格でもない。

「帰宅部だし、特にやりたいこともねーし」
「青春浪費してんな」
「言われたくねえ…」

アンタにだけは、付け加えてうんざり零すと、気にするどころかやけに自信満々に髪をかき上げた。

「勉強も学生の特権だろ」

――ああ言えば、こう言う。

言葉の使い道をひとつ再確認した倉間だった。

毎週水曜、16時頃。図書室南側、壁の隅。 小難しい資料や重い本ばかり並べられたその場所は、書架整理でもないと人が来ない。 奥まった一角にて自分のスペース気取りで眠りこけている見知った顔は、進学クラスの先輩だ。
なるべく足音を立てないよう静かに近づき、床へしゃがむ形で覗いてみる。 男の癖に睫が長い、黙っていれば美形、かもしれない。 女子の会話から名前を聞いたこともあった。中身を知ればどうだろう。

「見惚れるほど男前か?」
「寝ぼけてるんすね、おはようございます」

いつから起きていたのか、出会いの時とは違ってしっかりした声で目を開ける。 自意識過剰に付き合う気もさらさらなく、流して立ち上がろうとして肩を掴まれた。 何かと思えば、もう片方の手が頭を撫でる。相手は無表情。

「…なんすか」
「見下ろすのっていいな、と」
「うぜえ」

払いのけて立ち上がると、今度は腕が引っ張られる。 バランスを崩しかけて睨み付けたが、南沢の表情は変わらない。 一分にも満たない無言の時間は、やけに長く感じる。
 
「今日は付き合えよ」

脈絡のない発言に脳の反応が遅れに遅れた。
疑問符を飛ばす機会も与えられず、フリーズした倉間を放置して黙々と荷物をまとめ始める相手。 ほら行くぞ、と声が掛かる頃には数歩送れて追いかける選択肢しか残されていなかった。

完全に相手のペースで連れてこられた場所は駅前のファーストフード店。
奢ろうとするのをなんとか阻止してトレイを持つ。 頼んだセットメニューを持って奥まった座席に落ち着いた。 先程の雰囲気を引きずったのか言葉少なく、黙々と食べる。 そういえば、学校外で一緒にいることは初めてだとぼんやり考える。 咀嚼する速度も心なしか落ちたその時、口元に指が触れた。

「ふ、ついてる。ガキか」

柔らかく細められた瞳と、微笑む唇。呟く単語に反して響きはごく優しい。 離れた指に茶色が薄く付いていて、拭われた感触が後から鮮明になる。 体中を何かが凄い勢いで走り抜け、ハンバーガーを包みごと取り落とした。

トレイの上だったので事なきを得たが、微笑ましい表情から相手がマジウケに変わった苛立ちは半端なものじゃなかった。 おかげで雰囲気は払拭されいつもの雑談に戻れたとはいえ、店を出ても上機嫌な南沢にどう蹴りを入れるかを倉間は真剣に考える。 そうこうしているうちに時間になり、塾と帰宅で分かれる間際、横道に引き込まれた。
人通りの少ない路地でたたらを踏む。本日何度目かと文句を言いかけて、口の端に温かい何か。 僅かに湿った音が耳に届いて、それが舌だと気づく。舐められた。

「まだソースついてた、なんてな」

冗談めかしながら笑うその顔は、今までとは違う。 瞳に知らない色が混じって見える。 本能的に危険を感じ取り、思い切り突き飛ばす。 そのまま振り返らずに走り出した。

次の水曜日が来るまで倉間は悩みに悩んだ。
あの日はおかしかった、何かがおかしかった。 どこかで変なスイッチが入ったというか、そもそもそんな切っ掛けがどこに落ちていたのかがわからない。
恐怖が先にたって逃げ出したものの、突き飛ばした瞬間の驚いた顔が頭を過ぎる。

――なに驚いてんだよ!抵抗したのが予想外みたいな顔しやがって!

結局、問い詰めたい気持ちが勝り、重い足取りで図書室へ向かう。
仏頂面で相対した犯人の言い草は第一声からなんともいえなかった。

「こないかと思った」
「やらかした自覚はあるんですか」

倉間を見てたっぷり数秒沈黙したかと思うと淡白な一言。 思わず責める口調になるのも仕方のないことだった。
じっとり睨みつけえる視線を受け止めて、自分の顎元に手をやってまた数秒。 一度目を瞑り、瞼を開くといつかのように軽く手招きをする。

「いきませんよ!」
「まあ、そう言うな」

十分な距離のまま吠える倉間に、南沢は動かない。 呼ぶくらいなら自分から来たらどうだと思うが実行されても困るのでやめておいた。 警戒を解かず睨み合う、というより一方的に睨んでいるので見つめ合うの方が近い感じでしばらく、 若干不服そうな様子で相手が溜息を吐く。

「……懐いたと思ったのに」
「犬か!」

端的に突っ込むと首を傾げ、不思議そうに言ってくる。

「愛玩よりも濃いつもりだけど」

そんなことは聞いていない、むしろ聞きたくもない。
理解できない生き物が目の前にいる。

「なあ、」

かた、と脚立が揺れて相手が立ち上がった。
涼しい顔で呼びかける声は平坦なのに、怖く思えるのは何故だろうか。

「お前が欲しい」
「お断りします!」

聞き終える前に切り捨てて顔も見ずにダッシュした。
図書室を出る時に司書に注意され、走りながら平謝りし、とにかく校門まで逃げ切った。 止まって息を整え、追いかけては来ないことに安堵と苛立ちが一度に沸きあがる。
何も解決しない、疑問も晴れない。ここまでやられて嫌うでもなく腹が立つだけだというのが癇に障る。
足元の石を蹴り飛ばした。

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