進学クラスの南沢さん 3


秋が過ぎて冬に差し掛かる。
期末テストも適当に終わらせて、今回は順位も見なかった。 見ようが見まいが1位はどうせあの男だろうし、確認して得るものもない。
あれから図書室には行っていない、近づきもせずに過ごしている。 もともと約束もしていないし、よくわからない関係だった。 ただ、毎週の時間が当たり前になって繰り返していただけだ。 水曜になると思わず時計を見てしまう癖も、きっとなくなる。 思えば確かに懐いていた。自分の周りにはいないタイプだったし、それは相手も同じだったんだろう。
ものぐさな癖にきっちりしている、妙な矛盾を抱えた人。 二学期が終わり、年が明けてしまえば、三年生はほとんど学校へは来なくなる。 そうなったら週一の時間潰しも必要がない。

「くそっ」

吐き捨てるように、呟いた。

放課後、いつにも増してぐるぐるする思考に頭を抱え、唸っているうちに時刻は17時を過ぎた。
教室で項垂れる自分を級友が心配していたのは覚えている。
すっきりしない気分を振り切るように席を立ち、覚悟を決めて図書室へ向かった。
向かったものの、着いてしまうと躊躇われて、到着までの覚悟しかなかったのかと自問する。
人通りの少ない廊下で、手を伸ばしては引っ込め、ぎゅっと握りこむ。 疲れた息を吐き出した途端、前触れもなく扉が開いた。

「!」

心の準備もない倉間を驚かせてくれたのは、まさかの元凶。
見開いた瞳がお互いを映す。

「倉間」
「う、うわああああ!」

相手に驚き以外の感情が浮かぶ前に、踵を返して走り去った。 逃げる瞬間、自分へ手を伸ばされた気がしたけれど、追ってくる気配はない。 通学路を駆け抜けて家に着き、玄関で崩れ落ちる。
何をしているのか、したいのか。自分でも分からない。 頭を抱えてうずくまった。

「なんなんだよ、畜生」


次の日、自己嫌悪に苛まれながら放課後を迎えた。
昨夜はあまり眠れず、身体も重い。我ながら馬鹿馬鹿しい上に情けなかった。 よろよろと校門へ向かう道すがら、女子のはしゃぐ声が耳へ入る。 今は何を聞いても右から左に流れていく有様だが、聞き流せない名前が引っかかる。
顔を上げて校門を見た。錯覚にしてはハッキリした姿がそこにある。 歩みを止めた自分の周りを人が通り過ぎていく。 心臓が脈打ち、目が離せない。 見回していた相手が、自分を捉えた。

――やばい。

南沢が動いたと同時、倉間は地面を蹴る。 校舎へ逆戻りすることになるが、あの方向へは行けなかった。
目的も定めず疾走してもさすがに体力が続かない。中庭を横切り木の影に辿り着くと幹へ手を突き息を整える。
なんなんだあれは、なんだったんだあれは。荒い息を吐きながらなんとか落ち着こうと思考を巡らす。
しかしそれはすぐに打ち切られた。

「おい」

不機嫌な低い声。肩が跳ねる。 振り向くなという警告と確かめたい衝動が頭の中でぶつかった。
感情に抗い切れず視線を向ける。

「なに逃げてんだ、てめえ」

微かに荒い息を交えながら、鋭く睨む表情は必死だった。
いつものクールぶった南沢は見当たらず、悪態をついて距離を詰める。 状況に混乱して言葉が出ない。

「な、んで、追っかけて、」
「昨日は塾へ間に合わねーから見逃してやったんだよ。お前のクラスも知らねえし張るとかだっせえ」

吐き捨てる言葉は苛立ちと自嘲にまみれてやけくそに近い。 動けなくなった倉間へ舌打ちし、木へ押し付けるように手を突いてきた。 片腕に囲われ、背中が幹に当たり逃げ場はない。

「人が諦めてやろうとしてんのに、のこのこ現れやがって」

顔が近づいて息が当たる。震えて、唾を飲み込んだ。 もう片方の腕が叩きつけるのではなく、ゆっくりと幹へ触れる。 捕らえるためのその動きは、竦んだ倉間を追い詰めていく。

「そんでまた逃げるだあ?ふざけんなよ、お前」
「ふざけてんのはアンタだろ」

怯えより理不尽さに対する怒りが勝った。 最後の部分は何よりも自分が言いたかったことであり、言われる筋合いはまったくなかった。 一度言い返せば気力を取り戻し、改めて睨みつけると相手がますます激昂する。

「はあ?!俺が毎週どんだけ待ってたとっ…」

声を荒げて責める台詞は途中で切れた。言い終える前に相手の表情が止まり、 反芻するような間の後、明らかに「しまった」というような顔をして視線を逸らす。
ひたすら気まずい時間が流れる。体勢が体勢だけに倉間にはどうしようもない。
この前みたいに突き飛ばすなりしてもいいのだが、自分で両腕を突いておいて目を逸らすなんて間抜けすぎる 相手をこれ以上どうにかするのも気が引けた。

「待ってたん、ですか」
「……悪いか」
「いえ、すんません」
「謝るな、バカ」

おそるおそる問いかけると、苦虫を噛み潰したように答える。 ぎこちないやり取りは、機嫌を損ねる一方だ。
もしかしてこの人は、子供っぽいどころか子供なんじゃないだろうか。 ふとよぎるその考えが、あながち間違いとも思えない。 もっとスマートな方法もきっとあっただろうに、頭の良さは活用されなかったらしい。
無意識に手を伸ばして、頭を撫でた。

「バカにしてんのか」
「割と」

拗ねた風に言う相手がまだ自分を見ないので、相槌を打つ。
まんまと睨んできた視線を真正面から受け止めて、吹っ切ったように笑いかける。

「割と可愛いなあと、思って」

がくんと脱力した南沢が凭れかかってくる。結構重い。
体重をわざとかけてきてるに違いない先輩は、悔しげに呟いた。

「……生意気」


年も明けて三学期、自由登校が始まる頃には図書室の時間も減っていった。 代わりに週一の縛りがなくなって、時間さえ合えば受験生の傍にいる。 一応、倉間は気遣って勉強を優先したらどうかと言ってはみたが、十分やってる見返りが必要などと 開き直られては勝手にしろと思わざるをえない。

「もっと早くお前が図書室に来ればよかった」

突然、ぽつりと落ちた言葉の意味を汲み取るのは簡単なようで難しい。

「むちゃくちゃですよ」
「短い。お前ともっといたかった」

続く台詞で理解する、と同時に、あれから子供っぽさを隠さなくなったと痛感する。 可愛いと発言した自分も悪かったかもしれないが、完全に調子づかせたのは気のせいか。
器用にペン回しを続ける相手の長考が、問題集へ向けられているのか非常に怪しい。 やがて、閃いたとばかりにペンを止め、自然な動きで倉間との距離を詰める。 顎をくい、と持ち上げて、それはいい笑顔でのたまった。

「死ぬ気で勉強して同じトコこいよ」
「無理ゲー」

甘えられるのは構わないが、時と場合と限度がある。

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