走り抜ける君へ 4 「部長?」 窺うように声を掛ける。返事はない。 「ね、部長?」 「やめろ」 遮るよう低い、硬い声が落ちた。思わず肩を震わせるほどの。 「やめないか」 「は?」 「何を言っているんだ、お前は」 「その言葉そっくりそのまま返すよ」 やっと喋ったと思ったら突然なんなのか、そんなリョーマの気持ちとは裏腹に信じられないとでも言いたいような顔で、手塚は額を押さえる。 「いつものようにしていてくれればいいんだ、お前はそれでいいんだ。俺はそれで構わなかった。そもそも高望みもしていない、普通に話して、普通に関わって、それで満足だ」 ぶつぶつと呟く言葉は独り言のようで、違う。己に言い聞かせ、同時にリョーマを責めていた。 「そんな風に、笑ったりするんじゃない」 搾り出された声に目を見開く。瞬間、かち合う視線。 するりと逸らし、我に返った手塚が表情を戻して歩き出す。動けずにいたリョーマが、扉の近くで呼び止める。 「こら、そこの人」 「悪かった、なんでもない」 こちらも向かずに手塚は言う。切り捨てる口調は入り込むなという拒絶、だがそれがなんだ。 リョーマの声色もおのずと低くなる。 「違うでしょ」 「お前の言葉は嬉しかった、本当だ。今のは俺が全面的に悪い、忘れてくれ」 「何それ」 扉にかかろうとした手首を掴む。力で振り切られたら終わりだと思ったが予想に反してぴたりと止まる。 「何をサラッと終わろうとしてんの」 完全に喧嘩腰で詰め寄るもやはり答えない。しかし今度は待ってやるつもりもましてや逃がすつもりもない。 自分を見もしない手塚に対して当然のように怒りが沸いてくる。 「言うことあるんじゃない?俺に」 「悪かった」 「そうじゃなくて」 「本当に悪かった」 「こっち向けよ」 「無理だ」 「自分で崩したんだから最後まで言えよ!」 手塚はあくまで頑なに繰り返す。押し問答にヒートアップしていくうちにリョーマの語調は上がり、気付けば掴んだ手首を握り両手で力任せに引っ張って顔を向かせた、目線を合わせた。 「アンタの中で何がどうなったかは知らないけどね、俺は自分で考えて思ったことをちゃんと言ったわけ、伝えたわけ。それで勝手にテンパってあげくの果てに逃げるってどういう神経してんの?」 瞳は逸らさない、逸らさせない。 睨み付けた相手の瞳は苦しげに揺れる。 それでも口を開かない手塚を、睨み付けたまま呼ぶ。 「部長」 「俺はもう部長じゃない」 「うっさい!」 荒げた声と共に全体重をかけて、ロッカーへと相手を叩きつける。金属の軋む、嫌な音が響く。 「アンタが俺の土台を作った、アンタが俺を引っ張った、だからここまで来てるんだよ!」 胸倉を掴み、引き寄せ、噛みつくように訴える。 「俺から逃げるなんて、許さない」 手が微かに震える、歯を食いしばる、決して逸らさずに睨み続けた。寄せられた眉、苦しく歪んだ表情、なんだってんだ。こっちだってめちゃくちゃしんどい。 「お前を困らせる」 「何が」 口を開いて出る言葉は往生際が悪い、悪すぎる。問い詰めても要領の得ないことばかりを言ってくる。 「困らせたくはない」 「だから何が」 「聞くな」 「すでに十分困ってるんだけど」 これ以上困ることがあるとすればこの状態が改善されないことに他ならない。そんなことも分からないのかと、腹立たしい気持ちが更に募る。 「無理だ」 「言えよ」 「無理だ」 「言えってば!」 掴んだ胸元をこれでもかと引き寄せて、同時に背伸びしてできる限り距離を詰める。相手の瞳に自分が見えた。 手塚の瞳が、閉じられる。 「好きだ」 掠れた声で、吐息混じりに白状した。 「よくできました」 見事な粘り勝ちだ。手を放し、リョーマは手塚ごとロッカーに凭れこんだ。 驚いた手塚はしばらく放心したかのようにリョーマを見つめていたが、ややあって思考回路が復活したか眉間に皺を寄せて不機嫌に呼びかける。 「こら」 呼ばれたリョーマは悪びれもなく、いつもの調子でさらりと答えた。 「何?」 「……お前な」 なんとも複雑な表情で呟く様子がおかしくて、もったいぶるのを忘れてするっと口をついて出た。 「うん、俺も」 また、手塚が固まる。リョーマにしてみればさっきのごたごたで気がついたようなもので、自分でも計りかねているのが実態ではある。が、事実は事実なので。 「晴れて両思いだね、おめでと」 ふふん、と笑いかければ振ってくる大きな溜息。 「俺がどれだけ悩んだと思ってるんだ」 「知らない、そんなの。勝手に悩んで暴れただけじゃん」 冷たく言い放てば詰まる相手。やれやれと肩を竦める。 「俺が追い詰めなきゃ逃げっぱなしでしょ」 「――悪かった」 「そ。部長が悪い、全部悪い、相当悪い。」 手塚は言葉もない。苦虫を噛み潰したような顔でただ黙って聞いている。本心に違いないが、ノリで言ってる部分もあるので、全部真剣に取られるのも考えものだ。 ここは譲歩してやるか、ちらり見上げてから体を離す。 審判を待つ罪人よろしく見てくる手塚に、にやり、口の端を上げて笑いかける。 「これだけ振り回したんだから、責任取ってよね」 まっすぐに手を差し出した。何事かと瞬くのを咎めるように視線で促す。 どこか怯えた風な握り方をする相手がおかしくてたまらなくてリョーマは噴き出した。 心外な様子で眉根を寄せる手塚のいつもの表情を確認して、自分も常の態度で口を開く。 「よろしく」 新しいスタートラインの、握手。 |