近似値を埋める 1
真面目な顔をして何を考えているかと思ったら本人にとっては今更過ぎるコメントだった。 「計算が合わねーぞ」 書類に記載された花京院の生年月日を眺め、逆算したらしい承太郎へ呆れた視線を返す。 「君な、インスタントじゃないんだからハイ次の人生です、とはいかないだろ。しかるべき手続きを取ってそれこそ市役所の公的処理のような流れに二年かかったかもしれないよ」 「根拠は」 「ないね、物心ついたらぼくだったんだから奇跡に感謝でもしておいてくれ」 響くトーンは高めでまさに子供の声だというのに、つれなく答える様はおよそ年齢に似つかわしくなかった。 それもそのはず、何の因果か17歳で人生を終えた花京院典明は現在8歳の少年として存在している。 承太郎の主張としては空白の二年分、早回して生まれてくればいいものを、だとかそんなところだろう。 転生にまでけちをつける相手に聞きなれた口癖をつきつけてやりたい。 再び隣に在るこのご都合主義はなかなかのハイスピードで生成された。 花京院の現在の両親は資産家である。それも世界各国を精力的に飛び回っており、いわゆる仕事人間といえよう。 一人息子が生まれて数年は出張を減らし、子育てに専念するアットホームさを見せたくらいには愛のある家庭だ。 しかし、まず母親が違和感に気付く。赤ん坊の頃から、まるでポルターガイストのような現象がたびたび起こっていた。お気に入りのおもちゃがふわりと浮き、ベッドに落ちる。緩く引っ張られる感覚がすれば、ミルクの時間だった。原因は分からないが、害のあるものではなかったので花京院はそのまますくすくと育つ。自分で言葉を発するようになった頃、やはり幻覚や錯覚ではないのだと父親が認めた。 超能力者、というワードが確定した時、二人の出した結論はとにかく守ろう、というもの。物心つくかつかないかの年齢では世間から異端扱いされてしまう。せめて自分と世界を認識できるようになってからゆっくり話そうとしたのである。ベビーシッターは厳しく審査し、緘口令が敷かれ、完全なる箱庭だ。 やがて、自我のはっきりしてきた花京院は驚くほど聡い子供だった。 絵本は旅をするような風景のあるものを好み、いつも静かに読書をする。この時点で漢字も読めていたが、それは口にしないほうがいいと本能的に感じた。緑の半身はいつも傍にいて、名前が分からないながら安心を覚える。 両親の目を盗んでは新聞を読んでいたある日、ひとつの記事が目に入った。 ――海洋学者、空条承太郎。 それまで薄墨だった世界へひびが入る感覚。 一瞬にして砕け散った後に広がるのは膨大な記憶の海。 傍らへ寄り添う者へ視線を向ける。 「ハイエロファント、グリーン」 自らの手を握っては開き、感触を確かめた。 生きている、確かに生きている。 椅子へ座れば足は届かないし、意識と身体のリーチの誤差は如何ともしがたい。 「それでも、ぼくは生きているのか」 記憶の17年と、新たな人生の5年が重なった瞬間であった。 両親は何もしていなかった訳ではなく、各界のネットワークからスピードワゴン財団へ辿り着く。 息子のような子供を保護したりサポートしていることを掴んだ父親が心を決め、真剣な表情で語り掛ける。 「典明、お前がいつも傍に置いてる誰かを知っているかい?」 目を見開いた花京院を優しく抱き締め、遅くなってすまない、と声が落ちた。 涙が自然と頬を伝う。 家族揃って訪れた支部はとても親切で、理解のある両親を我がことのように喜んでいた。 受付から途中案内まで多国籍な人材が揃っていたが、日本語が非常に堪能だ。 まずは問診データを作成します、との言葉に頷いて事前に渡されたアンケート一式を提出する。 カウンセリングのようなものだから家族の方は別室で、と案内された部屋にて職員が真剣な面持ちで言葉を発した。 「最初にひとつ質問をします。貴方はご自分が何者か答えられますか」 「ご存知である、の前提で答えます。ぼくは貴方たちの知っている花京院典明です」 言葉を受け止め、重く頷いた相手は実に柔軟な対応を見せた。 まず、両親には一旦伏せておくこと。余計な混乱を招かない為であり、これには花京院も賛成だった。 そして、この事実をジョセフ・ジョースター及び空条承太郎に伝えるか否か。 もちろん決めるのは花京院自身、首を振るのならプライバシーとして他言しないことも約束してくれた。 悩むことなく頷いてから、浅慮だったかと少しの後悔。自分が死んでから7年は経っている。彼らが疎んじるような人たちではないのは分かっているけれど、既にいないはずの者が突然現れてなんだというのか。 そんなネガティブな葛藤は数時間後に扉を壊す勢いで開け放った承太郎によってあっさり吹っ飛ぶ。 各種手続きや説明が終わり、あとは保護者への話があると別室で待たされて20分ほど。 職員のお節介な計らいではないかというくらい、ベストなタイミングで二人になった。 「花、京……院」 扉が自然に閉まるのに合わせ、呆然と彼が自分を呼ぶ。 「承太郎」 名を口にした瞬間、抱き締められていた。 「花京院、花京院、花京院」 そこそこは距離があったはずなのにとか、君そんな縋るような声出せたのかとかぐるぐる混乱する花京院がなんとか思考力を取り戻すまで承太郎は静かに呼び続けた。しばらくして抱き締めた体温は偽物でないことをようやく実感したらしい彼がゆっくりと顔を上げ、覗き込んでもう一度音にする。 「花京院」 「承太郎」 反射のように応えると、右肩へ額が置かれた。 結局、会話らしい会話もしないまま随分と時間が経ってしまう。 両親と職員が戻ってくる時には無敵のヒーローは復活しており、しゃきんと立った承太郎が職員の紹介で挨拶する。 まさか泣くのではないかと思ったくらい弱々しかった名残は全くない。 「こちらはスタンド使いの子供のサポートに協力してくださっている空条博士です」 「お初にお目にかかる」 外面モードの旧友の態度にこみ上げる笑いを何とか抑えながら話を聞いていたところ、どうやら財団がスタンド使いを保護する道筋を作ったのは彼だとのこと。今は各支部で小さな学習所を開いたりもしているそうで、精神が安定しきらない子供へ力の使い方を教えているとか。 一般の学校に通うかはあくまで本人希望であり、つまり居場所の救済措置だ。幼稚園ならまだしも、小学校へ上がるまでには解決しなければ、と考えていた両親は頷き合う。各地を飛び回る職業上、連れて動くのは子供に負担が掛かる。であればこそ、日本にきちんと家を持ち、数ヶ月ごとに家族の時間を作ってきた。己の力を自覚し、外へ出るなら今なのだ。 母親が花京院をまっすぐ見つめる。 「典明、貴方はどうしたいの?」 自分たちと共に世界を回るか、学校へ通い始めるか、それとも。 「ぼくは、ここへ通いたい」 優しく伸びる手がゆっくりと抱き締める。 「やっと希望を言ってくれたわね」 夢遊病のような薄墨の世界、絵に描いたかの如く“いい子”であった花京院。 どこかを見ている訳でもなく、ただ大人しく本を読んでいた。 母の頬は少しだけ濡れた。 話はあっさりとまとまって、財団が責任を持って花京院の環境を保証する。本人のいない場所でなされた話し合いには学力の件も入っていた。 曰く、貴方の息子さんは同年代より飛び抜けた知性を持っているから相応の教育を受けた方がいい。 高校生を小学生に放り込むのを避ける詭弁は素晴らしかった。 送り迎えも専用チームが担当、似た境遇の保護者のお墨付き。至れり尽くせりすぎる空気の中、それでも一人になる期間は寂しくさせると父親が零す。そこで話に入ってきたのが今まで黙っていた空条博士だ。 しばらくは日本へ在住する、花京院のケースは稀であるし、是非力になりたい。 低く響くバリトンの説得力に丸め込まれ、極めつけは職員の、博士なら安心ですね!の一言で話が決まった。 「典明、空条博士と仲良くするのよ」 「よろしく頼む」 安心しきった母親の横で、いけしゃあしゃあと初対面ぶって言い放った相手に花京院は絶句するしかない。 こうして承太郎は後見人の立場を獲得した。 三年前の回想を終えて吐く息は重い。 「まんまとやってくれたな」 「てめーを手元に置くのに必死に頭をめぐらせたんだぜ」 態度のでかい後見人様はそれはもう優秀であらせられ、花京院の行動範囲はぐんと広がった。 事情を知る承太郎相手に気取る必要もないおかげでのびのびと暮らしてきた感謝はある。 完全に両親の信頼を勝ち取り、旅行と称し杜王町まで同伴できたのも異存はない。 単純な話、呆れているのだ。 「もっと早く知りたかった」 気付けばまた腕の中で、こんなことで時間を止めたのかと再会の混乱を思い返す。 「十分早いよ、親元から子供を奪うとか犯罪者だからな」 投げやりめいて呟く台詞を一笑に付して、親指が唇の下をなぞる。 開く動きでキスを受け入れながら、もう十分に犯罪者だな、と諦めをいだく。 |