幸せは公倍数にて 1


「なるほど、これがつよくてニューゲームか」

思わずそのひとことが口をついて出たぼくを責めないで貰いたい。
まず、気が付いたときの年代は記憶よりも進んでいるようだった。 どのくらいかというとファミリーコンピュータがスーファミに進化して更に次の世代に代わろうかという程度だ。 ドット最盛期を過ごした者としては8ビットの世界が 16ビットになったあの感動を忘れることはないだろう。 地球から月へ移動する際にズームアップする手法だけでも鳥肌がたったものだ。この先3Dが主流かと思うとなかなかに寂しい。 趣味の話はひとまずおく。
まあそんな有り体にいえば未来でぼく、花京院典明が覚醒したのは17歳の誕生日だった。
いわゆる前世の記憶とやらを取り戻した瞬間、盛大に吐いた。 胃の中全てリバースしても止まらず胃液まで洗面所に流しまくってベッドに落ち着いたのは深夜一時くらいだろうか。 日付変更から素晴らしすぎるバースデーといえる。衝撃的な情報にぐるぐると思考がかき回されるうち、脳裏に浮かんだ疑問が一つ。 彼らは、承太郎はDIOに打ち勝ったのか、ぼくの最期のメッセージは果たして届いたのか。 確かめようもない問いが混乱を止めた。汗まみれの身体を動かして寝台から降り、カーテンを開く。 夜空に浮かぶ月と星々を眺めて深呼吸。
じたばたしても仕方ない、あの五十日がまた訪れるというのなら立ち向かうだけだ。
自分にしか理解できない事象を受け入れるのに慣れているのも苦笑を誘う。

我が半身であるハイエロファンドグリーンを認識したのは思い出してすぐになる。
スタンドはそれまで一緒に眠っていたのか、今生において普通の子供として過ごしたぼくの環境は実に平和だった。 両親に対して距離も置かず愛情を享受しているし、誕生日とクリスマスにゲームをねだるくらい分かりやすく甘えていた。
ただ、三つ子の魂百までというか生まれ変わっても根底は変えられないもので、あからさまでない壁はやはり健在。 友人はいても深くは付き合わず、のらりくらりとかわして高校生まで成長してしまった。 その部分に関してだけは心配されている。それは申し訳ない、だがどうしようもない。
潜在意識で理解者を求めていたのかと己の強情さに呆れもするが、どうせ前も同じ状態で転校したのだから流すことにした。
そう、転校だ。旅行好きの家族から、エジプトに行こうといつ提案されるのか戦々恐々の日々はあっさり過ぎ、 記憶にある日付より二ヶ月ほど早く見覚えのある石段の通学路へ辿り着いた。
そもそも年代も違う時点で疑うべき問題でもあったが、もしかしたらこの世界は何も起こらないのかもしれない。 構えて恐れていたのが笑い話になるのならそのほうが良かった。
長い石段を降りる際、考えてみればまともに通いもしなかったんだな、とほんの少し寂しさが胸を去来したけれど頭を軽く振って打ち消す。
高校生の続きから歩ませてくれるなら、贅沢な話じゃあないか。

通い始めた学校はやはり前とはだいぶ違っていて、制服もブレザーにネクタイを締めている。
歴史のある私学らしく、建て替え直前の旧校舎とぴかぴかの新校舎が敷地内に並ぶ。比率としては古い方が三分の一ほど。 行き交う生徒の服装が細部異なって見えるのは違反ではなく、ネクタイやリボンのパターンが数種存在するからだ。 しかも、ちょうど制服変更の学年に当たったので別のデザインすなわち上級生と分かる。 まだ全校集会は経験していないが、式典がオセロで追い詰めたような状態になるのは見てみたい気もした。
そんなこんなで一週間。校内を把握し始めた頃、いつもより三十分早く目が覚めた。 折角だから早い時間に登校するのもいいかな、と暢気に歩く。少しの差でこんなに人通りが違うどころかいないレベルとは思わなかった。 例の石段に差し掛かり、視線を下へ向けた瞬間、息を飲む。
まず目に入ったのは帽子、そして広い背中。さすがに長ランではないものの、学校指定の黒い学ランを前も留めず靡かせ、 片手はポケットへ無造作に 突っ込んで闊歩する相手はまさしく空条承太郎だ。後ろ姿とて見紛うはずがない。
何とも既視感のある邂逅に動揺したぼくは足元が疎かになった。

「うわ、っ」

反射的にハイエロファントグリーンで近くの木を掴んだものの、慌てたせいで制御がおぼつかない。 何せ、およそ戦いと無縁の生活が身体に染み込んでしまっている。思い出して即、緊張感を取り戻すのは無理だった。 結果、石段を転がりはしなかったけれど中途半端な跳躍で草むらの方に落下。上手く衝撃を殺しはしたが、撃った背中と尻がそこそこ痛い。
思わず息を吐いたその一瞬、ぼくは彼の存在を忘れていた。

「おい」

掛けられた声に固まる。相手のほうを振り向けない間、気配は近付いてきた。

「大丈夫か」

――これは恥ずかしい!

まさかの逆パターンで心配された。見知らぬ生徒など放っておけばいいのに、と言いたいが自分でも目の前で人が落ちたらさすがに駆け寄るし、 とにかく無視するわけにはいかないので返事をしよう。 大丈夫です、ありがとうございます、お礼のシミュレーションをしながら巡らせる視線。
見上げるように向き合って、また息を飲んだ。
デザインの違う学帽、普通の学ラン、腰元のチェーンが細かく揺れる。
当たり前みたいな仕草でこちらへ手を差し出す表情は、記憶と全く変わらなかった。澄んだ緑の瞳に眩暈を覚える。 懐かしさから繰る眩しさに目を細めたところ、訝しげに言葉が続く。

「立てねぇのか」
「あ、いや、立てます」

反射的に手を掴んで立ち上がった。引き上げられる強さが頼もしい。

「ありがとうございます」

草や汚れを払い、改めてお礼を言うと何故だかじとりと見つめられた。

「ブレザーってことは後輩だな」
「ええ、最近転校してきたばかりです」

なんだこの既視感のあるやり取りは。むず痒いやら恥ずかしいやらで勘弁して欲しい。
というか、何で興味ありげなんだ君は。無傷だからか、石段から落ちて無傷だからかやはり。
背中に嫌な汗をかきそうになりつつも穏やかに返せば、痛むなら保健室にいけ、と言い残して去っていった。 この地点なら帰る事をすすめるものじゃないかな。

突然の遭遇は一時で済むか微妙な恥で終わった、かに思えた。
ぼくは会えて話せたことがもはや奇跡だし、今日のイベントはもう終了のような気分だったがよく考えればまだ登校もしていない。 意識を落ち着けて教室へ向かい、授業が始まる頃にはすっかりと現在の日常へ馴染んでいく。
昼食時になれば人目を避けるのもいつもの話で、転校早々フリースタイルが身に付いてしまった。 クラスメイトと交流を遮断してる訳ではないが、まだまだ一人の時間が欲しい。記憶を取り戻して日も浅いのだ。 幸か不幸か17歳で死んで現在17歳なので精神年齢的にはそう差異はない、はずだ。生きてきた記憶が二重にあるのは少し混乱を呼ぶけれど。
無意識の溜息を零しながら辿り着いた先は視聴覚準備室。名ばかりのこの教室は、物置き場と化しているいわば穴場スポットだ。 スタンド能力で人の気配を探れるおかげで避難先には不自由しない。校内の潜伏場所は片手を越えている。
意外と日当たりの良い場所で昼食を終えてぼんやりすること数分、張り巡らせたハイエロファントグリーンの触脚は警戒というよりは安らぎの為だ。 今生も共にある半身に感謝し、僅かな眠気に頭が支配されかけた時、平穏は砕かれた。
入口まで伸びていたスタンドが察知してぱちりと目を開ける。
音と共に開かれた扉のその向こう、空条承太郎が立っていた。

「や、やあ、さっきぶり」

腰掛けていた椅子が床を引っかいて鳴らす。何とか取り繕った笑顔と混乱から口走った挨拶に、彼の目が細まった。

「てめーの中で朝はさっきなのか。随分と時間の流れが早いな」

ですよね。そんな仔細なツッコミしてくれなくていいんだよ君は律儀か。
いや律儀な男だったな変わってないようで嬉しい、かはこの状況では言い難いけれどとにかくどうしよう。 あと突っ立って睨んでくるくらいならいっそ中に入ってくれないだろうか。君はデフォルトで威嚇してるんだから自覚を持って頂きたい。

「名前は」
「は」
「名前を聞いてんだ。なんて呼んだらいいかわからん」

いきなりなんだとか人に名乗るならまず自分からとか一秒で頭の中を渦巻いたが、何だかもう展開に頭痛を感じて素直に名乗った。

「……花京院典明」
「空条承太郎だ」

そうだな、君はそういう奴だ。名乗り返してくれてありがとう。
ようやっとその場から踏み出した承太郎は後ろ手に扉を閉め、一呼吸のち再度鋭い目線を寄越す。

「で、だ。花京院」

スッと上げられた右手が勢いよく指す。

「そこに、何か居るな?」

肩が震える。指の示す先はぼくの傍ら、すなわちハイエロファントグリーンだ。

「まさか、見え、」
「見えてる訳じゃねえ、ぼんやりだ。たまにハッキリするが輪郭がなんとなく、くらいか」

掠れて出した呟きを遮り、承太郎が否定する。確かに場所は捉えているが、視認というには頼りないようだ。 そのまま承太郎はこちらへ近付きながらつらつらと語った。

「最初に会った時、何か伸びるのが見えた。そいつは明らかにテメーを支えて地面へ下ろした。 すぐに隠れちまったからな、見間違いかとも思ったがあの高さから落ちて無傷はおかしい。 あの場で問い詰めるのも決め手がねえ、とりあえず同じ学校なら機会もある」

疑惑の眼差しだった事実を受けて頬が引きつる。そりゃあ怪しい自覚は十分あったが明らかなロックオンに背筋が寒い。 張られた網を器用に避けて靴の先が床を蹴った。

「全くの偶然だが、この場所はおれもよく使う。ここ最近は屋上に居たがな。で、今日来てみりゃ扉に何か張り付いてやがる。ビンゴだ」

見下ろす位置で口角を上げる、まさに主人公。なんだろう、すごく追い詰められた悪役の気分だ。
ギブアップするにしても相手の目的が分からないのでどうしようもない。
表情を戻した承太郎がハイエロファントグリーンとぼくを交互に見る。

「おれはそいつを知っている、そして使えるおまえに用がある」

スタンド能力に関する何か、やはりDIOだろうか。
意識を切り替えて言葉の続きを待つ。
ぼくの変化に気付いた承太郎は、些かばつが悪そうに帽子の唾を引く。

「そう構えるな。別に大したことじゃねえ、ちいとばかし話をしてやってほしい」
「はな、し?」
「それを出せる奴が近くに居なくてな、おれじゃどうにもならん」

思わず首を傾げれば、話の筋がなんだか違う。
スタンド使いが傍に居なくてどうにもならない、ということはジョースターさんやアヴドゥルさんは居ないのか? いや、まず誰かがスタンドを使えて、それを承太郎は知覚しているけれど見ることは出来ない。 だから助っ人を探していて、偶然ぼくに行き当たった。なるほど、辻褄は合う。

「ええ、と、君の知り合いにぼくと同じような能力者が?」

話を整理しながら問い掛ける。順当に考えるなら彼の母親、ホリィさんだと思うが。
そんな思考を叩き切ってくれたのは簡潔な回答だった。

「妹だ」
「妹?!」

本当に誰だ!?
脳内の叫びは外に出ることはなかったが、思考は完全に停止した。

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