幸せは公倍数にて 2
素っ頓狂な声を上げてしまったぼくに対して承太郎が少しばかり目を大きくする。なかなか珍しい。 「んなに驚くことかよ」 「いや、すまない」 即座に謝って思考をフル回転させる。 相手にしてみればただ事実を伝えただけかもしれないが、ぼくにとってはまさかの新展開。 承太郎に妹がいるなんて初耳だ。というか前はいなかった。 でないとジョースター家の宿命に巻き込まれていたはずだ。 しかも承太郎の口ぶりからすれば、その子はスタンド使いに相違ない。 「三年前、事故があってな。つっても大したことねえ、おれが軽い脳震盪を起こしたくらいだ。 だが、それに合わせてあいつが変わった。ガキにしては落ち着いた、を通り越して達観してやがるな、あれは」 君が脳震盪とか結構なアクシデントじゃないのか、一体何があった。 と聞きたいのはやまやまだが話の腰を折るのも憚られるので大人しく続きを促す。 「君が倒れるのを見ていたのか?」 「ああ。聞いたのは人づてだが何度も親父を呼んで喚いたらしい」 「妹さん、いくつ?」 「十一歳だ」 「ということは八歳で発現か……確かにそれは大変だな」 身近な存在が目の前で昏倒すればパニックにもなる。 承太郎は病院へ搬送されてほどなく意識を取り戻し、後遺症もなかった。 ただ、妹さんの精神は落ち着いたようで不安定に見え、口数も少なくなったそうだ。 思わず制服の袖を握り締める。やや沈黙が降りて、承太郎がすぐに破った。 「てめーは」 「え?」 「てめーは、いつからだ」 問い掛けにつられて彼を見る。 一瞬だけ交わった視線は自分から逸らした。 「……物心ついた時から」 少し迷ったが、現状のややこしさは脇に置いて真実のみを告げた。 そうか、と相槌を打った承太郎が妹さんの話を続ける。 突然の能力に本人だけの混乱で終わらなかったのは前例が居たからに他ならなかった。 なんと、アメリカに住む親戚が既に能力を発現させていたのだ。ジョースター家は波乱万丈すぎる。 事態を聞きつけた彼(年齢も性別も聞いていないが便宜上)はすぐさま翌日の飛行機で駆けつけ、妹さんを抱き締めた。 夢だ幻覚だと決め付けられない理由はそれこそ承太郎と同じく、ぼんやりと認識できる家族がいるから。 まずホリィさんと思われる彼らの母親はなんとなく見えるらしいが父親は見えない。 親戚の周りにも感じ取れる人はいるとのことで理解者には恵まれていた。 駆けつけた親戚も学生の身分、長居は出来なかったものの妹さんは落ち着きを取り戻し、たまに電話もするらしい。 それから三年、問題は起こらないが何の進展もなく過ごした矢先、現れたのがぼくだとか。確かにそれは真剣になる。 聞き入っていたところでふと視線を感じ、思考に沈んでいた顔を上げると真摯な瞳とぶつかった。 「俺はある程度感じることはできても見えねぇ。それは結局わからんのと同じことだ。 見える奴が他にも居るってのが一番の薬なんじゃあねえか」 「っ、」 それは妹さんへの愛情だけでなく、ぼくに対する相槌の続きだ。 呼吸を止めるほどの衝撃だったはずなのに、むしろ酸素を与えられたような息苦しさの解放を覚える。 「ありがとう」 零れ落ちた感謝はとても五文字では伝えきれない。 まったく、空条承太郎という男は自覚もないのにまたぼくを救ってくれるのか。 「そう言ってもらえてとても、とても嬉しいよ」 言葉は震えなかったけれど、上手く笑えていたか自信はない。 そのままいい話で終わろうにも、承太郎にとっての本題はその先である。 行くつもりは十分にあったものの、善は急げを思い切り体現されて訪れたのは当然ながら空条邸だ。 相変わらず立派な日本家屋であらせられる自宅へヌシヌシと入っていく彼はぼくがついてこないとは微塵も思っていない。 いや帰りませんけどね、ここまで来て。そういえば最初の最初だってその日に連行されたことを思うと輪廻の業の深さを感じた。 以前は旅立ったスタート地点、そこへ戻ってきたのだ。軽く胸元を押さえ玄関をくぐったところ、すぐ見える廊下に人影を捉える。 振り返ったお団子頭、小柄な相手は横顔からちらりと承太郎へ視線を寄越し、静かに言う。 「……お帰り」 物凄い美少女だ。この一言で表現してしまって誠に申し訳ないが、頭をよぎったのはそれだった。 整った目鼻立ちに意志の強い瞳、ホリィさんよりは承太郎によく似ている。 外国の血のおかげかジョースター家の遺伝子か、十一歳にしては背も高い。 中学生でも十分通るんじゃないか。 あのあたりの一学年差は大きいからなあ、なんて完全に傍観者の気持ちになりかけたぼくの前で家族の日常会話が交わされる。 ホリィさんは地域の集まりで遅くなるから夕食は作ってある、とかなんとか。会えないのは残念だが、スタンドの話をするならそのほうが都合がいい。 さて、どうやって切り出したものか。そもそも自己紹介から始めなければ、と考えたあたりで少女がぼくを見た。 承太郎の後に続いたのでおそらく最初は死角になっていたのだろう、部外者に対する不審の眼差しが向けられると思いきや一言。 「被害者?」 「おい」 疑問と共に繰り出された実兄への侮辱に本人からのツッコミが入った。 彼女は口元に手を当てジョースターさん風に言うならオーマイガッというような表情で承太郎を見る。 「だって誰も連れてきたことないのに家とか……ついにやらかしたのね」 「真顔でボケるな。ダチだ」 「はあ?!それこそボケんな!一匹狼気取りがッ!」 兄の回答で瞬間的に眉を跳ね上げる反応はとてもドスがきいていた。 あ、この美少女口が悪い。さすが承太郎の妹だ。勿体無いという気持ちと同時に謎の安堵を得たのは何故だろうか。 「ちょっとそこのあんた、脅されてない?弱みとか握られた?」 本気で心配してくる様子に思わず笑いが漏れる。承太郎には睨まれたが妹さんの表情は解けた。 「本当ですよ。友達の花京院典明です、はじめまして」 土間のギリギリまで歩み寄り、屈んで目線を合わせる。手を差し出すと段差の上から握り返してくれた。 「空条徐倫よ」 じょりーん、と聞こえた名前の音を胸中で反芻。察したのか、わざわざ漢字まで説明されてしまった。 字だけ見ると思い切り日本人だが、なかなか難易度が高い。 「ちゃんづけは却下」 何と呼びかけたものか口を開きかけ、ぴしゃりと遮られる。 「徐倫、さん」 思わずついた敬称に丸くなる目は、すぐ笑みに変わった。 「あっは!子供にさん付けるぅ?いいわ、呼び捨てで」 「徐倫」 「ノリアキ、これでおあいこね」 崩した表情は年相応な無邪気なもの。 繋いだ手を話す間際、二重にぶれて見える腕があった。 「!?」 見間違いなんかじゃないそれは紛れもなく精神の具現、彼女の傍には人型のスタンドが浮かんでいた。 反射的に浮かび上がらせたハイエロファントグリーンを見て彼女はふう、と息を吐く。 「やっぱりね、そんな気がした」 やれやれだわ、と呟く様子に血の繋がりを感じるなあ、なんて逃避の感想が頭を回る。 「こいつが意味もなく人を連れてくる訳ないでしょ」 傍らの兄を指す視線は棘がある。おい承太郎、家族関係についてぼくが言えた義理じゃあないが妹さんとは大丈夫なのか? 女の子は男よりも精神の成長が早いっていうし、いわゆるお年頃かもしれないけれどつんけんされるとこっちがドキドキする。 すぐさま興味をスタンドに戻した徐倫の様子に我に返り、浮かぶ姿を手で示した。 「ぼくの半身はハイエロファントグリーン」 「ストーン・フリーよ。……人型は久しぶりに見たわ」 女性的なラインを持つそのスタンドから、ふわりと届く石鹸の香り。 自分以外が発現させている、その事象が胸へ染みる。 互いの傍らをぼんやり見つめるうち、ぼくは違和感に気付く。 「おめーら、通じ合うのは結構だがな。いつまで玄関にいる気だ?」 「あ」 承太郎のもっともなお言葉により、ぼくと徐倫は一音ハモった。 それと同時、引っかかったのが何だったか忘れてしまった。 ひとまず居間に移動して一服。 お茶菓子まで頂いて、完全に遊びに来た感じだ。 徐倫にはすっかり気に入ってもらえたようで隣に座ってあれこれ話をせがまれた。 なるべく当たり障りのない範囲で幼少の実体験を中心に語ってみたけれど、口にしてから失敗を悟る。 濁すのもどうかとマイルドに打ち明けたのだが、理解者はいませんでしたカミングアウトはやるべきじゃなかった。 開き直るのも時と場合によるな。逆に気を使わせてしまって大変申し訳なく、話題の方向を変えようと気になっていた質問をする。 ずばり、アメリカの親戚だ。従兄弟かどのあたりかは判然としないが、三年前に学生だったならぼくと年もそう変わらない可能性がある。 国境をものともせず飛んで来てくれるのだからよほど仲の良い間柄のはず。その分析は間違っておらず、徐倫は嬉しそうに語ってくれた。 どうやら空条家が日本に来たのは六年前で、徐倫はアメリカで生まれたそうだ。物心ついた頃から可愛がってくれた彼(で間違いないようだ)は 頼もしく、承太郎と二人で兄のように慕っていたらしい。 お兄ちゃんと呼んでいた、のくだりで承太郎が若干気まずそうにしていたのは多分照れだと思う。 微笑ましいエピソードにこちらまで頬を緩ませつつ、忘れかけていた部分を聞いた。 「そういえば、親戚の方はどういった能力を?」 「なんだっけ、遠くにあるものを写真にする、みたいな」 綻んだ表情が一瞬引きつりかける。なんだろう、それは、とても、覚えのある能力のような。 早まりそうな鼓動を感じながら、かろうじて口にする。 「……念写」 「そうそう、それ!紫の茨が腕から伸びてくるのよ」 ぱちん、と手を合わせて笑う徐倫はとても可愛い。可愛いがしかし、ぼくはそれどころじゃあない。 背中に流れる汗ひと筋、渇く喉からなんとか問いを搾り出す。 「その、名前、とかは」 「ハーミットパープル」 咳き込むのをかろうじて抑えた。 そっちじゃねーだろ、という承太郎のフォローにより、本人の名前はジョセフっていうの、という素晴らしいトドメも繰り出される。 もはや脳内ででパニック大売出しタイムサービス中になっているぼくには、確かめなければならない問いがまだあった。 「つかぬ事を聞くんだけど、そのジョセフさんておいくつなんだい」 「今年で二十歳、だったか」 思い出すような視線の動きのあと帽子を触る承太郎、笑顔のまま固まるぼく。 ――若いッ!若すぎるッ! 絶対、確実に外見はぼくの知らないジョースターさんだ。 中身だって年を重ねたからこその彼であり、そもそもアメリカならば面識を持ちようもない。 驚いたって仕方がない、承太郎が前とそんなに変わらないこと自体が奇跡なんだ。 ならば何故ぼくだけが記憶を持つのか、持たずにスタンド使いだけで出会っても良かったじゃないか。 ああ、この世界は一体なんなんだろう。 途方にくれるぼくの頬を、縁側から吹く秋の風が優しく撫でた。 |