触れて結ぶはかけがえのない 3
「夏祭りか、何年も行っていないな」 「じゃあ行くか」 「え」 ぽかんと承太郎を見る花京院は歩みを止めないままで、やがて小さく頷く。外では必ず腕のどこかに触れている緑の糸が甘えるように輪を増やす。 町内の広報板に貼られたポスターを見ての呟きが、あっさり週末の予定となった。 「久しぶりだと力加減が分からなくて手間取ったよ」 約束の時間ぴったりに空条邸玄関へ現れた相手は緑青の浴衣。 茶色の帯へ白い模様が細く入っており、卒なく着こなすシルエットを足元の 黒い下駄まで確かめてから顔に視線を戻す。 「てめぇで着たのか」 「基本の男結びくらいならね、そこまで難しくはないし」 さらりと言ってのけた花京院に頷いて、承太郎も玄関へ降りる。 見るまでもない結び目は角帯のセオリーで、自身も勿論それだった。 「まあ最初はこんなに長いのどうすればいいんだ、とはなったが」 「貝の口は余らせる長ささえ間違わなけりゃあ、いけんだろ」 思い出すように笑うのに相槌を打てば、おや、とばかりに視線が飛ぶ。 「詳しいな。もしや君も自分で?」 「着た方が早ぇ」 身も蓋もない回答に納得したような表情を浮かべ、花京院神妙に呟く。 「君、規格外だからな」 中学までならいざ知らず、現在の身長は195センチメートル。ホリィが着付けるにも限界があった。 ご丁寧に毎年仕立てを確認された承太郎の浴衣は濃藍に白帯、メリハリの利いた組み合わせの足元はオーソドックスな下駄だ。 そして注がれる花京院の眼差しが些か長い。 「なんだ」 行かないのか、の意も込めて口にすると、満足げに笑顔を浮かべて頷いた。 「うん、男前だ」 「ありがとよ」 裏表のない賞賛に応え、承太郎も花京院の浴衣姿をもう一度眺める。 「おめーも似合ってるぜ」 「ありがとう」 ようやく歩き出して隣に並びながら軽口を叩く。 「色男、ってやつか」 「君には言われたくないな」 くすくす零れる笑いと触れ合う袖、門をくぐりきる前に手を取ってその甲へ柔らかく唇を当てた。 夕闇の中、穏やかな声が届く。 「ご機嫌だね」 「見せびらかすのも悪くねぇ」 「おやおや」 *** 聞こえてくる祭囃子が近くなり、比例して人の数も増していく。 いつもの如くハイエロファントグリーンで繋がっている腕をちらりと見やり、承太郎が囁きかける。 「人ごみなら手ぇ繋いでも不自然じゃあねーぜ」 「そう、かな」 「はぐれたいか」 「とんでもない」 誘惑と理性の間で若干揺れた花京院へ畳み掛ければ案外簡単に許可が降りた。 緩く絡んだ指がきゅっと繋がれ、くすぐったげな笑いが落ちる。 「いいな、すごく、恋人みたいだ」 「ちげーのか」 「拗ねないでくれ。噛み締めているだけだ」 被せるようなやり取りは数秒の出来事。 するりとかわす相手は子供を叱るみたいに優しげな声で制し、とっとと夜店へ意識を向けた。 クレープ、広島焼き、フランクフルト。定番のメニューをその順番でいくのか、という気持ちはあったが何せこの人込みだ。 見つけたそばから買っていかなければ面倒なことになる。 花京院はそのあたり思い切りの良い男で、迷わず最初に苺チョコ生クリームだのトッピング過多なものを平らげた。 アイスも入っていたらしいが詳細に興味はない。承太郎は広島焼きから参加して、フランクフルトではなくイカ焼きを選ぶ。 ビニール袋の簡易ゴミ箱へ串を放り投げた少し先、目に止まったのは金魚すくい。 やるか?と目で問いかけたが、すぐ帰るならまだしもこの暑い中で持ち歩くのは可哀想だと結論が出た。 代わりに挑戦したのはこれまた基本のヨーヨー釣り。何故かやる気に満ち溢れた花京院が嬉々として料金を払ったので承太郎も付き合った。 結果、承太郎が7個に花京院が5個。おひとり様3つまで、を更に断って1つずつ持ち、人の列に戻る。 悔しげな視線が隣から刺さった。 「スタープラチナ使ってないだろうな」 「見りゃわかんだろ」 少し空いた道の途中でぱしんと鳴るヨーヨーが花京院の手で踊る。 しばし進むと乾いた音が響いてきた。待ち人の列も多い射的が見える。 コルク弾が跳ねては落ち、跳ねては落ち。たまに上がる歓声と敗者の叫び。 二人してなぞった目線は同じ位置、通り過ぎるまで無言を貫き、小さく問う。 「欲しいのか」 「いや、持っている」 「だろうな」 一番人気の商品は、家庭用ゲーム機であった。 そもそも、取れるように設置しているかも怪しい。眺めた意味としてはそんなところだろう。 迎えた第二ラウンドの種目は、ずばり型抜き。 大人もちらほら混じる挑戦者は皆一様に指先へ神経を集中させていた。 ゼラチンを伸ばして作った薄い板に描かれた模様を爪楊枝で削って抜く。単純だからこそ熱くなりやすい。 やるのは初めてと言っていた花京院は、最初からコマの形を抜いてみせ、店の親父から口笛を吹かれた。 型は選べるようなので、とりあえず適当にするかと覗き込んだ承太郎の瞳が一点を捉える。 すぐさま二枚取り出して料金を払い、厳かに作業を開始した。 「兄ちゃんやるな!パーフェクトだ!」 周囲からの絶賛を受けて我に返る。賞金を貰って店を後にすると、隣で花京院がしみじみ呟いた。 「イルカはともかく巻貝を綺麗に抜いてくるとは思わなかったよ……」 いつもの癖で額の少し上へ手をやって、浴衣だから被っていないことに思い当たる。 ふ、と息で笑う相手があからさまに笑いを堪えていた。 当然だが、スタープラチナは使っていない。 疲れたから甘いものが食べたいと花京院が言うので、カキ氷をそれぞれ買った。 「ぼくはレモンかな。承太郎は?」 「イチゴ」 答えた瞬間、口元を押さえたので今度はなんだと目を眇める。 「いや、君の口からイチゴってなかなかの破壊力だと」 「……やれやれ」 まだ先ほどのが尾を引いているのか、今日の相手は笑い上戸だ。 呆れながら先ほどの稼ぎで小銭を渡し、氷を口に運ぶ。 ひんやり冷たい甘さが心地良く、無心で互いに半分ほど減らした頃、また視線を感じる。 「君、意外と甘いものが好きだったんだな」 「熱いだけだ」 「そうかな?」 得意げに口角を上げた花京院がつらつらと並べるのは、日々自宅で振舞われるお茶請けの種類。 夏なのもあって、水羊羹はもちろん、葛餅からわらび餅、ところてんが記憶に新しい。 花京院が来るのが分かっている日はチェリーパイやアップルパイが出されるけれど、家に常備されるのは和菓子が多かった。 「大判焼きのカスタードは邪道派かい?」 「いや」 「なるほど、生クリームに興味が薄い、と」 締めの質問で分析を終えたか、己の顎元へ指を添えた相手は名案とばかり明るく告げる。 「なら、今度の買い食いではツナサラダを驕ろう」 クレーブに行かないという選択肢はないようだった。 *** 打ち上げる音が次々に重なり、空に咲く大輪の華。 見栄えを気にするならもっと近く、そして高い場所がいいのかもしれないが、それよりも静けさを選んだ。 会場よりもそこそこ離れた境内は薄暗くて、花火が上がるたびあちこち照らされる。 石段へ腰掛け空を見上げてどのくらいか、ふいに沈黙を破ったのは花京院だ。 「楽しすぎてバチが当たりそうだ」 視線を流せば、横顔が眩しげに目を細め笑っている。 その表情は今日、手を繋いだ時と同じものだった。 思わず手首を掴むと、ゆるゆる首を振って動かす。 「本当に、幸せすぎるくらいなんだよ」 穏やかに笑う彼が、心配するなと微笑みかける。 「好きな人と花火まで見れてしまった」 一際大きく咲いた華が、美しい顔を照らす。 息を飲み、掴んだ手の力を緩め、掠れて零した。 「安い奴だな」 「そんなことはない」 上機嫌に綻ばせたまま、花京院の手がしっかりと握り返してくる。 「君は下手な宝石よりよっぽど価値がある」 見据える眼差しはごく真摯、胸の奥から沸き上がるのは衝動。 「てめーこそ」 腕ごと引き寄せ、胸に抱く。そうされるのが分かっていたのか、危なげなく凭れ込んで見上げる瞳。 「買えるもんじゃねーだろ」 「その通りだ」 限界まで近付いた額が当たり、どちらともなく瞼を閉じた。 花火の音が遠く聞こえ、息遣いが侵食する。 すっかり暗くなった空には月と星が浮かんでおり、口付けの余韻に甘える時間としてはだいぶ長かった。 帰りがたい気持ちはお互い様だが、そうもいかないので立ち上がる。 「来年は負けないよ」 「型抜きか」 「なんでもいいさ」 浴衣を払いながら喋る花京院の声は静かな空気に明るく通り、満面の笑みを承太郎へ。 「さしあたっては今年、君と線香花火がしたいな」 ささやかな願いに口元を緩める。 差し出されたその手のひらへ、慈しむようゆっくりと重ねた。 |