触れて結ぶはかけがえのない
人通りの少ない朝の通学路。仲良く登校に努める道すがら、花京院は隣を歩く男の違和感を指摘した。 「君、今日はやたら爽やかな香りがするな」 「匂うって言え」 鼻をくすぐる僅かな甘さの含まれたそれは柑橘系だろうか。 あまりに想定外だった為、承太郎からだという認識が遅れた。 言葉を受けた相手はあからさまな不機嫌を発してくれたので、ゆっくりと首を横に振る。 「いや、不快ではないよ。ただ煙草に慣れているから不思議な感じだな、と」 揶揄ではない意思を示せば苦虫を噛み潰したような顔で少しの沈黙。ややあって重々しく開かれた口の語るところ、それは事故だった。 玄関にてお見送りがてら、新しいパッケージを開けた彼の母親が足元のバランスを崩し、慌てて身体を支えようと受け止める。 そこまでは良かった、しかしホリィの手から滑ったものが肩から胸に掛けて飛び散った。 「芳香剤を被ったのか……それはまた、く、ふふっ」 幸いというか、液体ではなく小さい粒を集めたものだったので染み込みはしなかったが、ばっちり匂いは付着する。 心配げに覗き込む母親を引き剥がしてそのまま登校したのは紛れもなく優しさだ。 普段ならそのままフケてしまったかもしれないが、花京院と約束している手前そうもいかなかったということだろう。 つくづく律儀な男だと止まらぬ笑いを何とか抑え――もちろん睨まれながら――匂いについての所感を述べた。 「香り付きの柔軟材とかあるだろう?でもそれにしては制服からの気もするし、香水にしては、ね」 「違いとか分かんのか」 「身近な女性は母親くらいだから、そこまで詳しくはないな。けれどほら、」 「何だ」 近付く距離でほのかな移り香、だなんてシチュエーションはベタすぎる。 「君が朝帰りするとは思っていないし」 承太郎の足が止まり、表情も停止した。 「なんつーこと言いやがる」 「気を悪くしたならすまない、他意はないよ。ただ、君から香りがしたらそう思う人もいるかな、と。ついね」 呆れの含まれた声にハハハと笑う。 踏み出したタイミング的に一歩先で振り返ることとなり、冗談だと肩を竦めた。 いかにもな不良の出で立ちに不似合いな香水。もっと甘い匂いならば出来すぎだった。 彼を囲む少女たちはきっと、そんなことではたじろがないのだろうけれど。 「おらよ」 一瞬の思考の好きに腕を取られ、相手の胸へ引き寄せられた。 ぎゅう、と押し当たる体温は温かいし筋肉は硬い。 「!?」 混乱しつつ慌てて離れれば、あっさり解放。 鼻で思い切り該当の香りを吸い込んでしまい些か眩暈がする。 ニヤニヤ笑う承太郎が満足げにひと言。 「これでテメーも爽やかだな」 「ちょ、おか、おかしいだろう?!どうして男二人で良い香りさせなくちゃいけないんだ」 被害部分へ直で触れたおかげで主に肩あたりから届くのは濃い柑橘系。 髪からも匂うのは絶対に気のせいではない。ふふん、と上がる相手の口角。 「道連れってやつだぜ」 「締めるぞ」 無意識に発現したハイエロファントグリーンの触手が威嚇するように蠢く。 帽子を斜に構えて視線を寄越す承太郎が、唾から指を離したと思うとそのうちの一本へおもむろに絡めてくる。 「おめーが悪い」 小さく呟かれた声と同時、緑の筋を握る力はごく優しい。 「疑われてんのかと思うだろ」 「は、」 次いで届いた拗ねたような響きに今度は花京院が固まった。 見つめ合う瞳は実に雄弁。今更ながら、とてつもなく失言だったと思い至る。 「その、ぼくとしてはありえないからこそ言ったつもりだった」 本当にただの雑談で、それがまさか、空条承太郎が自分の言葉でここまで動揺するなんて。 口から零れ出た謝罪は驚きと罪悪感で不安定に揺れた。 「……すまない」 「おう」 なんだか気恥ずかしく、視線を逸らす。 気もそぞろになったせいでスタンドは引っ込み、手持ち無沙汰になった承太郎が腕を下ろした。 誘われるよう花京院が腕を伸ばし、優しく触手を握った指へ自ら絡める。 ぎゅっ、と一秒に満たない触れ合いに承太郎は目を見開き、握り返される前に指を解く。 不服そうな眼差しを受け流して、隣へ並びなおす。 「すぐ学校だろう、サボりは認めないぞ」 「チッ、生殺しかよ」 「昼休みに」 舌打ちへ被せるよう上げた声に承太郎が瞬く。勢いに自分で驚いて口ごもり、視線を寄越しては戻しぽつりと落とす。 「キス、くらいなら」 「余計焦れる」 「お互い様だ」 妥協案に文句が掛かり、切り返しも早くなる。 痴話喧嘩未満の妙な空気を打ち消すよう、本音を告げた。 「しかし放課後まで触れないのも寂しいじゃないか」 思い切り見てくる視線が痛い、とても痛い。 (そんなに意外そうにしなくたっていいだろう) 今度は花京院が拗ねたい気持ちになってくる。 睨んで返すと真面目な声色で短く。 「決定か」 念を押す承太郎の示すものが何か、今更言うまい。 「違うのか」 「違わねぇが」 ぶつかる視線、睨み合いはどちらも逸らさなかった。 「君が欲しいならぼくも欲しいに決まっている」 言い切れば今度こそ無言で帽子を下げてみせたので勝利を確信し、上機嫌で緑の糸を隣の腕に巻き付ける。 まるで腕を組んでいるような感覚で相手を引っ張って、学校までの道を歩いた。 |