目隠し鬼隠し どちらまで? 3 ――やらかした。 この一言に尽きる。ここまで自分が馬鹿だと思わなかったが、実際やはり馬鹿だった。 顔を合わせたくないから避けに避けた。食事は無言、もしくは時間をずらし、自分が当番なら先に済ませる徹底ぶり。 基本的に向こうの方が帰りが遅いのだから、逃げ回るのは難しくはなかった。しかし解決にはならない。 ヒロトもヒロトで本当に忙しいらしく、ろくに話さないまま四日は過ぎた。 今までなかったとは言い切らないが、なんだかんだマメなあの社長は時間が合わない日のメールや電話をかかしたことがない。 「恋人か!!」 自分で突っ込んで限りなく虚しくなる。 過ぎた愛情はもはや棘に近い。じわじわと皮膚に食い込んで、薄く流れる血と増えていく傷。 未開封メールは溜まっていたし、着信も表示を見ては無視をした。 これは拗ねだ、ただの癇癪だ。わかってはいてもどうにもできない。 あの夜を思い出すたび頭を掻き毟りたくなるのだ。 夕食の片付けが終わり、ソファを見るとヒロトが眠っていた。この前と逆だ。 なかなか珍しいことだった。テーブルに眼鏡を置き、寝息を立てる様はどう見ても二十代前半。 若いよりむしろ童顔。眼鏡をかけると頭が良く見えるだの割増になるだの誰かが言っていた気がするが、 ヒロトに関しては外しても余りあるというかそもそも顔立ちが整っている。 会社のバレンタインデーは本命が5割以上あるチョコの山を持ち帰る分かりやすさだ。 お日さま園の子供たちにあっさり分け与えてくれるので、少しの罪悪感を覚えた思い出。 ヒロトほどではないにせよ、自分もそこそこ頂いける身だ。 中には直接手渡された本命チョコもある、もちろん告白を伴って。 ――女の子に恋するフラグがあると信じていたこともありました。 先輩の声が脳裏に蘇る。その通り、信じていた、信じようと努力した。 女の子は可愛いと思うし、アイドルの好みだってある。興味がないかと問われれば答えはNOだ。 なのに、それなのに、結局口から出てくるのはごめんなさいの一言で、高二の終わりに至るまで彼女ゼロ。 それよりも、おかえりと自分を迎えてくれる笑顔の方に惹かれるのだからどうしようもない。 すやすや眠る寝顔にお門違いな怒りさえ湧き上がり、無意識に近づいて覗き込んだ。 男の癖に、睫毛が長い。吸い寄せられるように距離を詰めた矢先、ふいに相手の瞼が開いた。 「!」 急いで顔を上げる、と同時に何をしようとしていたのかと理性が戻る。 まどろむ表情、頼りない声でヒロトが呼ぶ。 「狩屋?」 顔に朱が上る。パニックに陥る自分を置いて何度か瞬きながら伸ばされる、手。 「眼鏡がないと少しぼやけて…」 まだ寝惚けた様子はありがたいやら勘弁してほしいやら。 迷いなく頬へ触れると、撫でながらにっこりと引き寄せる。 「どうしたの?」 クッションを思い切り顔面に押し付けた。 そのまま、何が起こったのか疑問符を飛ばすヒロトを置いて自室へ駆け込んだ。 とにかく悔しくて悔しくて悔しくて情けなかった。 まともに顔なんか、見れる気がしない。 そして休日、本日晴天なり。 数日の緊張と疲れは寝不足に繋がり、起きる必要のない朝は見事にすっ飛ばされ目覚めると午後を回っていた。 おそるおそるリビングを覗く、ヒロトはいない。忙殺は継続中のようだ。 トーストを齧りながら、テレビを見る。ニュースが右から左へと流れていく。 洗濯をして軽く掃除して、マンガを読んでゲームして、あっという間に夕方になり、冬の日中はすぐ終わる。 暗くなったのでカーテンを閉めて、そろそろ夕食を考えねばと思ってふと目線が携帯へ。 机の上に置いた端末は、何度か鳴ったものの身構える表示は一度もなかった。 数日の無視が効いたのか、ついに今日は諦めたらしい。 安心と空虚がないまぜになったような気持ちで画面を開く。 数だけは無駄にあるのでフォルダ分けせざるを得ない送信者の名前をクリックした。 問題の翌日に遡る、少しだけ息を飲んで、中身を見た。 夜のことには全く触れず、遅くなるからまた連絡するね、の一言。その文章どおり着信があった。出なかったけれど。 次の日も、その次の日も、変わらないいつものメール。そして四日目、昨日。 いつもの文の後に僅かなスクロール、目を見開いた。 ――今日は、話せるかな。 携帯を落とす。震える肩を押さえる。 自分はなんて、なんて愚かなことをしたんだろう。 変わらず届くメールの意味、流してしまった着信。 そもそも携帯を開いたのは何故か、寂しいからだ。 一人は寂しい、当たり前のことで、それを感じないようにしてくれていたのはヒロトだった。 忙しいくせに少しでも時間を作って自分を気にかけて、不安にならないよう守ってくれた。 孤独を知っているからヒロトは優しい。二人で暮らし始めた時、彼は本当に嬉しそうに笑ったのだ。 そんな相手を傷つけた。 子供じみた勝手な不満で、愛情を跳ね除けて投げ捨てた。 その結果がこの夜だ。堰を切ったように涙が零れ落ちる。 ぼろぼろと泣きじゃくる勢いは止まらず、水滴がいくつも落ちて広がった。 静寂に響き渡る着信音。震え上がって携帯を見る、発信者は―― 「は、い」 動かないと思った手がボタンを押した。何とか声を出すと機械越しに穏やかな音が届く。 「もしもし、いま大丈夫?ちょっと手が空いたから少しだけ。遅くなるけどなんとか帰れそうだから、」 変わらない口調に息が詰まる。無言と解釈したのか、ヒロトが困ったような様子で濁す。 「まだ怒ってる、かなー…、えっと、」 「…っ、」 「狩屋?」 ついに嗚咽が漏れた。しまったと思ったがもう遅い、必死に口元を押さえていると、真面目な声。 「泣いてるの?」 反射的に通話を切った。何を言うか分からない、何を言われるかも分からない。 電源を落として沈黙させた携帯を放り、ソファへと突っ伏した。 どのくらい泣いただろう、泣き続けるのは体力がいるもので、 ついでに鼻が詰まって呼吸も辛いため何度か我に返るうちにおさまってしまった。 しかし頭は痛い、鼻を噛みながら水分を取ろうかとぼんやり考え、更にやらかした事実に溜息を吐く。 「切るなよ……」 テンパったからってあれはない、あれはひどい。 今度こそ完全に呆れただろう。 どこから謝ればいいのか分からないくらいの所業だ。 ソファから立ち上がりかけたその時、玄関から物凄い音がした。 乱暴に開けられるリビングのドア、息せき切って現れたのは、眼鏡をかけていないヒロト。 「!?」 「制限速度無視しちゃったよ」 状況が理解できず硬直したマサキにふっと笑いかけ、早足で歩み寄ると強く抱き締めた。 突如もたらされた体温、中途半端な体勢。 混乱して崩れ落ちそうになるのをソファへ座らせられて、改めて肩へ置かれる手。 膝を突き、視線を合わせ真摯に言う。 「ごめん、一人にした」 「なんで、あやま、」 「狩屋はしんどかったんだろう?そんな時は傍にいなきゃ」 まっすぐ覗き込む瞳は慈愛に満ちて、止まったはずの涙がまた零れそうになる。 「大切な家族なんだから」 目の前の笑顔が滲んで歪んだ。 「ちが、」 「え?」 「ちがう」 止められなかった雫が頬を伝い、慌てて拭おうとする指を濡らす。 余計に溢れてくる涙は感情もぐちゃぐちゃに崩し、言ってはならない本音が口から。 「俺は、ヒロトさんが家族じゃやだ」 もう相手の顔は見えない、しゃくり上げ、満足に喋れもしない状態で首を振った。 「他と一緒なら、いらない」 喚くのでもなく、搾り出したその言葉は音になったのか。 腕で顔を拭って鼻をすする。しにたい気分で俯いていると静かな声が耳に。 「じゃあ、特別にする?」 え、と顔を上げた先、目前に迫ったのは相手の顔。 触れる温かさは体温に相違なく、問題があるとすればそれは部位。 静かに寄せられた感触、離れる段になって理解するしかなかった。 「さすがに保護欲や親愛だけでここまで甘やかさないかな」 「え、な、」 「高校卒業までは我慢してたんだけど」 微笑む顔は限りなく甘く、見たことのない表情だった。 理解がまったく追いつかない、何を言っているのか処理できない。 未だぼやける視界の涙を相手の指がぬぐって、頬を優しく撫でながら額を当てる。 「ああ、眼鏡、なくてもそこまで見えないわけじゃないんだ」 思い出したような、その言葉。数日前の再現の如く、顔が熱くなる。 詐欺だ、これはとんでもない詐欺だ。 どこから、なんて愚問に近い。 あれもこれもそれもどれも、注がれてきたものが親愛でなかったと、したら。 力が抜ける、ソファへ凭れる身体へ覆い被さるみたいにヒロトが乗り上げてくる。 それは少し悪戯めいたことをする時の顔で、だけど感じるものは微笑ましさの欠片もなかった。 自分のせいだろうか、スイッチを押してしまったのだろうか。 踊らされていたなんて、そんな言葉じゃ済まされない。 「もういっかい、キスしようか」 囁く声はあくまで優しく、抗えずにゆっくりと目を閉じた。 かかる息には笑いが滲んで、悔し紛れに相手の服を掴む。 30分後、緑川による怒号を含んだ着信によってその日はなんとか逃げ延びることが出来たのだった。 |