降り積もるだけ、抱き締めて 1


最初に増えたのは歯ブラシだった。大したきっかけもなく流れで泊まる事になり、それならと近くのドラッグストアでそれを手に取る。使い終わった後にそういえばどうするんだと考えてしまい握ったまま考え込んでいたところ、通りかかった南沢に声を掛けられた。

「適当に入れとけ」

そうやって洗面所の戸棚の一箇所、備え付けの歯ブラシ立てへ差し込む。なんとなく、相手のそれとひとつ空けて。自分のものが追加された、という事実がその時はなんだかひどくむず痒く思えた。

甘えているつもりは無い、こともないけれど、むしろ甘えられての結果だろうか。気付けばもう随分、相手の住居を侵食してしまっている。用意もなく泊まれば着替えを借り、結果置いていく羽目になる衣服。いっそ謀られたんじゃないかと思いたいくらい順調な増え方は頭痛さえ覚える。

「気にするな」

その一言で、全て済まされてしまう。

まとめて持って帰ろうと考えたり、さすがにどうかと口にすれば静かにぽつり。そして伸びてくる腕が抱き締めてきてうやむやになる。

分からないなんて嘯くつもりもない。相手はこの状況を喜んでいて、自分もやはり心地良いのだ。

専用のマグカップが当たり前に食器棚へ並び、それを取り出す時の柔らかな表情。何気なく視界に入ってしまった微笑みのせいでソファのクッションに沈んだのも腹立たしい記憶。いつもそうだ、いつも簡単に転がされて相手の内に。仕組んだのでもなく、南沢にとっては自然の行動なのが悔しい。自分が感情を引き出せる存在だと否応なく理解するから嫌だった。

思考へ沈むうち、時間がかなり経っていたらしい。だらしなく凭れていたソファから身体を起こし、伸びひとつ。少し音がして、運動不足を実感。毎日部活に明け暮れる身分でなくなるとこんなものかと自嘲が浮かぶ。今度の休みは予定が無いからボールを持って外に出るのもいいだろう。誘ったら断らない南沢を考えて、口元が緩む。ジャストなタイミングで玄関から音がした。

「おかえりなさい」

移動して出迎えると、相手が瞬く。

「おまえ、いたんだ」

「アンタが鍵渡したんでしょ」

これだけの頻度ならいっそ持ってろ、なんて押し付けたのはどこの誰か。大概が一緒に動いているのもあって、使う機会は意外と無かったけれど。

完全な権利を貰った事実が気恥ずかしかったのもないとは言えない。しかし、渡した本人がその言い草はさすがに微妙だ。うろんな視線を受けて、片手がストップ、のていで突き出される。

「いや、ちがう」

「なんすか」

一度感じた理不尽が拭い切れず態度が悪くなる。だが目の前の相手はもう片方の手で口元を押さえ、みるみる赤く染まっていく。

「やばい、俺、めちゃくちゃ嬉しい」

「ばっ…!」

馬鹿すぎる、馬鹿すぎた。自分の予想をはるかに超えて南沢篤志という男は大馬鹿だった。罵倒さえ瞬時に出てこない間に何故か復活してしまって、まだ顔も赤いくせにとんでもなく嬉しそうな笑顔で挨拶を返す。

「ただいま」

むかつくから、飛びついてキスをすることにした。

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