手のひらの恋を謳う 1


わざとらしい角度で掻き上げる手の動き、前髪を僅かばかり靡かせて口元を上げる。

「南沢さんの真似」
「ぶっは!倉間天才!!」
「タイミングが、間が…っ!」

間髪入れず笑い転げる後輩二名、キメ顔でポーズを決める倉間に尾を引いた笑い声が響く。
馬鹿なテンションの時は何を聞いてもおかしいという、目の前の三人はプリントが飛んでも消しゴムが落ちても
何かしら笑いに変わるくらいの日常を過ごしているんだろう。
扉にかけた手はそのまま、笑みを作って部室へ踏み込んだ。

「おーおー楽しそうだな先輩の話題で」
「げっ」
「げって言うな」

あからさまに顔を顰める首謀者、涙さえ浮かべて笑っていた二人はそそくさと荷物をまとめだす。
大した忘れ物でもなかったにせよ、戻って現場に出くわすとはつくづく面白い。

「お疲れさまっしたー!」
「お疲れ様です!」
「あっ、ちょ、おまえら!」

標的が分かっているようで、素早く駆け出した浜野と速水を望み通り見逃してやる。
慌てて走ろうとする倉間をラリアットするように腕を伸ばし肩を抱き込んで捕まえた。 当たると思ってびくりと一瞬止まったのを押さえるのは容易い、あっさり手中に落ちた倉間をどうするか少しだけ考える。
もがく様子もなく大人しかったので、とりあえず離して顔を覗き込む。ばつの悪そうな、表情。

「怒って、ますか」
「ふっ」

思わず吹き出した。窺うように聞く声はおそるおそるといった感じで、あれだけノリノリでやっておいて そこまで罪悪感をもつのはどういうことなのか。 自分の態度に安堵とむかつきを覚えたらしい倉間が不服そうな眼差しを向けてくる。 本当にちぐはくな後輩だと笑いばかりがこみ上げた。

「かーわいい」

無意識の手はくしゃくしゃと頭を撫で、ほんの少しぽかんとした倉間が、なんなんすか、とまた拗ねる。
それでいて、嫌がりはしない。跳ね除けもされない腕はしばらくその意地っ張りを愛でた。

遠い記憶、もうそんなに鮮明には思い出せないはずなのに、忘れることだけはできない相手。
脳裏に刻まれた姿は、小さいままだった。

瞼を開いて現実を視認、息を吐く。 最悪な夢だ、もっと詳しく言うなら昨日の今日で見たくはない夢だ。
事の始まりは二週間ほど前か、かかってくるはずのない番号から電話がきた。
反射的に出てしまい、図々しくも連絡先を塗り替えることに成功した日曜の午後。
何もしなければ同窓会当日まで現在の日常を過ごすはずだった自分は、異分子を迎え入れていた。
メールなど用件のみで済ませる性質のくせに律儀に返し、これまた律儀な後輩は絶妙なタイミングで返信をくれる。
早すぎない、遅すぎない、時間に溶け込むようなその習慣。受信中のサブディスプレイに意識は誘われた。
馬鹿な話だ、情けなくもなる。やめておけやめておけと思いながら、忘れたはずの感傷に浸りにいく。
五年、二十歳を過ぎたばかりの自分には十分遠い年月だ。印象的な部分だけ覚えて、あとはおぼろげ。
そんな曖昧な記憶の中で、やけに幾つかはっきりと。否、忘れようと蓋をしていたものが少しずつ暴かれる感覚。
よくない、と思った。思い出は美化される、終わったものは掘り起こしてはいけない。
ひとつ踏み外せば、がらがらと。堅牢な壁がひび割れていった。

無意識に発信ボタンを押す。
やばい、と思う前に繋がる。

――いまの倉間が、見たい。

自重すべきだった行動は見事な心労を獲得しての帰路となった。 面影を残して成長した相手、変わらない部分と変わった部分。 浮かれに浮かれて口走ったのは、本音であり含みしかない何か。
己の頭をぐしゃぐしゃと掻き回す。一瞬だけ、はっとした倉間の顔。 一気に醒めた、酔いではなく、いつの間にか陥っていた夢見心地が。 帰ってすぐさま冷水を浴びた。情けない、情けない、情けない、心の中で罵倒する。
手のひらで弄んだひとかけらが、取り返しの付かないほど形を持っていた。
なんとか眠りに落ちて、そして見たのが懲りずに倉間だなんて。
深層意識とやらは自分をとことん追い詰めたいらしい。

その日から、南沢はメールを止めた。

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