求む道理、それこそ不条理 1


「じゃあ、一緒に住む?」

何が、じゃあ、なのか。そんな指摘は口をついて出る前に飲み込まれた。
無表情に見える相手の顔、握った拳がほんの少しだけ震えていたから。そっと手を重ねて、見上げる。

「はい」

途端、安堵の広がる様子に自分が一番安心してしまった。
抱き寄せる力は弱くはないけど強すぎもせず、壊れ物を扱うかの如く。
不安にさせているんだ、と、頭の片隅へ記憶する。したところで、活用されるかはまた別の話であったが。

南沢篤志は掴み所のない男だった。それは踏み入ることを許さない防護壁のようなもので、一歩でも内側に踏み込めば世界が変わることを知る。分かりやすいといえば分かりやすい、気に留めなければ視界にも入らないのだ。何故かお眼鏡にかなった自分は隣を獲得してそのまま進学して、気付いてみれば大学生。相手が高校を卒業する間際、唇から零れたほんの些細な一言でそれは決まった。その時は志望校も未定だったけれど、結局違う進路となり同居も自然と確定。始まった生活はそろそろ二年になる。

かっこつけなスタイルは表向き標準装備だと知った。
寂しくても口に出すより態度で示すことが多かった。
急いても伝えられる言葉は端的で、高校の時だったか押し倒された挙句の問いがただぽつりと。

――…いい?

切羽詰まったその瞳と、それでも力を掛け切れない掌、そして搾り出した音に込められたものを受けて息を飲んだ。
いつだって無理強いはなく、窺ってからの行動。言葉にするのが不得手な自分は随分と甘やかされたのだろう。
一緒に暮らし始めて居心地のいい時間が続く中で、するっと珍しく気持ちが出た。

「俺、南沢さんのそういうところ好きです」

瞬間、見開いた相手は次いで柔らかく目を細め、幸せそうに頬を緩める。

「うん、俺もお前が好き」

よくよく考えると返答としてはおかしかった気もするが、当人が嬉しそうだったので流しておいた。

懐古は現状が憂える時にこそ真価を発揮する。つまり、思い返す記憶と比べてしまう事態なのだ。
いつもの日常を積み重ねる傍ら、積もる別の要素が静かに静かに。
口論もなく諍いもなく――全くなかったとまではいわないが、基本的に有耶無耶に済んでいた。相手は自分の態度から察し、自分もそうやって許し、受け入れ、いつもに戻る。だがしかし、何かの折、耐えるような素振りを見せていた南沢はそのうち隠すようになった。
それが諦めのサインだと、認識する今が、クライマックス。

長い付き合いだ、そう、長い付き合い。加えて一緒に暮らしもすれば様子のおかしいことくらい分かる。
忙しいわけでもなくスキンシップは減ったし、通常を取り繕おうとしているのが手に取るように。
こんな茶番をいつまで続けるのか、なんて考えて、その必要がないと確信。
たとえば、しまいこんでいた荷物の位置がおかしかった。たとえば、いつもすぐに始末するダンボールが最近は一定数溜まっている。あちこちに落ちたフラグを拾い集めれば、そうか、なんだ、と他人事の気分。
見えているのなら、終わりがある。つまり、カウントダウンはもう既に。急激に冷えていく、思考。

思い立った時の行動というのは意外と頭が回ったりするもので、何が必要で不要かを瞬時に選んで荷物を詰めた。そういえばバイト代が出たばかりだったから下ろしていて、事務的に封筒へ揃えて入れる。片付けた机の上、封筒と一枚の紙。封筒に来月分、と記入したのち紙へペンを走らせた。少しだけ悩んで書いた言葉はやっぱり最初に浮かんだそれで、軽く自嘲。ペンを重石にして立ち上がる。
玄関を出て鍵を閉め、ポストへ落とす。響いた金属音が耳に遠い。振り返らずに歩き出す。足取りは重くも軽くもない、いつもの速度。



「倉間いらっしゃー、ってなにその荷物!」

突然の来訪にも嫌な顔ひとつせず扉を開けた友人は、すぐさま大袈裟なリアクション。
一応、泊めて欲しいと連絡は入れたが重装備とは思わなかったのだろう。口早に告げる。

「出てきた」
「家出?まあそういうことも、」
「出てきた」

あるよねー、だの続く相槌へ被せる二度目。思ったより硬い音だったそれに浜野が一瞬口を噤み。

「あー……、とりあえず中入ろっか」

頭を掻いたのち、自分を招き入れる。

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