チェックポイント通過待ち 2


四週目、ついに残り日数も少ない。
宅配に荷物をまとめだすと、嫌でも実感する。
最後の夕食の後、おもむろに倉間が口を開いた。

「また、いつでもどうぞ」
「店か」

言い回しについつい吹き出すと、つられて倉間が表情を緩める。

「いや、うまい言葉出なくて」

頭を掻く仕草に自然と笑みが浮かんだ。

「…ん、そうする」
「……あー、でも」
「?」

無意識に微笑んで少しの間、言葉を選ぶ様子で相手は視線を泳がせた。何かと思えば、想定外の台詞が飛び出してくる。

「あんまり俺とつるみすぎてもあれかなって」
「は?」
「なんか昔から邪魔してたんじゃねーかとか今更ながら」
「いや、何の話だ」

全く意味が分からない、懐かしむ雰囲気でもなかった。
本気で理解できない自分の問いに、僅か視線を外しながら倉間は答える。

「俺がアンタの時間、取ってたんすね」

頭の中を横切る、一本の線。境界線だ、決して交わることのない世界を隔てる、境目。
どうやら倉間は大変な思い違いをしてくれたらしい。
自分が失恋もせずにくだを巻いているのは傍にいたからじゃないのか、と。思春期を捧げたのは他でもない倉間本人だというのに見る影もなかった想い人とやらの存在を知り、唐突に現れたのはまさかの罪悪感。訳が分からない、本当に、訳が分からない。
どうしてそんなものを持つ必要がある、どうしてそんなところで悔やもうとする。
沸々と湧き上がる、怒り。

「何言ってんだよ」
「何言ってんでしょうね」

再び笑った倉間の表情は、困りきったように見えた。


ついに訪れた最終日。折りしも日曜、休日なら移動もしやすいだろうという配慮か否か。
集荷手配も済ませ、あとは身一つで帰るだけ。
朝食を無難に終えて、言葉少なに支度を整える。
そんなに持つものはない、時間を稼ぐような行動が女々しいと感じて心中で舌打ちする。

「そろそろ、行くから」
「あ、はい」

がた、と椅子から立ち上がり、玄関まで無言で歩く。
そう長くもない距離がここまで居心地が悪いとは思わなかった。ここを訪れることはきっと、もうない。
靴を履く前に、散々引き伸ばして持ったままの合鍵を相手へ渡す。金属の感触が離れ、余計なことを口走らないうちにと踵を返そうとする。

「南沢さん」

呼び掛けに肩が止まった。それでも相手を見ることは出来ない。

「…この前、すんません。変なこと言って」
「べつに」

謝罪の言葉に硬い声が落ちる。怯える気配、だが自分を保つので精一杯だ。しかし、発言がまだ終わらない。

「でも俺、南沢さんが幸せ、つか、そーゆーの、なって欲しかったみたいな、たぶん」

こいつは何を言っているんだ。混乱し、思わず、そろりと振り返る。倉間は思いつめたような表情から、頭をがしがし掻いて息を吐く。

「あー、もう、あれですよ?時効ですよ?引いたりしないでくださいね」
「なに」
「俺、南沢さんが好きだったんすよ。中学の時」
「……は」
「この前、数年越しの失恋みたいな。勝手に」

開き直って吹っ切って笑う様は、驚くほどに爽やかだ。
思考が停止する、頭が働くはずがない。何を、言われたのか、何を、言われて、いるのか。反応の出来ない自分をよそに、倉間はすらすらと告白を続ける。

「近くにいると思ってたのは俺だけで、アンタに秘めたもんがずっとあったなんて知らなくて。一年の差ってのは大したことあんだなやっぱり、みたいな」

なんかセンチメンタル、そう言って破顔するのはやめて欲しい。受け取りきれない事実と感情に振り回されて整理できないうち、相手は勝手にまとめに入る。

「そりゃ昔に自己完結はしてたけど、リアルタイムで知ったらもっとショックでした。多分。いま知ってこんだけショックなんだから、本当に好きだったんだ、そっか。って」

はにかむように笑うのは嫌がらせだろうか。ありえない、信じられない。
言うだけ言ってすっきりしてくれた倉間は正直可愛かった。可愛いからこそ、我慢ならないどころじゃない。

「おっっっせえんだよ!」

力任せに鞄を投げ捨てた。床に無様な音が響く。
目を見開いた相手へ詰め寄り、掌を差し出した。

「返せ」
「え」
「鍵、返せ」
「いや、これうちの鍵…」

鋭く視線を飛ばす。射竦められた倉間が先程返したばかりの鍵を手に乗せる。

「…はい」

ぎゅっと握ってから、ポケットへしまい込む。鞄を投げたので選択肢がなかった。勢いを少しだけ後悔するが今はそれどころではない。
大きく、息を吐く。気を静めるなんて不可能だが、やらずにいられないのだ。
こちらを注視する倉間へ、命令の如く言い放つ。

「お前、作る気ないなら今すぐ俺にしろ」
「へ」
「相手」

今度は倉間が固まる番だった。心底困った様子で片手を挙げる。

「あの、話が読めないんですけど…」
「こっちは現在進行形なんだよ悟れバカ!」
「な…………に、が」

埒の明かない態度に本心の叫び。ここまで、この瞬間まで保ってきた矜持など最早クソ食らえというほかない。
ぽかんと聞いていた倉間が呆然と呟き、たっぷり数秒置いて顔を染める。理解したようなら何よりだ。

「え、あ、うえ?」
「どんだけ押し留めたと思ってんだふざけんなよ、もうやめた」

意味のない言葉を発しパニくる相手の肩を押さえにかかり、目線を合わせて覗き込む。赤らんだ頬、揺れる瞳、煽られるなというのが無理な話だ。声が低くなる。

「嫌なら今すぐ跳ね除けろ、今すぐな」
「あ……」

震える身体、それでいて逃げないのが腹立たしい。いや違う、確証が欲しい。過去形にされた想いは風化していないのだと、残っているからこその反応だと実感したい。
微か、懇願が滲む。

「黙るな、期待する」
「…じゃ、ないです」

語尾だけが届く、肝心の部分が――

「聞こえない」
「…っ南沢さんが嫌とかあるわけねぇし!」
「っ」

睨みつける表情と共に吐き出された言葉が最後の自制を振り切った。噛み付くように、唇を塞ぐ。


玄関先で息も絶え絶え、立っていられずへたり込む倉間に合わせて座り、抱き締めて自分へ凭れさせる。
少しぼんやりしながら体重を預け、擦り寄る仕草がたまらない。腕の力を強めて毒づいた。

「くそ、なんで最終日に言うんだよお前」
「すいません」
「すげぇ腹立つ、手ぇ出せばよかった」
「謝ったの撤回します」

殊勝な返事は最初だけで、何も悪くない本心については切り返しが早かった。短い沈黙。顔を見ようと少しだけ身体を離す。目に見えてびくりとする、相手。肩を撫でれば視線を彷徨わせ、おろおろしながら一生懸命に口を開く。

「か、えらないんですか」
「帰って欲しいのか」

ぐ、と一瞬怯む気配。

「質問で返さないでください」
「帰りたくない」
「即答かよ」

吐き捨てるような言い方で眉が寄る。不機嫌を体現しつつも未だ頬は赤い。
指先で皮膚を擽って促した。

「倉間、こっち見ろ」
「や、あの」

目を合わさないことで動揺を抑えているだろう相手が途端に困り始める。指の腹で頬をなぞると耐えられないとばかりに叫んだ。

「こういう雰囲気やめましょう!」

思わず顔へ触れる手を一度離す。とはいえ、凭れる体勢は変わらず片手は倉間を支えている。はっとした様子で視線を寄越し、慌てて説明が向けられた。

「俺は最近いきなりぶり返した訳で、一杯一杯なんすよ!そんな一気に受け取れ、ないです…」

語尾はしぼんでいき、最終的には俯いてしまう。気付けば、倉間の指が服の端を掴んでいる。口元が緩む。
前髪を掻き上げようと指を伸ばす。さらさらと梳き、掌を当てて髪を上げる。情けなく歪めた表情を確かめ、額へ唇を押し当てた。目線を合わせる相手に笑いかけ、目元にも。つい瞑ったのを見計らって瞼へも口付けを落とす。鼻先、頬と続ける頃には困った瞳が自分を見つめていて、再度微笑んで唇を寄せる。柔らかい感触、短く吸うと震えが伝わり、息で笑った。
啄ばんで重ねるうち、倉間の手が肩を掴む。静止かと僅かに離してみれば、不満げな視線とぶつかった。唇が薄く開く。ぞくりと走る愉悦に目を細め、隙間を舌先で舐める。びくんと跳ね、我に返った倉間が今度こそ肩を押した。荒く息をつく様は必死で大変可愛く思う。

「帰りたくない」
「駄々っ子か」

睨む行動もここまでくれば正直意味を成さない。
キスをする間にまた身体は密着して、拒否の形を取りながらも逃げる素振りは一度もなかった。
それでいい、何よりも分かりやすい結果が見えれば満足だ。頭をくしゃくしゃと撫でて、笑顔を向ける。

「早く折れろ」
「サイッテーだなオイ」

心底本音と思われる響きだったので声を上げて笑い、撫でた髪を手櫛で整えながら耳元で囁く。届けた単語に目を見開き、俯くのを緩く阻んで覗き込む。
忌々しげに歯を食いしばるのを見守るうち、小さく聞こえた音に笑みが零れて短い言葉を繰り返す。耳まで真っ赤に染め上げて、もう耐えられないと倉間が掴みかかってくる。その行動が口を塞ぐというものだったので、喜んで身体を抱き寄せた。
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