スパイラルへの解答例 4


「お邪魔、しまーす」
「どうせ誰もいないし、遠慮すんな。つか俺も久しぶり」

試練を乗り越え、二度目の合流を果たしてから向かった南沢宅は、実のところ初訪問である。そもそも、この先輩と学校外でこうやって会って遊ぶこと自体、考えてみれば初めてだった。
家族は出払っているらしい、静かな家の玄関。靴を脱いで並べながらなんとはなしに。

「南沢さん、寮だったんすね」
「あの距離、通えってか」
「ですよねー」
「あとは革命選抜の時とか帰ってた」

靴下で床を踏みながら、三校合同チームを思い起こす。頼もしく、心強かった。三年生と語らう姿に、かつてのユニフォームを重ねたのはきっと自分だけじゃない。またもや良くない思考にいきかけて頭を振る。いきなり目の前の背中が止まって、つんのめりそうになった。肩越しに視線を寄越す南沢が思い出したように、一言。

「飯、百均のパスタだから」
「文句とか言いませんて」
「ソースくらいは選ばせてやる」

茹で時間が長かったのか出来上がったのはアルンデンテではなく柔らかめ。多いかと思いきや二人でぺろりと平らげて、あれやこれやの雑談開始。夜の更けるのも早かった。

「ちなみに俺、明日は図書館行くから八時起きな」

食器を洗い場に置きながら、あくまでも自分のペースで彼は言う。へえ、と相槌を打ちかけて脳内でちょっと待ったがかかる。

「はやっ!」
「平日に比べりゃ遅いだろ確実に」
「いや、そうですけど開館から行くんすか…?」
「時間は有意義に使うもんだぜ?倉間くん」

どうしてこの人はいちいちイラつかせないと気がすまないのか。

借り物の布団に潜り込んでしばらく、一体何をやっているんだと今更ながらに自問する。風呂まで借りて完全にお泊まり会だが、そんなきゃっきゃした間柄でもない。浜野や速水と泊りがけでゲームをしたり、はしゃいだことはある。友達だからだ。じゃあ南沢と自分はなんだろう。先輩後輩、それ以上でも以下でもない。

「倉間、起きてる?」

電気の消えた暗闇の中、隣のベッドから声が聞こえる。

「…はい」

そう間もおかず答えるとかすかに笑う気配。敷いた布団との高低差を音だけでも意外と感じ取れた。

「なに、枕変わると寝れないとか?」
「や、別に」
「ま、起きれなかったら寝てていいぜ。俺は行くから、」
「行きます。一緒に行きます」

つい遮って口走る。鼓動が高鳴り、相手が一瞬黙る。

「あ、そ」

素っ気無いというよりは驚いた感じの短い返答。思わず布団を引っ張り頭から被る。何をむきになっているのか。

「おやすみなさい」
「……おやすみ」

次に答えたのは、雷々軒で聞いたあの優しい、声。



「ん、起きたか」

結局眠りきれなかった倉間は、半ば無理やり付いてきた図書館にて、南沢が本を選んでいる間に眠りこけるお約束を見せた。
時計の時間は十一時、なんだか昨日も同じようなことを同じ人に言われた。今度は電話どころか直に。
自分が覚醒するのを待って本を閉じる相手にもういいのかと聞けば、そもそも借りに来ただけだとのお言葉。

「最近は居座り勉強とか禁止だしな。厳選したし借りて帰る」

どこまでもスマートなこの先輩がやっぱり憎々しい。
眠い目をこすりつつコンビニへ寄れば空腹には抗えないわけで。感覚に任せて昼食を買い込んで南沢宅へと帰還した。

食べてだべってだらだらごろごろ。長期休みかと言いたいくらいのまったり具合だ。昼も大分過ぎた頃、おやつの時間も目の前か、そんなあたりで有限であるという現実を思い始める。つまり、休日の終わりだ。どちらともなく言葉少なになり、部屋にある時計の秒針音がいやに耳に付く。胸に沸き上がる、焦燥感。
本当に自分は何をしているのか。ベッドにもたれて投げ出した足の上で、両手をぎゅっと握る。

「お前さ、散々色々ツッコんどいてこの状況に異議はないのか?」

沈黙を破ったのはまさかの散々好き勝手してきたご本人様。
怒っていいのか呆れていいのか分からない倉間がぽかんと見つめると、程よい距離で座っていた相手が迫るように近づいた。

「おかしいとか思わないわけ?四日連続はやりすぎだろ、つか続かないしな普通」
「いやさすがに若干思いましたけど」
「けど?」

詰め寄ってくる勢いに心なしか押され、背中をずらして移動する。何故かその分相手は迫る。

「たくさん喋れんの、久しぶりだな、って」

きょとん、見開く目。そして瞬く瞳。

「ふは、素直」

破顔したその表情はとても柔らかい。心臓が跳ね上がった。

「いつからそんなに素直かな、倉間くんは」

改心の一撃をかました笑顔は一瞬で、すぐいつもの小馬鹿にしたような色が浮かぶ。これで安心するのもなんだか癪だ。

「あんなにひねてたのに」
「南沢さんにひねてるとか言われたくないっすね…」
「ああいえばこういう」

むぎゅ、と鼻をつままれる。ふがふが暴れる様子に笑い声を零し、指を離すとそれは爽やかな表情で言い放った。

「気に入らなかったんだよ」

笑みが深く、広がる。

「俺の知らないとこで変わってくお前」

フラッシュバックする月山国光ユニフォーム。

「っ、そんなの……アンタだって!」

言いたいことはたくさんあった。初めて違うユニフォームで向かい合ってしまったあの時、思いをぶつけておけたなら、この胸に渦巻く不快なんて言葉で表せない感情は違ったかもしれない。しかし言えなかった、言える訳もなかった。誰よりも目標にして憧れていた相手の見たことのないプレイが見られたのは道が分かたれたからこそ。そして新しい絆を広げていくのも、彼の魅力ゆえなのだ。

「アンタだって…!」

繰り返すことしか出来ない倉間が唇を噛み、俯く。

「そうだな、我侭かもな」

悟ったように淡白に呟く言葉は自嘲めいて聞こえた。

「だから少しくらい一緒にいたってばちは当たらねぇよ」
「え…?」

言葉の繋ぎに違和感を覚える。そんな話をしていただろうか。

「そりゃあ俺も心配してないわけじゃない。でも同時に思った。しばらく倉間を独占できるかもしれない。なんてな」
耳に届いた内容に混乱する。理解が追いつかない。

「そしてのこのこお前は家までついてきた。ばぁか」

顔を上げるより早く、腕に囲われた。背にしたベッドを壁にして両手を突く相手の吐息が、近い。とてつもなく近い。

「俺の、かわいい倉間」
「勝手に話進めんなよ」

耳元で囁かれ、反射的に足で相手を蹴り付ける。さすがに避け切れず、まともに腹へ食らった南沢は無言で肩を震わせ数秒耐えた。この雰囲気を壊したくない矜持があるようだ。馬鹿だと思う。

「所有物扱いされる前提なんて知りませんけど」

ふん、と鼻を鳴らす。ぶはっと噴き出す目の前の馬鹿。

「…ないわ。ほんとかわいい、おまえかわいすぎ」
「意味わかんねーし!」

堪えるような独り言は棒読みに近いくせに何らかの感情がにじみ出ていて薄ら寒い。蹴った際に俯いた形になり前髪で隠れて表情が見えないのが更に怖い。反論する声もつい高くなる。相手が動く。

「無理、マジ無理。いま俺一人だからもう覚悟決めろよ」

前髪の間から覗いた瞳はぎらついてこちらを射竦める。全身が震えて頬に熱が上った。ぎし、と軋むベッドはすぐ後ろ、しかも相手の私室で二人きり。とんでもない状況だと遅ればせながらやっと理解する。

「え、ぁ、ちょ、」

肩を掴まれて思わず目を瞑った時、メール着信音が鳴り響いた。

「…空気読めよ携帯」
「送り主に言ってください」

張詰めた糸が緩んで脱力する南沢。心底惜しがっている相手を置いて、神の助けとばかり携帯を開けばまさに神の名のつくキャプテンから無事を知らせる便りが一通。

「神童!なんかよくわかんねえけど皆帰ってくるって!円堂監督にも会ったとか!」

全員に一括で送ればいいのに、律儀な友人はテンパって三人それぞれで送りつけた生存確認メールへ丁寧に返信してくれていた。詳しくは帰ってから話す、という締めくくりを読み終わって安堵と喜びで一杯になっている傍ら、南沢が小さく愚痴る。

「……俺の障害ってやっぱ雷門なんじゃ」
「なにいってんすか」

ふてくされた態度を咎めるふりでつついてみるとぶっきらぼうに短く返る。

「嘘」
「知ってます」
しれっと追加したところ、何がツボに入ったのか拗ねた気配はどこへやら、くく、と音を漏らしたかと思うと高らかに声を上げて笑った。ひとりしきり笑ったのち、再度顔を寄せて頬を撫でさすり、手のひらをそっと添えてくる。ゆっくり触れて重なる温かい感触に一度瞬き、刹那、ぞくりと背筋へ震えが走った。顔が、熱い。

「…キスは許せよ?」
「事後承諾しといて……」
「もういっかい」

目を細めて舌先を覗かせるのはやめてほしい。
完全に油断していた、手際が良すぎて怒る気すらない。戸惑う間に調子に乗った相手は顎へ指をかけてくる。物凄く悔しいしむかつくが、そんなに嬉しそうな顔で迫られて断れるはずもなかった。唇を撫でる舌がくすぐったくて身じろぐと、隙間にねじ込んで口内へ侵入してきたので驚いて歯を立てる。あまり強くは噛まなかったものの幾らか怯んだらしい舌が名残惜しげにこちらの舌を舐め、ん、と声が零れたことで満足したかなんとか出ていってくれた。開放された口で荒く息を吐く。いつの間にか背中に回った手が優しく撫でて、吐息交じりの声が囁いた。

「舐めたい」

ぞくぞくっと肩が跳ね、指で服を握る。揶揄めいた遊びかと睨みつければ思いのほか懇願のように見受けられ、おずおずと口を開けた。今度はしっかり入り込んだ舌が絡みつくのを好きにさせ、その代わり服の上から爪を立てた。自分はなんだかんだ、この男に甘い。痛感するしかなかった。

濃厚なキスをとことんやり終えて、見るからに上機嫌な南沢が慈しむように頭を撫でる。ぐったりした倉間はしばらく口を開くのも億劫で、相手の体温へ甘えるように凭れていた。
まったく何がどうしてこうなったのか、文句は浮かぶものの嫌なわけではない。嫌ではないからやり場がなくて困る。キスの最中も何度か、おそらく浜野や速水あたりだろう着信が鳴ったが、二人とも最早気にしていなかった。むしろ余裕があるはずもない。
名残惜しげに離れないのを感じ取り、南沢が笑いかける。

「まあまたピンチに陥ったら甘えに来いよ」
「嫌です」

即答で言い切る。あからさまにむっとする顔がおかしくて遠慮なく笑った。

「乗り越えてやりましたって報告なら来ます」
「上等」

すっきりした顔でまっすぐ答えるのがお気に召した様子で南沢も笑う。その時だ。途切れた会話を縫うかのごとく続け様に鳴る着信音。またもやなタイミングに思わず顔を見合わせる。無事を知らせるファンファーレみたいなその音も、二度は許してもらえず持ち主より早く伸びた手が無造作に電源を切る。一旦は呆れた視線を向ける倉間だったが、口元を緩めると両手を伸ばして相手の頬へ。驚いた表情にくすくす笑いを零し、今度は自分から顔を近づける。

「今日はまだ、アンタにあげますよ」

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