無意識転じて籠の中 1


「お邪魔しまーす」
「ああ、お帰り」
「……ただいま」

なんか違う。そう突っ込みたい気持ちを抑えて挨拶を返すこと数ヶ月になる。
大学生になった南沢さんは一人暮らしを始めた。駅近くのマンション、オートロックで家電付き。
小奇麗な場所に最低限の荷物だけ持ち込んで、というか引越しも手伝わされた。しかも卒業式の翌日に。
一応見送る側として立っていたはずが、あっさり次の日の予定を聞かれるのは拍子抜けだ。
手に持った新聞とチラシの束へ視線を落としてしみじみとする。

「朝刊と夕刊両方とかポストぱんぱんなんですけど」
「お前が取ってきただろ」

問題でも?と言いたげな相手にもはや指摘しても無駄かもしれない。
個人情報、プライバシー、そういった類はこの人の頭には――いや、それも違う、
俺だからポストも開けさせるし、合鍵も渡そうとするし、ここまで開けっぴろげなんだろう。
さすがに鍵は断ったが、これだけ頻繁に来るならもう貰っておけば良かった、手間的に。
同じ高校を受験して、同じユニフォームで試合して、あっという間に過ぎ去った二年間は輝いていた。
卒業したからって関係が切れるでもなく頻繁に会っているのは浜野に言わせれば、ちょー仲良し、らしい。
そりゃあ悪くはない、これで悪かったらすごい。しかし、だがしかし簡単に終わらせられない事情が俺にはあった。

「進路ちゃんと出したか?」
「親ですかアンタ」

リビングの机に新聞の束を放り投げて荷物を下ろす。ソファで本を読んでいた南沢さんが視線を上げてこっちを見た。
俺は三年生になった。中学生とはまた違って高校生の三年ってのは更に何かしら鬱陶しい。
進路に悩んで日々を過ごす奴が多い中、俺の方向性は早々に決められていた。

「お前、少しずつ荷物移しとけよ。俺みたいに整理できないだろ」

何故かここから同じ大学へ通うことが確定済み。
それを信じて疑ってない、いや、この人の場合は当然だと本気で思っている。

「なに、不満?」
「いーえ、べつに」
「嘘付け。こっち来い」

僅かな空気の変化を読み取って南沢さんの視線が変わる。
棒読みで適当に答えれば、本を閉じて傍らに置いた。
聞きたいことがあんなら自分で動けよ、と思いつつ物凄く見てくるから近づいていく。ぶっちゃけちょっと怖い。
腕を組み足を組み、相手が口が開く。

「そっちの行きたい学部、うちにあんだろ」
「そういう問題じゃないと思います」
「高校と今で一年待つのも相当なんだよ、大学四年くらい寄越せ」
「くらいってレベルか?!」

簡単に言ってのけるその態度に思わず声を上げた。
おかしい、この人はおかしい。知ってたけどおかしい。
だけど俺の突っ込みなど意に介さず拗ねた様子で言葉を続ける。

「先約だの実生活に関わるアレコレまで言ってねーよ。俺を優先的に構えって言ってんの」
「割と矛盾してんの自分でわかってます…?」

大学を決めて一緒に住めというのはどう考えても実生活に関わっている問題だ。
日本語通じてないんじゃないか、そんな気持ちを込めて呟くと、スッと真顔になり目を細める。

「約束」
「う」
「…約束」

確かめるように、噛み締めるように言うその単語。
それを出されたらどうにも反論が出来なかった。
条件を飲んだのは俺だったし、撤回するにはあらゆるものが絡み付いて離れない。
思い返す、四年前の出来事。

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