ありふれた分岐点


「まーた、そんなこと言って」

自主練習を終え、着替えの合間に取り留めのない雑談。ありふれた日常の一部である。
笑いながら手に持ったジャージを翻した。途端、何か引っかかる感触。
不思議に思って引っ張ると、いて、と聞き慣れた声が落ちる。
手元へ目をやる。事実確認。

「っ――!」

しゃがんでいた談笑相手の髪にファスナーが思い切り引っかかっていた。


「どうしたんだ!いま叫び声が…っ」
「神童助けろ!」

たまたま通りがかった神童へ倉間が必死の様子で振り返る。
その傍らでは、なんともいえない表情の南沢が頭からジャージをぶら下げていた。

「え……と」
「ほら神童が困ってるだろ、落ち着けお前は」
「いやだって、ちょ、すんません!ほんとすんません!!」

動くと絡まった髪が引かれて痛いのでしゃがんだままキープするしかない当事者はテンパる倉間を呆れたように宥めている。 駆け込んではみたものの、反応に戸惑う神童。見守るに留まったキャプテンを見かねて、南沢が助け船を出した。

「そこ。部誌取りに来たんだろ?適当に解決するから持ってけ」

指で冊子の在り処を示すと、ぱたぱた手を振って退室を促す。
神童は心配そうに僅か逡巡したが、南沢の意を汲んで会釈をして部室を後にする。
見送った被害者が軽く溜息をついたのち、倉間へ軽いデコピンが飛ぶ。

「っだ!」
「落ち着けバカ。そしてさっさとコレを外せ」
「じゃあ切ります!」
「何を」
「ジャージを!」
「なんでそうなる」
「だって南沢さんの髪が!」

角度もあったのか結構しっかり絡まってしまったらしく、倉間からは結構な大事に見えるようだ。 該当部分を切ったところで結局やることは同じなのだが、ジャージを取り除くという一点へ意識が向いているため聞き分けない。
二度目の溜息をついた南沢が、小首を傾げて気だるげに呟いた。

「じゃあ責任とって?」
「取ります!」

勢いよく返事をした後輩へ、先輩からありがたいチョップがお見舞いされた。

「引っ掛けただけなんだから慎重にやれば取れるっつの。俺じゃ見えねんだからお前やれ」

そろそろ、倉間で遊ぶ以前に帰りたくなってきた南沢の真面目な意見により、ようやく解放への一歩を踏み出す。
どうしようもない数本だけは引き千切るしか手段がなく、ハサミはないがカッターはある、なんて提案も、さすがに怖いという理由で却下された。 騒いだ時間の方が長かったんじゃないかと思うくらいに案外さくっと絡みは解ける。
簡単に終わらなかったのはその後のお説教だった。

「…お前さあ」

椅子に座って足を組む相手を前に、倉間はとにかく恥ずかしい。
どうしてそこまでテンパったのかと問われると答えに窮するが、既にやってしまったことを言い訳も出来ない。
もっと落ち着いて生きろ、だなんてツッコミを拝聴しながらひたすら謝罪を繰り返した。

「あんま扱い荒いと、そのうちぶっ壊すぞ」

締めの言葉と共に、ジャージを渡された。
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