今更ながらワンモアステップ 2


結局、大して連絡も出来なかった彼女未満とはあっさり切れてしまった。キャーキャー言う割に勝手な期待で幻滅するとは女子の生態は謎である。都合よく暇を潰す程度と思う時点で及川に誠意などありはしないが。
親と親戚に頼まれて甥っ子のお守りについたその日。死ぬほど見たくない顔に出会う羽目になる。
あろうことか自分へ頭を下げてまでアドバイスを得ようというその根性が凄い。本当に凄い。ただ請うだけの昔と違って答えを求める態度なのが重ねて癇に障る。それでいて、あまりにも馬鹿馬鹿しい相談などしてくるから、いまだ変わらない支配者根性を指摘した。悔しげに口を引き結ぶ影山を見て、久しぶりに溜飲の下がる思いだった。
それが完全に塩であり、調子付かせたと知ったのは数日後の話。
夕飯後から就寝までの自由時間は至福のひと時。部屋で寝転がり、雑誌を読んでいた時だ。着信音なんてスマホにしてからほぼ一律であるし、その日は本当に気を抜いていた。だから何も考えず、慣れた動作で受けて耳に当ててしまった。

「あの、ありがとうございました」
「はあ?!」

聞こえた声と台詞に手の中の画面を見る。表示は間違いなく影山飛雄で、告げられたのは感謝だった。メールは何か違う気がして、とかそんな言葉が聞きたいのではない。どうして、何故、わざわざ自分へ掛けてきたのか。

「やるべきこと、分かったんで」

しっかりした口調は報告ではなく反芻だ。人をダシに再確認なんてやめて欲しい。

「あっそ」

聞きたくもない前向き宣言に機嫌は急降下。

「チビちゃんと一緒に目指せて良かったじゃん。向こうの先輩もみんなみんな、お前の味方でしょ。良かったね飛雄。今こそ理想の環境だよ、見習う人も身近だね」

爽やかセッターを筆頭に影山を取り囲む温かい空気。悪意しか湧き上がらない及川とは何もかも違う。

「もう俺なんかどうでもよくなっちゃった?」
「え」

間の抜けた反応で我に返る。唇から零れてた文字列に自分で驚いた。混乱の渦中にいる自分へほどなく投げられる素の回答。

「及川さんは敵ですけど」

信号の色は赤です、並に平然と飛んできた。

「倒します」
「お前だって俺の敵だよ!ばーかばーか!」

反射的に叫んだ台詞はなおもスルー対象。

「知ってます。聞きました」

(だからそのお前の俺に対する淡白が!)

「なんなの飛雄ほんとむかつく!おこだよ!」

喚き散らして電源を切ったのち、情けなさすぎて頭を抱えた。

もう着拒とかしていればいいんじゃなかろうか、そこまで思い始めた矢先。運命というか神様の采配というか及川への嫌がらせとしか思えない力の働きはなかなかガチだったらしく、ロードワーク中にばったり出会った。

(げっ)

「及川さん」
「よく会うね、飛雄」

わざとらしく作った笑みに会釈する相手は若干ぎこちない。散々弄り倒した成果もあって、影山は及川に対してある程度身構える癖がついている。突然の遭遇に動揺した自分が何故だか悔しく思えた。

「握手」
「はい?」
「握手だよ。まさかわかんないのお前」
「わかります!」

素直に手を差し出すあたり、後輩気質とは素晴らしい。軽く握ったのちに親指以外の四本を絡ませ、残りをぐっと押さえつけた。

「ハイ俺の勝ちー」
「?!」

抵抗する力が強くなり、爪の感触が滑って親指が逃げる。ぐぐぐ、と握り合ったまま攻防戦を繰り広げ、やがてどちらともなく荒い息を吐く。指相撲は組んだ箇所を伸ばしてしまえば決着がつかないのだ。

「飛雄、大人気ない」
「どっちがですか」

無駄な体力を消耗した二人はようやく手を離す。睨み合うでもない微妙な間、いきなり鞄を探り始めた影山に油断した。

「及川さん、シール集めてましたよね。はいクマぁ!」
びたん! そんな効果音がつきそうな勢いで額へ指ごと叩き付けられる。痛みに続いて張り付く感触。

「おまえイケメンになんてことすんの?!だいたいシールの粘着力落ちちゃうでしょ!?」

すぐさま剥がして確認すれば、ゆるいクマのキャラクターが笑いかけてくるイラストと点数。思考が止まった。

「ていうか、シールって」
「あ、さすがに台紙持って走ってませんよね」
「そうじゃなくて」

首を傾げる影山。その表情はやはり昔と変わらず見えて。しかしそれよりも、そんなことよりも。

「お前、俺のこと覚えてたんだ」
「なに言ってるんですか」

一年しか被らなかった他愛ない日常、バレーの実力としての自分しか興味がないのだとずっと思っていた。でもそれは思い込みで、及川の勝手な勘違いで、影山は単にバレー馬鹿がどこまでも顕著なだけの後輩だった。よく考えろ、よく思い出せ、そもそも影山が仏頂面なのは現在進行形だ。本当に淡白なだけの子供が、泣いている奴にティッシュなんか渡したりするものか。
夕日に照らされる中途半端な坂道の上、人通りの少ないそこで無意識に両肩へ掴み掛かる。

「お前はどうしたら俺のものになるの」
搾り出した声が低く苦い。睨みつけて覗き込んだ影山の瞳が大きく大きく見開かれた。
「意味わかんない?そうだね、お前は馬鹿だからね」

鼻で笑って掴んだ両手を滑らせて抱き締める。身じろぎもせず硬直した身体はされるがままだ。ややあって、呆然とした呟きが漏れる。

「及川さん、俺のこと好きだったんですか」
「そうだよ好きだよばーか」

今度こそ吐き捨てて肩口へ顔を埋めた。投げやり気味の告白は後輩を完全に石化させたらしい。

(拒否るなら突き飛ばすくらいしろっつーの)

責任転嫁丸出しでのろのろ顔を上げたところ、今度は及川が固まる事態になった。
クソ生意気な仏頂面は、驚愕だけでなく真っ赤な色を乗せて染め上がっている。

「黙んないでくれる?!」

八つ当たりの叫びと同時、火照りは自分へも伝染した。


 ***

ロッカーを片手で開けながら、意気揚々とコールする。迷いなく選んだ履歴からワンタッチ、繋がる相手へ明るく呼びかけようとした時だ。

「オイコラ及川、今日は早上がりっつってんだろ」

さっさと部室から出ろ、の意を込めて岩泉から拳骨が下ろされる。

「っだ!」

タッチパネルに指が当たり、スピーカーモードになってしまった。持ち直して解除しようとする間、数秒途切れた音をいぶかしむように相手の声が響く。

「及川さん?」

最近のケータイは高機能なもので、それはクリアに二人の耳に届いた。もう発信中だったと殴った後に気付いた岩泉が謝罪を言い掛けて、はたと止まる。

「もしかしなくても影山か」
「岩泉さんですか。お久しぶりです」

(待って二人とも、何で分かったの) 

持ち主を置いて挨拶を始める先輩後輩の空気は穏やかというか和やかだ。もともと影山は上下関係がしっかり身についているので当然といえば当然だが、烏野での和気藹々ぶりを思い出して少し面白くない。
どこでスピーカーをオフにしようかタイミングを計りかねているうち、幼馴染がとんでもないことを言い出した。

「影山、あんまりうざかったらな、着拒……してもいいんだぞ」
「岩泉さん…!」
「やめてくれる?!飛雄にそういうの吹き込むのやめてくれる?!」

聞いたこともない優しげな音程に感動したような後輩の声。お前らなんなんだ、お前らはグルか。思わず本気で突っ込んだ及川を置いて、影山が真剣な声になる。

「お客様サポートからでいいんですか」
「ああ、代金もかからないから積極的に使え」
「岩ちゃああああああああん!?」

絶叫のちモードを切り替え、通話口で説得に入る。

「ちょっと飛雄!やめなよ?!泣くからね!及川さん泣くからね!」
「泣くんですか」
「興味持たない!」

瞬間上がったトーンは完全に好奇心の塊だったので、こいつならやりかねない気がして声を落とす。

「あのね、飛雄。言っとくけど、拒否ったら俺が泣いてるかも分からないよ」
「あ」
「お前ほんとバカだよね……」

間抜けな一文字で安堵を覚え、呆れたらいいのか哀れんだらいいのか複雑な気分になる。数言交わして、じゃあ後でね、を言いかけたところ思い出したように影山がぽつり。

「でも、及川さん、前に忙しいって」

(こいつはそういうことばっかり覚えてんだから!)

「俺が!お前に!会いたいの!悪い?!」

耳障りな電波切断音。ツーツーと聞こえる高めの単音に舌打ちする。

「切りやがった……」

どうしてやろうかとこめかみを引きつらせた途端、コールが鳴った。通話ボタンを押して無言で耳に当てる。

「すいません、間違って切りました」
「ほんとにい?」

上がる語尾に乗せる疑惑。それをかき消すよう早口が被さった。

「悪くないです」
「え」
「悪くないです、それじゃ」

再び途切れる電波と終了の合図。耳元で響く無機質な音はしかし、苛立ちをもたらしはしなかった。

「……意味わかんない」

じわじわ胸元からこみ上げる感情を黙殺する。少し離れた位置で幼馴染がやれやれと溜息を吐く。 

「最初っから一言伝えてりゃいいんだよクソ及川」


 
待ち合わせ場所の公園。ベンチに座っていた影山は、こちらに気付いてすぐ立ち上がり、ぺこりと頭を下げる。

「飛雄クソ生意気むかつく可愛い」

一息で零した感情に相手がぱちぱち瞬く。その間、ずかずか距離を詰めて抱き寄せた。

「むかつく、むかつく、むかつく、むかつく」

呟きながら力を込めても腕の中は大人しく、むしろどうしたらいいか分からない様子だ。ひとしきり体温を確かめたのち、片手だけ顎を掬うのに動かして目線を合わせる。 
相変わらずまっすぐ見つめ返すしかしない図太さが我慢ならず、衝動で唇を奪った。やや固まる後輩に少しだけ満足して、ゆっくりと離れていく。目線を僅かばかり泳がせたあと、影山はおそるおそる口を開いた。

「あの、及川さん怒って」
「そうだよ、おこだよ!」

いつかと違って面と向かっての文句は馬鹿馬鹿しさ余りある。言い逃げ出来ないぶん、丸ごと伝えてやろうじゃないかとただそれだけ。

「俺ばっか一喜一憂してほんとありえない」

完全に拗ねた吐き捨て、まさに子供だ。それで結構、高校生なんてどうせガキなのだと居直る気分。

「え、と、よく分かりませんけど」
「期待してない」

戸惑いがちに言うのもぴしゃりと撥ね付ける。生まれた沈黙でしぶしぶ視線を相手に向ける。抱き締めてもキスしても微動だにしてくれなかった影山が、そっと頬へ手を伸ばす。触れる掌に息を飲む。

「一方通行だったら俺、来てませんよ」
「っそこは好きって言うとこじゃないの?!」

期待はずれ極まれり。誠実な響きでもって届いた言葉はさすが影山というレベルでずれていた。

「あ、はい。好きです」

もういい、もうお前になんて期待しないとやさぐれる直前、あっさり投下された爆撃に及川は完膚なきまで打ちのめされた。

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