追いかけっこフィナーレ 2


ホテルの一室、スイートルーム。備え付けらしい上等なタオルで顔を押さえながらなんともいえない気恥ずかしさに包まれている。

――いまどこ?迎えに行くわ。ね、カーリー。

そう告げた彼女は本当に早かった。嗚咽まみれのひどい発音でどこまで通じたか分からないが、運転手もつけず高級車で乗りつける美女の迫力は凄まじい。崩れ落ちた自分を支え助手席へ導き、VIP専用の人目のつきにくい入り口からこの部屋まで招き入れる手筈はお見事の一言。 
車の中で差し出されたシルクと思わしき美しいハンカチは当然ながらぐっしょりで、座ると同時にタオルと入れ代わった。もっとも、それに気付いたのは混乱した頭が冷えてからだったのだが。
考えてみれば、いくら当時と既視感を覚えたからといってミスティが引き金で泣くのはだいぶ失礼だ。ここまで醜態を晒しておいて、理由は言えませんだなんて口にできる訳もなく、だがそもそもダークシグナーのことは触れない暗黙の了解みたいなものがある。
顔の皮膚が腫れて痛いのも相まってタオルから離れられないカーリーをよそに、スイートルームの主、兼、メシアは机へことりとカップを置く。

「お久しぶり、カーリー」 
静かな声と、甘い香りが柔らかく届いた。おそるおそる顔を上げれば、微笑んだミスティがそっと紅茶へ手を添える。頷いて温かさを手に取った。一口含んで広がる優しさが喉を通る。安心からの息を吐く。

「何が、と聞くのは無粋かしら」
充分な猶予をくれた上での問いに勢いよく頭を振る。指を動かして制した彼女がおもむろに瞳を細める。

「そう、思い出したの」
息を飲んだ。

「あの、ミスティさんは」
「私も覚えているわ、しっかりとね」
今も昔も現実のみ語る唇はよどみなく、思わず視線を伏せた自分を追いかける。

「耐えられない?辛い?」

カップをぎゅっと握り締める。

「それは、言ってはいけないと、思うから」
「あら、真面目ね」

揶揄の意味もない感想は少し意外そうで、額面どおりではなく他の言葉の代替といった風だ。震える指と揺れる水面、見つめていた紅茶を机に戻し、改めて祈るように手を握る。

「だって、全てが終わって元に戻ったからって、何もなかった訳じゃないんだから」

人々の悲鳴も嘆きも絶望も、そしてそれへ加担する側になった自分も。
闇の力を得たあの時から、加害者となってしまったのだ。

「そうね、その通りよ。ただし、あなたの思い込みを一部訂正しなければならないわ」

肯定をもって頷く彼女はしかし、厳かな雰囲気のままテストの解答よろしくさらりと口にした。

「言っておくけど、ディヴァインは私が地縛神に食わせたのよ」
「えっ…」
「貴方がジャックと戦ったように、私もアキさんと戦ったわ。その時、あの男が現れた。そして真実を知って怒りに任せ、ぱくり」

間抜けな擬音と綺麗な手が模す動きが重なる様はシュールでしかない。
あまりにも衝撃すぎる告白に思考が活動を諦める。

「ダークシグナーが消えたことによって魂は全て解放されたでしょうし、生きているのかもしれない。それを思うとやりきれなくもあるけれど」

膝へ置かれていたミスティの片手が衣服に皺を作る。だがそれも一瞬で、彼女は涼しげな眼差しで言葉を続けた。

「でもそれを言ったところで解決する問題ではないわね」

己の事情はすぐさましまい、カーリーへと向き直る。掛かる対象はお互いに、紡いだ先への未来を信じて占い師は告げた。

「私たちには時間がある、たくさん悩んでいい。だけど忘れないで、幸せになる権利は絶対にあるの」

伸ばされた両手が頬を包む。覗き込む近さはいつかと同等。

「ほら、顔をよく見せて。私の占いは知っているでしょう」

微笑む彼女は慈母の如く麗しい。

「大丈夫、いいことが待ってるから」


ミスティのおかげで持ち直したものの、全てを切り替えるのは至難の業である。しかし迫ってくるのはリアルという無常。つまり、仕事だ。
ジャック・アトラスの特別記事は発行日が決まっている。明日には本人へ草稿を見せ、許可を貰ってから仕上げにかかるのだ。普段の自分なら喜び勇んで会いに行くところだがさすがに事情が違う。
今までと変わらぬテンションで接するのは無理があるし、だからといって態度を変えすぎても不審がられるだろう。なくて良かった記憶の何割かは最後の場面だなんて頭が痛い。
正直、蘇った当初は何故どうして勿体無い!の一言に尽きた。せっかくの当事者の記憶を、ジャックたちが活躍した名勝負を知らないなんて、と嘆いたものだ。しかしよくよく考えるうちにダークシグナーがどのように負けたのか誰も話さないことに気が付いた。遊星はもちろん、クロウやアキ、双子に牛尾、そして深影に至るまで関係者の口がとかく堅い。 自分に関係するのに!と憤慨した部分も少しだけあるが、旅に出たり故郷へ戻ったりした他メンバーを思うと突き詰めるだけが正道ではないとも考える。真実は大事だが、人の心はもっと大切だ。暴くことで誰かを傷つけるなら、そこは違うとカーリーは首を振る。
そして実際、蓋を開けてみれば大爆発。報いを受けたのは自分だった。
闇の力に引きずられた悪行はもちろん、最終結果がとんでもない。

「あれだけやって復活したらスルーって…!」
もちろん、記憶にないのだから続きからやられても困ったかもしれないがそれより何より、ジャックは関係を白紙にした。さすがに嫌われてるとまでは思わないけれど、踏み出す前の二人を彼が望んだのなら。たくさんの人を巻き込んで迷惑をかけて好きな相手まで引きずり込もうとして、呆れられたか見放されたか、いや彼は自分を想ったからこそあの闘いにもなったのだ。そこまでは分かっても、かわされ続けた年月を考えると余計な恋心なのかと臆病になる。親愛以上恋愛未満のようなカテゴリは存在するから人間関係は難しい。自分の一人試合であれば消えたいくらいだ。
だってもしも、もしもの話。負い目が彼をそうさせているのであれば、傷つけない距離を保っているのであれば、辛すぎる優しさだ。
あの時は良かった、伝われば良かった。今もそうである否定はしない。もし、ジャックが他の誰かを選んでも祝福をすると胸を張って言える。 
カーリー渚が望むものはジャック・アトラスが彼らしく輝きを放ち続けることであるのだから。

「でも、でもそれでも」

感情は理性だけでは治まらない。

「――悔しいし悲しいしすっごくイヤなんだから」
 
そして所業に対する罪悪感も嘘ではないのに、同じくらい重く彼のことが圧し掛かることがどちら様にも申し訳なかった。
ダークシグナーへ堕ちた原因さもありなん、自分はなんて矮小かと深く息をつく。

「せめて、きらきらした姿を追いかけたいの。ジャック」

1へ
   3へ

戻る