Never Surrender 5


予告通り、海馬もモクバも忙しく、大会当日まで会うことはなかった。さすがに浚われた翌日は気が気ではなかったが、構えたからといってどうにもなるものではなく、それで大会へのモチベーションを落とすことこそ本末転倒なので、一旦、城之内は生活に戻った。逃げるにしろ何にしろ、当日にならなければどうしようもない。
憎悪にも近い感情の爆発、海馬らしいというか似合うというか、そんなことを思うのは失礼なのかもしれないがぼんやりと考えた頭ではなんとなくしっくりきていた。遊戯への恨み節なら腐るほど聞いてきたが、まさかのまさか、自分にお鉢が回ってくるとは世の中分からないものだ。ただ、回ってきたその感情が憎しみなら、立ち向かうなり打ち払うなり己の魂のままに応対できたけれど、困ったことにぶつけられたのは全く違う性質のものだった。
悪意ではない感情を簡単に打ち払ってしまえるほど、城之内は非情にはなりきれない。ましてや、あんな内面を見てしまってはどうでもいいだなどと―――…
気に食わない男である、手段を選ばない行動には何度も憤った覚えがある、情というものを馬鹿にしているくせに弟にだけは惜しみないそれを注いでいた。
相手の邸に初めて訪れたのは、忘れもしない逆恨みな復讐の序章。だが子供たちに囲まれ笑いかける姿と語った夢の内容だけは今と違わぬものだった。
今はいないもうひとりとの遊戯の戦いの果て、自分は結末しか見ることの出来なかったあの闘いで海馬はいったい何を見たのだろう。アルカトラズが崩壊する中、全員の度肝を抜いて飛翔し、向けられた軽い挨拶と不敵な表情。それが海馬瀬人の姿を見た最後だった。
元々そう来ていなかった学校は転校手続きを済ませてあり、しばらくは騒然としていた学校も季節が過ぎればすぐに元の静けさに戻る。無遠慮に授業中だろうが扉を開け、何食わぬ顔で自らの席で仕事を始める風景は過去のものとなったのだ。城之内だって気にしなかった、今の今までそんな流れさえ忘れていた。
だからふいに再会してしまった時、凡骨というお決まりの呼び名さえなければ、自分は噛み付くことさえきっとしなかった。海馬相手に腹を立て、罵り、勝負を挑む明確な理由みたいなものが、もうひとりの遊戯がいなくなって綺麗さっぱり消えてしまったのだから。そりゃ軽い悪口の応酬くらいはしたかもしれないが、ぎゃんぎゃん声を上げて掴みかかるなんてことには多分ならない。
海馬はそれが不満だったのだろうか。
声を荒げた月の夜、車内でのやり取り、ぶつけられた激しすぎる感情の波。
腕を掴まれたあの時、もう駄目だと思った。引き込まれてしまう気がした。だが海馬はそこで詰めきらず、猶予を与えて解放した。
強く掴む海馬の手は、微かだが確かに震えていた。
答えの出るはずもないまま、長いのか短いのか分からない一週間は過ぎ去っていく。


そして大会当日、デュエルキング復活!と華々しく謳われた遊戯は若干困っていたけれど、その名に恥じぬ活躍を見せて優勝した。決勝戦が高笑いと、それはどうかな?の応酬だったことを付け加えておく。
持ち前のガッツとリアルラックと決闘者魂で見事準決勝まで勝ち上がった城之内は、遊戯と見応えのある試合を繰り広げ、敗退。悔しくもあるが、親友と大舞台で戦うのはなんとも気持ちのいいものだった。三位決定戦もめでたく勝利し、遊戯たちやモクバとハイタッチを交わした。
いつものメンバーでファミレスにて軽い打ち上げを行った後、それぞれ別れて家路についた。まだまだ語り足りない雰囲気でもあったが、仕事や用事を抱えている者もあったため、後日改めてがっつり騒ぐことで承諾した。新進気鋭のゲームデザイナーも大変である。
珍しく一日オフの城之内は、家に向かう途中で携帯の着信に気がついた。メールが一件、開いてみるとモクバからで、今日の労いとよければ久しぶりに海馬邸に来ないか、というものだった。時刻はまだ日が落ち始めたばかりで、今から行けば話し込んでいるうちに夕食をごちそうに、の流れになるだろう。いつもならすぐさま了承の返事を出すメールも、今回は躊躇せざるを得なかった。しかしモクバを断るのはかなり気が引ける。城之内は携帯を握ったまま、しばらく固まって動けなかった。

「返事遅いから気付かなかったのかと思ったぜ!」

結局、海馬邸を訪れた城之内は自分の流されやすさをとても実感していた。だが、出迎えて嬉しそうに笑うモクバを見て、まあいっかと思えてしまうあたり、懲りていない。
海馬は事後処理の後、他の仕事の準備に取り掛かったらしく、なかなか帰ってこなかった。これ幸いと早めに帰れるものなら、最初から誘いに応じていない。決まったものとして夕食の用意が始められてしまうくらい、城之内は海馬邸に入り浸っていたのだから。なんだかんだと話し込み、夜もふけてきたあたりでさすがに城之内も腰を上げた。

「なら、泊まっていけよ!部屋ならたくさんあるんだし」

一瞬、海馬の差し金を疑ったものの、モクバにそんな企みがあるわけなく、単に久々に城之内と遊べる時間が終わってしまうのが寂しいのだろう。次の日が早いのにうっかり長居してお言葉に甘えたこともあったが、さすがに今日は、今日だけはその言葉に乗るのには抵抗がありすぎた。

「悪い、今日は帰るぜ。また来てやっから」
「ちぇー。ま、しょうがないか。絶対だからな!」

疲れが出たのか、欠伸をかみ殺すモクバを部屋まで見送って、ようやく城之内は玄関へと向かう。

「貴様、まだいたのか」

踵を返すその刹那、かかった声に条件反射。それが誰か確認する必要はない。城之内は、走り出した。 
 
「っ待て!」
 
まさかの逃走に面くらい、固まった海馬はすぐに復活して追いかけた。広いといっても勝手知ったる邸の中、そうそう逃げ切れるはずもない。短い追いかけっこは城之内がある部屋に閉じこもって終わりを告げる。

「子供のような真似をして楽しいか貴様」
「うっせえ!勢いってもんがあんだよ!」

ぎゃーぎゃー騒ぐ城之内にあからさまな溜息をつく、どうせ気付いていまいと、手前にドアノブを軽く引いた。

「うぉわっ」

勢い余ってたたらを踏んだ城之内を抱きとめ、ニヤリと笑う海馬。 

「残念だったな、この部屋は外開きだ」
「だ、騙したなー!」
「貴様が勝手に勘違いしたんだろうが」

また騒ぎ出す前に素早く扉を閉め、煩い口を文字通り塞いだ。動きの止まった城之内に深く口付け、躊躇なく舌を挿し入れる。遅れて逃げようとする舌を絡めとり、しつこく口内を蹂躙した。僅かな痛みに噛まれたのだと気付き、舌を解くと腹部に鈍い衝撃が走る。
 
「っにすんだよ!」
「それはこちらの台詞だ」

次いで突き飛ばし、距離を取る城之内を厳しく見つめ、海馬は冷たく言い放つ。

「オレを見て逃げるとはいい度胸だな、よもや貴様、」

射殺すかのような目線。

「なかったことにするつもりではなかろうな」

恐ろしく低い声音で凄んでくる様子はギャグで済ますには無理があった。怒りの方が勝っている城之内は毒づき、してねーよ、とぶっきらぼうに吐き捨てる。その態度に鼻を鳴らし、海馬が足音を立てて距離を詰める。火花が散るかという睨み合いののち、至極勝手な言い分を語りだした。

「俺以外のことなど微塵も考えられぬよう支配してやる。

肯定しか聞かん、さっさと落ちろ。そして俺を至上のものと理解しろ」

「お前、それ脅迫だって分かってるよな。素だとしても本気でヤだけどな」

半目で即座に拒否する城之内、だがそんな反応も海馬は一笑に伏す。

「貴様は意地を張っているだけだ。でなければとっくにここにはいまい。観念しろ」
 
何か、太いものが切れる音がした。

「っだあああ!押し付けんのもいい加減にしろよ! そりゃお前は嫌いじゃねぇし割と存在を受け入れちまってるからこちとら自制が働くんだよ! 骨折られなかったこと感謝しろ!なのに好き勝手好き勝手ありえねぇだろ、図々しすぎるってんだ!」

馬鹿にして見下して罵って、友好的なものが何ひとつないのに告白が成立するとはそれこそどういうことか。そんなものに振り回され踊らされ恥ずかしい思いなどしなければならない義務なんかない、あるわけがない。

「ハッキリする方向が間違ってんだろ!」

口をついて出た言葉にハッとする。じゃあ何か、方向さえ間違っていなければ自分は――

「で?」
 
疑問を持ったその瞬間、表情の変化を見逃す海馬ではなかった。瞳に剣呑な光が宿り、責めるように言葉を繋ぐ。

「それはオレの行動言動に対するただの文句だ、答えになっていない上に話が進んでもいない。オレが聞きたいのは貴様が受け入れるか否かだ」

扉へと動いた身体は引き止められ、壁へと打ち付けられた。海馬の手のひらが乱暴に壁を叩く。

「逃がさん」

それは獲物を捕らえた猛獣の目、ぎらぎらと光るその色は危うく、そしてどこか脆い印象を受ける。

「猶予は与えた、今日ここに来るのも貴様に選択権があったはずだ、モクバが呼んだからといってオレを避けたくば日を改めればいい、断りきれなければさっさと帰ればいい。しかし貴様はここに残った、それが答えだ。何かに気付いたのであれば今ここで全て白状しろ」

低く押し殺した声で海馬が告げる。早口に伴ってところどころ掠れる音が、感情をどこまでもリアルに伝えてくる。
とても、耐えられるものではない。

「断る」
「却下だ」
 
肩にかかる力が強くなる。 

「言え」
「嫌だ」
「城之内」
「嫌だっつってんだろ!」

抑えつけた腕を振りほどき、城之内がわめく。 

「だってわっかんねぇし!テメェのことも自分のこともさっぱりだ!」
「オレとて貴様に対する感情が説明できればとっくにそうしている!」

いらつきを爆発させた海馬の言葉が場の時間を止めた。

「ここにきてそれはねーだろ…」

まさかの逆ギレに呆然としてツッコむ城之内。思わずその場にへたり込むが、海馬の開き直りは止まらなかった。

「ただ分かるのは貴様がオレの手の内になければいつまでたっても気が治まらないということだ、それ以上の理由などない。そして生憎、オレは目をつけたものを諦めるなどという負け犬根性は持ち合わせていない。」

――こいつは駄目だ、本当に駄目だ。

城之内は心からそう思った。
こんな台詞を誇らしげに吐ける生き物など、この海馬瀬人を置いて他には存在しないだろう。そしてその存在を仕方ない、で済ませてしまえそうな自分にこそ、目を覚ませとビンタを食らわせたい。ああ、最悪だ。

「城之内、貴様が欲しい、寄越せ」
 お前、その脅迫で頷いてやるオレに一生感謝しろよ」

恨みつらみを込めた悪態が、精一杯の譲歩であり抵抗であり承諾の言葉であった。 次に伸ばされた手は、振り払われることは、ない。
 

観念しつつも大人しくなりきれるわけない城之内に思う存分これでもかと行為を求めた男は、起き上がれない相手の髪を梳いてみたり、自分のつけた跡をなぞって睨みつけられたり、朝からゴーイングマイウェイ&上機嫌。驚くほど優しげなその手つきで城之内の肝胆を寒からしめた。これ以上なにかされては身体がもたないのと、天変地異を恐れたダブルアタックである。
ニヤニヤと口角をあげるその表情は、見惚れるどころか限りなくむかっ腹が立つ。とはいえ、それを向けられる選択をしてしまったわけだ。流された、思いっきり流された。が、機嫌のよさそうな目の前の男を見て憎めない時点で自分はもう手遅れなのだろう。
盛大に踏み外した己の人生を思い、城之内は溜息をついた。

試練は始まったばかりである。

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