KYDJ たとえば、好きだと言われて受け入れて、関係が変わったとしよう。心の中の立ち位置というものはそう簡単に変わるだろうか。 そんな感情を持ってしまった時点で根本が変化しているのは承知の上で、どうも釈然としないのが本音だ。断る理由がなかったと言ってしまえば簡単だが、だから同じ気持ちですよろしく、なんてことはない。断れなかった理由はただひとつ。自分は流されやすいのだ、情に。 分かりやすい結論に辿りついたところで、城之内は深々と溜息をついた。 海馬コーポレーションの最上階へと運ぶ高速エレベーター。自分の後ろを流れていく景色、まだ少し慣れない浮遊感。 ぼんやりと階数表示を見上げているうちに目的の階へと到着する。開く扉を抜け、部屋の前で立ち止まり、城之内はまた溜息を吐く。ここに呼びつけられるのは初めてではない、むしろ社員に顔パスしてもらえるという現状が疲れる気分に追い討ちをかける。これなら海馬邸で待たされる方が何倍もありがたい。邸の人ににこやかに歓迎されるのもそれはそれで困った気分になるのだが。 『そういう関係』になってすぐ、海馬は城之内の時間を求めた。とにかく空いているのなら来いとばかりに軽く拉致られた回数は両手では足りない。本人が来て口論で立ち喧嘩になったこともあれば、土下座せんばかりの勢いで頼み込む黒服集団に気圧されて同行したこともある。ちなみに本人が来た場合の勝率は五分五分だが、部下の場合は城之内が同情を禁じえず八割方負ける。それを学習したか元々忙しいのか、あるいは両方か、海馬の寄越す丁重なお出迎えとやらを受けざるを得ない状況になってしまった。別に会うのが嫌とまで言うのなら一番最初から拒否もしているが、そういうことではなく、ただ生来の負けず嫌いな性格から反骨精神が沸き起こり、呼ばれるたびに悪態をつきまくる始末。気力と体力の無駄遣いである。 そうでなくとも顔を合わせれば嫌味と罵倒の応酬だった組み合わせであるからして、予想通りの展開と言えないこともない。いい加減、互いに限界が訪れた頃、海馬の叫んだ一言が決めてだった。 「嫌なら来るな!」 反射的に動いたのはれっきとした権利である。 「お前が言うか!」 遠慮なし、怒りに任せてクリーンヒット。一週間ほど顔出し業務が滞る弊害が出た。 三日後、苦虫を噛み潰したような表情で現れた城之内は『殴ったこと』は悪かったと口を開く。居心地の悪い沈黙が続く中、海馬の言った台詞は予想外。 「貴様が一度でも自分から訪れれば良かっただけの話だ」 開いた口がふさがらないとはまさにこれ。 「おまえ、ばっかじゃねーの」 それを境に2人のギスギスした空気はやわらいだ。単に城之内が開き直っただけとも言う。 ともかく、行かなきゃ機嫌が悪いなら行ってとりあえず満足させときゃいいか、なんて投げやりに近い義務感から、 仕方ねーから呼ばれてやるよ、レベルに進歩したのだ。呆れ笑いを滲ませつつの言動に、モクバを始めとする周囲が胸を撫で下ろしたのを本人たちは知らない。 当時を思い返しついた溜息は自嘲、何やってんだと思いつつもやめる気はない矛盾を抱え、城之内はドアノブへと手をかけた。慣れてしまった部屋の空気、足元のふわふわする絨毯を踏みしめて室内を見回す。部屋の主が見当たらない。 「なんだ、いねぇのかよ…」 無駄な心構え的なものをしていたので気が抜けた。呼んだくせにと文句を紡ぎ、無遠慮にソファへ腰掛ける。ノックさえしなかった己の行動は棚の上、したところで「そんな分別があったとはな」と鼻で笑われる。してもしなくても馬鹿にするなら絶対にしてやるもんか、意味のない反抗心がまた生まれた。前と違うのは、そのやり取りを楽しんでいる自分。第一、自分に優しい海馬なんてそれこそ考えただけで寒気のする悪夢だ。 一瞬でも想像してしまい、ぶるりと頭を振ったところで机の上の書類が目に付いた。企画名からするに、海馬ランド関係だろう。よくもまあ、次から次へと仕事を詰め込むものだ。 いや、ちょっと待て。 「機密っぽいものを放置すんなよ!」 「誰がそんなことをした」 「うわあっ」 いきなりかかった声に驚いて、ソファに思い切り倒れこんでしまう。その様子を鼻で笑い、見下ろす角度に海馬が立った。 「相変わらずうかつだな、貴様は」 「うっせー!人を待たせといてなんだその態度」 気恥ずかしさを含めた八つ当たりをぶつけたところ、目の前の整っている事実は腹が立つけど認めざるを得ない顔が僅かに歪んだ。 「煩い、頭に響く。あまり騒ぐな」 「なんだよ、具合悪いのか?」 転がった身体を起こした城之内を手で制し、眉間に指を当ててぶっきらぼうに返す。 「仮眠を取っていただけだ」 少し寝過ごしたが、と続く言葉は城之内の耳に入らない。ツッコミたい部分は山とあったが、それよりもなによりも根底の部分が信じられなかった。 「お前……寝るんだ?」 数秒の沈黙が支配する。 「今、この場で貴様も寝かせてやろうか」 ゆらり、一歩踏み出した海馬の表情は軽く子供が泣き叫ぶくらいに怖い。低血圧の人に下手な発言をしてはいけない、城之内はひとつ賢くなった。 |