方程式の解 3 いい度胸だ、と思う。 腹の立つことに主導権はかなり向こう側にあったのだ。そうならざるを得なかった。 最初に受身になってしまったが為にこちらにも意地だったり拭いきれない悔しさだったり、まだまだ噛み合わない何かが残った。 それでもいいからと引き摺り下ろした本人は言った、言ったも同然だった。にも拘らず、自分からカードを引く気がないとは一体どういうことなのか。 悪いのが誰かなんて争いがしたいわけじゃない、そんなのはなんの意味もない。 ただただひたすらに、ぶつけてやらねば気が済まないものがある。己に滾る気持ちのままに、城之内は海馬の前に立った。 「機嫌、悪いんだって?」 開口一番、語尾を上げて薄く笑えば久しい顔が険しい瞳をこちらに向ける。 「何をしに来た」 「邪悪なツラ拝みに」 「……モクバか」 しれり返せば数瞬ののちに事態を把握して舌打ちをひとつ。大層な出迎えだ。 「あからさまに落胆するなよ。そもそもモクバが知らせなきゃ俺はここにも来ないだろ」 後ろ手に扉を閉める僅かな間に海馬の動揺を感じた。そう、この男は拗ねたのだ。 モクバに言われてきたという事実に拗ねたと同時、そうでなければ自分の元へ城之内が訪れるのは遅いどころか可能性さえ低い事実にも拗ねた。 なんと勝手なことだろうか。 「知っている。機嫌取りならいらん、帰れ」 「帰ったら帰ったでまたキレるくせに」 「ほざけ!貴様のその見通したかのような口振りが一番気に障る!」 イライラと手を組み睨みつける様子も想定の内、鼓膜に叩きつけるような罵声だって怖くもなんともない。 そうやって声を荒げて現実から逃げるのを既にお互いに一度やっているのだから。 思い返すのは月の夜。純粋に海馬を心配した手を振り払われ、ぶつけられたのは強烈な感情。 ――何度、オレの心を乱せば気が済むのだ! 意味の分からない感情の投げ捨てをムリヤリ理解する羽目になったのはその後だ。 そうやって自分を逃げられない場所まで引きずり出しておいて、今更逃げるなんて許せるものではない。 「ならどうしろってんだよ」 低い音が怒りを伴って零れ出る。 「帰れ」 「海馬」 動かない相手にずかずかと近づいて詰め寄った途端、海馬は椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がった。 「帰れと言っている!」 「言いたいことあんなら言えっつってんだ!」 振り払おうとする腕を己の腕で止め、胸倉を思い切り掴み上げた。ネクタイをぐいと引き寄せ、額付き合わせる距離で城之内は声を張り上げる。 「俺がお前といるのは罰ゲームか何かだと思ってんのか!」 自分の耳にもびりびりと響くほどの大声は海馬を沈黙させることに成功した。 「基本的に鬱陶しいくせに妙な遠慮ばっかりしやがって……気を使うところが違うだろ!傍若無人に振舞いまくっといて俺が押さなきゃ引きこもるだぁ…? だったら最初っから手ぇ出してくんな!あほ!」 「ふ、ざけるなふざけるなふざけるな!凡骨の分際で俺に楯突きあまつさえ意見しようなど愚の骨頂、貴様などいなければ不愉快な気持ちにもならずに済んだのだ、貴様さえ貴様さえ貴様さえ…!!」 数秒の停止は最後の罵倒で砕かれた。掴む手首に指が伸ばされ強い力で引き剥がしにかかる。 止め処ない海馬の罵りを遮る術を城之内は知っていた。 「好きだ」 引き攣る相手の表情。 「きっ…さま」 「そういえば言ってなかった。好きだよ、お前が」 わなわなと震える指に、そっともう片方の手を被せる。 「だから少しくらいなら聞いてやるから、我侭」 なおも震える怒り及びそれ以外のものを城之内は受け入れる。 「勝手に俺を決め付けるな」 そのままするりと、抱きついた。温かさに安心したのは自分だけではない、はずだ。 経過すること、数分。ぴたり、動かなくなった海馬を見るとまたもや表情が固まっている。 こんな時のアドリブがさっぱりきかない、とは自分が主導権を握っているから思えるのだろうか。 とにもかくにも、さすがにずっと停止されていてはたまらない。 興奮して気が大きくなっている今だからできることでもしてやろうと城之内は再びネクタイを引き寄せる。 されるがままの海馬に笑い、自ら唇を重ね合わせた。それでも鈍い様子の相手に呆れつつ、舌先を唇の間にねじ込んだ。 口内に侵入するが早いか舌は絡め取られ、口付けはどんどん深くなる。 一瞬離れた合間に呟かれた言葉を拾ってみれば、ひと言。 「馬鹿が…」 思わず苦笑を零そうものならすぐさま、何を考えていると不機嫌な声。 「そんなもん、お前に決まってる」 答え終わる前に呼吸ごと貪られ、聞く気がないなら言うなと心底思った。 自分たちは、まったくもって平和である。 |