方程式の解


気安く入れるファーストフード店。 24時間営業になってからますます立ち寄りやすくなったそこは、 万年金欠の城之内が利用しやすい場所のひとつである。
奥まった角の席、明るいBGMにそぐわない少し難しい顔をしたモクバが、シェイクを両手で握り締め呟いた。

「来るつもりはなかったんだ」

話は少し遡る。
バトルシティ終結ののちアメリカへと渡った海馬は知らないうちに転校手続きを済ませており、 もう1人の遊戯との別れを噛み締めている間に学年も上がり、卒業式が訪れた。
卒業アルバムの集合写真の片隅に申し訳程度に合成されているのを見て爆笑したのも記憶に懐かしい。
時折帰国してはメディアを騒がせる若き実業家を目にするのも珍しくはなく、友人たちと噂したことだってある。
もはや雲の上と言っても差し支えない人間を見かけた時には錯覚じゃないかと思った。 諸々の話は長くなるので割愛するが、嵐のように現れて散々引っ掻き回してくれた男はとんでもないことを言い放つ。

「貴様を浚いに来た」

意味も分からず混乱する城之内に対しよりによって割と正攻法で挑んでくる海馬は正直とても恐ろしく、 常の傍若無人な行動100%で来ていれば殴って済ませられたのにと今でも少し思わないことはない。
じわじわと追い詰められ、降参してしまったおかげで上機嫌の海馬社長なんてオプションがついて今に至る。

モクバは2人の関係に一切ノータッチの姿勢を見せた。 人に言えないどころじゃない付き合いに発展している身としては、 ありがたすぎて頭を下げたい思いである。
渡米する前、まだ小さかったモクバも今や中学三年生となり、そこそこに背も伸びた。
兄より先に交友を深め、ちょくちょく遊戯やらも交えて遊んだりもする仲でお互いに遠慮もあまりない。
それが、もの言いたげな顔をしてバイト帰りを待ち伏せていたのだから驚いた。
とりあえず手近な店に入り、腰を落ち着けたのがこの状況だ。SPの皆さんには申し訳ないが近くで車中待機して頂いている。

「もしかしなくても、海馬だよな?」

シェイクを持ったまま沈黙してしまったのに苦笑して、話を振った。
モクバはこくりと頷くと、バニラ味を一口すすって決心したように口を開く。

「兄サマが、不安定なんだ」

最初は滞っている新企画のせいで不機嫌なのだと思ったらしい。
あちこち修正や練り直しが重なった仕事は苛烈を極め、ここ数週間は目の回る忙しさだった。
もちろんモクバも例外ではなく社内外を同行または別行動で走り回る。
つい先日、ようやく治まったひと騒動に安心して息をついたものの、海馬の状態は変わらない。
そういえば似たような事例が去年にもあった気がするのを思い出す。ちょうど城之内とささかやかではない 攻防戦をしていた時期だ。もっとも、原因が分かったのはある日を区切りに急に機嫌を回復した兄と、 諦めたような顔をした城之内を見てからであったが。

「思い返してみれば、たまーにだけどその兆候があったんだよ」

城之内の話題を出す時、電話する時、微かに滲む名前のないその違和感は不思議に思っても分からない。
その後は決まって城之内を呼び出したりするものだから、単に独占欲かと思考を終了した。
だが、事情はそんなに簡単でもないことをモクバは後から思い知る。

「城之内、どれくらい会ってない?」
「え?んー、と、1ヶ月、ちょい?」
「それだよ!」

バン!と片手で机を叩いて乗り出してきたモクバに城之内は心なしか後ずさる。
微妙にぬるくなったコーラを飲みながら、首を傾げた。

「いやでもたまにあるだろ、そのくらい。アイツ忙しいんだし」

ちなみに最長期間は今のところ2ヶ月、海外視察と新製品の発売が重なって連絡もままならなかった。

「でも時間作ろうとはしてたでしょ?」
「オレが無理でポシャったけどな。おかげで帰ってきたあとうざかった」

元々、勤労学生と社長ではスケジュール調整に無理があるのだ。
大学進学を決めてから自立した城之内は高校時代の僅かな貯金を切り崩しながら学費を稼ぎ、 日々慎ましく生活している。たまに実入りのいいバイトがあれば軽く引き受けるし、 休める時はきっちり休んで体調管理も怠らない、それで単位が取れなくては本末転倒だからだ。
海馬は隙間を縫ったお互いのオフを見事に管理してみせ、突然であっても城之内や自分に支障をきたすことは あまりしなかった。完璧ではないのは本人曰く不可抗力だそうだが同意された試しはない。

今回の場合、何が問題なのか。
それはこの1ヶ月、海馬が全く連絡を寄越さないことだ。
城之内からすれば激しくどうでもいい上に問題でもなんでもないけれど、モクバの追撃は厳しい。

「それは、どうせ気が向けば来ると思ってるからだろ」

びしり、指を突きつけられさすがに言葉に詰まる。
そう、ハッキリ言って城之内はひたすら受身であった。それは海馬がこちらから動かなくてもいいくらいに 近づいてくるからこそ成り立つものであり、そうでなければあっという間に音信不通だ。 お互いの番号もメールアドレスも知っているのだからコンタクトを取ろうと思えばすぐにできる。 電話が繋がらなければ用件をメールにすれば済むことだ、空いている日を送ればすぐさま照らし合わせるくらいはするだろう。

「要するに、兄サマの一方通行に見えるんだよ。どうしても」

始まりが始まりだから仕方ないとはいえ、この状況はモクバが同情したくもなるレベルのようだ。

「だってアイツの行動無駄に早いからオレが後手後手になるのは仕方なくねぇ?」
「うん、分かってる。嫌なら言ってるだろうし、ここは本来、オレが口出すところじゃないんだ」

でも……、言いよどんで目を伏せたのち、まっすぐ目を合わせて語りかける。

「城之内は、自由なんだよ」

2へ

戻る