条件反射


日差しの照りつける真っ昼間、逃げるように木陰へ駆け込むとそこには先客がいた。
自分に気付いた相手は軽く会釈をしてみせ、そのまま手持ちの本へ視線を落とす。
愛想のない奴だ、なんて思わないこともないが伊賀崎孫兵にそういうものを期待するのがそもそもの間違いである。
彼の興味と情愛は毒のある生物へと日々捧げられているのだから。そしてそれを否定する気はまったくない。
そもそも、この少し変わった――忍術学園に普通がいるかの論議はさておき――後輩を実のところ結構気に入っている。
影に身を入れればひんやりと流れてくる空気に表情を緩ませて腰を下ろす。

「お前、こういうとこ見つけんの上手いなあ」
「ジュンコが困りますから」

さらりと答えて本を捲る後輩に成る程、と頷いた。
体温調節は蛇にとって死活問題。四六時中一緒にいるのであれば涼しい場所を探れるのも道理だ。
読書の邪魔をするのもしのびないので、そのまま目を閉じて汗の引くのを待つ。
蝉の鳴く声が響き、合唱となって耳に届く。夏の騒がしい昼がどこか遠くに感じられて心地いい。
ふいに本の閉じる音、なんとはなしに瞼を開いて視線を動かすと、顔を上げた孫兵がそれに気付いてこちらを向いた。 当たり前だが、目が合う。真正面からかち合った。

何故かお互いに一言も発しない。気まずい、非常に気まずい。
さっきまで自然な空気だったはずなのにこの違和感はいったいなんなのか。
別に珍しいことじゃない。委員会中という名目の各種生物捜索中、あまりの膨大な逃げっぷりに黙々と探すしかないのもよくある話だった。 そんな時に目が合っても発見の有無のみをお互いに視線だけで告げて散っていく。しかし今はその最中ではなかった。 およそ五秒足らずで頭を巡る長文の考察は要するに混乱していると言っても差し支えない。 目線を外してしまえばいいのに何故かお互いに外さず、孫兵は自分をまっすぐ見つめたまま。不思議な睨み合いとなってしまった。 いや、むしろ睨みでもしてくれれば気まずさで自分が逸らすことも出来たかもしれなかったが違うのだから更に困る。
綺麗な顔を、していると思う。肌は白く、首に巻きつく彼の最愛の蛇の紅が目よく映えた。
無意識に掌を頬へ当てた。滑らかな肌はまさに幼い子供を色濃く残し、体温がじわりと染みてくる。
避けもせず嫌がりもせず涼しげな表情で変わらずにこちらを見てくる孫兵。
吸い寄せられるように顔を近づけ、気付けば唇を重ねていた。
ほのかな感触と温かさ、柔らかなそれを食んで相手の呼吸を間近に感じた瞬間、唐突に我に返る。
がばっ、と両肩を押し返し距離を開け、息を飲む。
ごくり、下を向いたまま喉を鳴らすと急激に血の気が引いてきた。
何をしている何をしている何をしているんだ八谷竹左ヱ門!
混乱の極致で固まってしまったのを見かねたか、やけに冷静な様子で孫兵が口を開く。

「竹谷先輩、大丈夫ですか?」
「いや、むしろお前が……」

その、と口ごもってしまった自分に首を傾げてくる仕草は意地悪でもボケでもなく心からの疑問からくるもので、
思わず脱力した。

「嫌がるとか、しろよお…」

精一杯の気持ちを込めて口にした言葉はえらく情けない。
消え入りそうな語尾を拾い上げ、相手は更に畳み掛ける。

「嫌がって欲しかったんですか」
「そうじゃねえけど、無反応もくるだろ」

さっきの行動が白昼夢だったんじゃないかという希望を持ちたいほどに、孫兵の反応は淡白だ。
そこまで人間に興味が皆無なのか、そして自分は何故ここまで落ち込んでいるのか。
よくわからないまま鬱を呼び込んでどんよりしだしたところ、もう一度反対方向に首を傾げて相手は言う。

「よく分からなかったので。…何ならもう一度します?」

頭が真っ白になった。
一度すっきりと身体から去っていったはずの熱がもう一度、いや、それよりも酷い熱量で襲い掛かってくる。
肩を掴まれたままの孫兵は逃げもせず振り払いもせず、口元を少しだけ上げて、笑った。

「青くなったり赤くなったり忙しい人ですね、先輩」


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