われならなくに


鶴丸国永が顕現したのは、その本丸に余裕のでてきた頃だった。
遠征に部隊を割いても出撃が可能で、更に内番をする頭数も無理がない。
人の身の生活では先達に当たる短刀たちはごく親切に鶴丸へ接してくれた。
古株の打刀や脇差はだいたいが要職を任されている。
大太刀は即戦力であり、本丸へ残る太刀は無愛想か掴み所のない始末。
となれば、距離が近くなるのも必然といえた。
つまり、遊んでくれる年長者の役割だ。
肉体だけと馬鹿には出来ない、むしろ肉体があるからこそ必要もある。
気安く肩車が出来るという存在は限りなく魅力的だったのだ。
鶴丸と過ごす時間が増えて、幼く見える刀たちはよくはしゃいだ。
悪戯に便乗して共に怒られる、上手いこと逃げおおせる、見守って笑う。
親愛は信頼へ繋がって戦の時も見事な連携を示した。
鶴丸の軽く上げた手へ飛び上がって打ち鳴らす。ハイタッチ、という名称を知識で得た。
いつも寄り添って過ごす粟田口へ混じるうち、家族の意味を考える。
未だ行方の分からぬ彼らの兄弟は短刀二振りに太刀が一振り。
御物として仕舞われていた刀もある、と記憶のみを探っても意味はなく。
結局、顕現してみなければどのような姿かも分からない。
鍛刀のたびにそわつく彼らへ、いつのまにか同調した。
やがて、戦場で救出された厚藤四郎を迎え、三条の薙刀も合流したのち、その時がくる。

ちょうど持ち回りの近侍で、主について日課を済ませた。
何度か見た覚えのある眩い光が室内を満たし、浮かび上がる仮初めの像。
持ち主の思いか、業か、呪いか、それとも世に名を示したことによる人の願いの具現化か。
選びようもない形姿が新しく降り立った。
肩口からふわりと舞う布、随所にあしらわれた金は華美でありながら上品に見えるのは相手の纏う静謐さのおかげだろうか。閉じた瞼がゆるりと開き、柔和な笑みが綻んだ。

「私は、一期一振。粟田口吉光の手による唯一の太刀」

続いた台詞で鶴丸は即座に確信した。

「藤四郎は私の弟達ですな」

――これが、ブラコンというやつか。

退屈にかこつけて現代知識を漁った結果、失礼な初対面になったのは秘密である。

***

待望の長兄が現れて、粟田口の歓迎は凄まじかった。
まだ肉体に慣れてもいないものを、と便宜上窘めもしたけれど当の一期一振が嬉しそうでは難しい。
そのうち、最古参の蜂須賀虎徹がやんわり気遣いを示し、沈静化する。
未だ、兄弟刀の来ない彼に言われては粟田口の面々も従うしかないのだ。
負担にならぬ程度と厳命され、世話役の割り当ては勿論他の刀派へ。誰がするかで揉める為だ。
そして白羽の矢が立ったのはやはりというべきか鶴丸で。それなら文句がない、と頷く弟軍団に笑うしかなかった。

「弟達が大変世話になったと聞いております。感謝の申し上げようもございません」
「いいっていいって、俺も楽しんでるからな」

折り目正しく深々と頭を下げる相手は予想通り。
軽く手を振ればそれ以上は続けなかったが、一期一振の信頼は最初から割と高かった。
そして、兄弟への想いをノンストップで聞かされる日課が加わる。
顕現時、聞いてもいないのに弟の話を付け加えてきたのでこうなることは読めていた。
だがしかし、鶴丸も鶴丸で短刀勢には特に好かれて久しい。
大好きな兄へ話す、鶴丸にも話す、その上で一期一振から既に聞いた話を聞くループだ。
初めて耳にしたように、そうかそうかと頷く。実はこれ、短刀と鶴丸だけでも起こっていた流れである。
つまりは一期一振も弟達からたくさん聞いていて、それを嬉しげに話してくるのだ。
何故自分が終着点になるのかよくわからないまま、世話役は終了した。

刷り込みか、はたまた初期の気安さか。
本丸へ馴染んでからも一期一振との仲はすこぶる良好。
顔を合わせれば笑みを交わし、内番が重なれば会話も弾んだ。
鶴丸の自由奔放さに面食らう相手は堅いだけではなく、案外融通が利いた。
してやったりの気持ちになったこともあれば、表情を消したお説教を食らったこともある。
だが最後には必ず、いつもの笑みを浮かべるのだ。

「仕方ありませんね」

鶴丸殿は、と続けられる言葉の柔らかさ。滲む慈愛が弟達と同等に思えて些かむず痒い。
しかし嫌ではない。むしろ、そんな顔が見たくてちょっかいをかけているのかもしれなかった。

ある日の遠征中、急な通り雨で各々が手近な木の下へ避難した。
建物ではないので気休め程度、濡れそぼる衣服を耐えてしばし。
からりと晴れた空に息を吐くと、視界の端に七色の光。
先に声を発したのは乱藤四郎だった。

「虹だ!」

わあっと完成を上げるその場での外見上最年少に釣られて笑みを零す。
偶然、隣に居た一期一振へ視線を向けたのは故意ではない。単に仲間の様子を見ようと首を巡らせたのだ。
同じく鶴丸を見た彼が瞳を柔らかく細めて微笑む。
どきりと胸が高鳴った。覚えのない鼓動を受けて思わず己の胸元へ手を滑らせる。
そんな鶴丸を知らず、すぐさま虹へと向き直っていた一期が静かに呟く。

「美しい、ものですね」

(きみのほうが)

即座に浮かんだ言葉は、音になることはなかった。

***

それからというもの、鶴丸は不可解な動悸に悩んだ。
別に目立つ支障がある訳ではないが、原因不明なのもすっきりしない。
決まって、一期一振と過ごせば起こる鼓動の高鳴りは己では制御不能だった。
相手の笑みに己も返しながら、一人で首を傾げては唸る。
考えても進まぬのならば突破口を。鶴丸は心のままに動いた。
今日の仕事は洗濯当番、朝に弟達と話したのを聞いている。
部屋を覗けば取り込んだ衣服を丁寧に折りたたむ彼を発見した。
おあつらえむきに誰もいない、よしと頷いて足早に寄る。

「おや、鶴丸殿。誉を取られたのですか」

声を掛けるより早く相手の目が自分を捉え、優しく笑う。
挨拶もそこそこに己の状態を確かめる。
確かに朝一で出撃して先程帰ったばかりだが、今日は投石部隊が大活躍で軽傷もない。
隊長を務めていればいつの間にか桜が舞っていることもあるから、それだろうと当たりをつけた。
それはさておき、本題に入りたい。座りもせず、身を乗り出した。

「なあ一期一振、君は動悸についてどう思う?」
「はい?」

突然の問いに、穏やかな顔のまま首が傾ぐ。
呼吸が苦しいのではない、と説明を加えた上で答えを求めれば生真面目な様子で顎に指を添えた。

「そうですね、戦場における高揚の類でしょうか」
「驚きや楽しさでの昂ぶりとも違うんだ、なんというかこう、温かい」
「温かい」

彼らしい返答にどう伝えたものか考えあぐね、身振り手振りを加えるが難しい。
鶴丸の最後の言葉だけ繰り返し、ぱちくりと瞬く彼に僅かまた高鳴った。
そうだ、それこそ伝えねばならないことを思い出す。

「特に君といるときが多いな。君が俺に微笑むと嬉しいし、傍でいるだけで心地良い。そうすると決まって胸の辺りが騒がしくなる」
「は、」

一期一振りの開いた口がそのまま止まった。
ぽかんとした表情は理解が追いつかないといった様子で、鶴丸は不可解な気持ちが伝わったと嬉しくなる。

「早く顔を見たくてたまらないこともある、これはなんだろうな?」

思わず顔を緩めて笑い掛けて問う。相手の目が見開かれた。

「わたし、に、それを、きくのですか」

呆然と切れ切れに零す様は常に比べてひどくたどたどしい。
問いで返され、理由を簡潔に述べた。

「君の事なんだから、相談するのが道理だろう」
「っ、」

何の疑いもなく言い放った鶴丸の言で、一期一振が真っ赤に染まった。
耳から首まで、内番のラフなジャージから覗く皮膚という皮膚が赤い。
ぱちぱちぱち、と瞬いたのは鶴丸で、口元を力なく覆う相手がほうほうのていで言葉を発する。

「私の口からは、とても」

畳に正座する一期一振は今にも崩れ落ちそうで、立ったままだった鶴丸は思わず心配げに覗き込む。
ひらひらと舞い落ちる花弁は相手へも降り、動けなさそうな彼へ僅かに積もる。
よくわからないが、何かしでかしたようだ。ここまでうろたえるものならば仕方ない。

「そうか、邪魔したな。他に聞いてみるか」

友好的で理解のありそうな数名を頭に浮かべて踵を返す。
決めたら即行動の鶴丸に迷いはない。が、しかし。

「お待ちください!」

必死な声と共に上着の裾が掴まれ、たたらを踏む。
振り返れば、決死の形相で自分を見つめる相手の瞳。

「後生ですから、この件を広めるのはお控えください……っ」

そこでようやく気付く。

「一期一振、」

はらはらと、落ちる花弁の出所はもうひとつ。

「君、どうして桜を舞わせているんだ」


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