とりあえずの選択肢をどうぞ


意識の外で音が聞こえる。
段々とハッキリしてくるそれがドアの呼び鈴だと気付くまでに少々の時間を要した。
ぼんやりした視界で辺りを見回す。机からベッドまで散らばる数式の名残、床へ落ちたシャープペンシル。
解き終わっていつの間にか寝落ちたらしい。拾わなければ、とまで考えて連打されるチャイムが耳をつく。

「やば!玄関出ないとっ」

ようやく覚醒しベッドから転げ落ちるように動き出す。シーツを踏んでこけそうになりながら玄関へ向かう。
今日も明日も両親は帰らない、仮に荷物だったとして不在票が溜まって困るのは自分なのだ。
それにしても運送業者だとすると粘り強すぎやしないか。自分が起きる前のいつから鳴らし続けていたのだろう。
寝起きだった為、特に何も考えず、いつもは覗くドアスコープも確認せずに扉を開けた。

「遅い」
「え」

内側へと取っ手を引き、外界との境をなくしたその場所には、見覚えのある少年がいた。
覚えがあるどころではない、思わず目を疑って三度瞬く。
あからさまに不機嫌です、と顔に書いてある相手はしかし、固まる健二をさておいて携帯を差し出した。

「全然出ないんだけど、なんなの」
「え、あ、僕?」
「他に誰がいるの?メールも何通もしたし通話も出ないし、 佐久間さんにも今日は休みだからいるとか言質取ってんだよねこっちは」

イラついた様子で問い詰める相手にわたわたとするしかない。
混乱するのを見かねたのか一度口を噤むと、諦めたように結論付けられた。

「まあ寝てたんだろうけど。もう昼だよ起きなよ」
「はい、起きてます…」
「で、入れてくんないの?」

立ち話もいい加減にしろと言いたげな雰囲気を感じ、慌ててリビングへと案内する。
荷物を置いてソファへ陣取った佳主馬の視線は思い切り自分へ注がれた。まだ機嫌は良くないらしい。
とりあえず飲み物でもと動きかけたのを呼び止められ、腕を組んだまま真顔で言い募る。

「ここで問題です」
「えっ」
「健二さんと僕の関係性はなんでしょう。答える猶予は5秒。4、3、2、1……」
「つ、付き合ってます!」

反射的に答えた。勢いに僅かびっくりした顔になる佳主馬と恥ずかしくなる自分。
この空気をどうしたものかと思ううち、立ち上がった相手が肩を掴んだ。
引っ張られて前のめり、中途半端な姿勢にバランスを崩しかける直前、温かいものが触れる。
なんとか佳主馬を潰さずソファへ倒れこみ、改めて首に腕を回してくるのに対応できないでいると鋭い殺気。

「なんかないの」
「か、ずまくん」
「呼ぶとかじゃなくて」

睨む表情には拗ねも垣間見えた。
突然の猛攻とねだられる意味合いに鼓動は早まり、 脳内で思いつく限りの公式を浮かべながらおそるおそる頬を包み込む。 顔が熱い、きっと赤くなっていることだろう。目の前で染まりつつある相手のように。

「えっと。初めてだったんで、次はゆっくりしたい、な?」

途切れがちに紡いだ返事はお気に召したのか召さなかったのか。
もう一度きつく睨まれたのちに顔が寄せられ、目を閉じて唇を重ね合わせる。
柔らかい感触を食んで押し付けると、絡みつく腕が強く引き寄せた。


「健二さんが本気で何もしないから」

事も無げに言い放った中学生の発言に健二は頭を抱えたくなる。

「そ、そのためにきたの」
「そんな訳ないでしょ、OZのスポンサーと会うにしても未成年一人はってことで丁度こっちに父さんが用あるっていうからついでに」
「え。それやっぱり」

長文の説明は語るに落ちる。もっともらしいからこそ浮かび上がる点のみ拾い上げれば、何度目か分からない視線の刃を進呈された。
キングカズマのマスターもまさに王様。この決めたら頑として譲らない性格を誇らしく羨ましく、そして可愛く思う。

「なんでもないです」

思わず降参、白旗を揚げるよう静かに首を振ると鼻を鳴らす。

――なんというアグレッシブ…

行動力に脱帽するしかない。
嬉しいような喜ぶには複雑な気持ちを噛み締めることしばし、表情を止めた佳主馬がぽつりと呟く。

「……迷惑?」
「え?」
「来たの」
「そんな訳ないよ!」
「そう」

ついつい力説、すると険しい顔しか見せてくれなかった相手が安心するように力を抜いた。
胸の辺りが掴まれる様な感覚。腕を伸ばして抱き締める。 少しだけびくりとした相手は、おずおずと背中に腕を回してくれた。 体温を感じながら意気を吐く。呼吸を思い出した気分だ。 相手の頭を撫でながら、ふと気になっていたことが口を突く。

「佳主馬くん、いつ帰るの?」
「明日の新幹線」
「そっか、今日泊まるのは?」
「ここ」
「へ」
「ここだよ」

疑問で停止した思考。腕の力が緩み、顔を上げた佳主馬が補足を続ける。

「父さんも仕事だから別行動でね、僕の用事も終わったし、帰るの明日だし」

説明のようで説明でない。演算処理が完全に止まってしまったのを見かねてか、相手は呆れた顔になる。

「健二さん、携帯の充電切れてるんじゃない?いい加減確かめてきたら」

促されて初めて思い出す。着信が鳴ればさすがに起きる、家の固定電話も鳴っていたかもしれないがそこはそれ。
とにかく自分の端末を確認しようと部屋へ走る。 ベッドの端に投げられた携帯は確かに電池切れ、もどかしくコードを繋いで電源を入れる。 不在着信の数、数、数。メールもなかなかの量だった。 佳主馬に佐久間、そして何度かかけたことのある池沢家の番号、つまりは聖美からということになる。
無言でのたうち回る寸前の健二に追いついた佳主馬が、床に散らばる計算式を見て目を細めた。

「ま、連絡は後で僕からもするとして」

一枚拾い上げて指先でつまみ、ひらひらと揺らしながら、笑った。

「お世話になります」


戻る