事もなし


「敦君が構ってくれない……私に飽きてしまったんだね」

わざとらしい拗ねた声が耳に届く。大仰な嘆きが胡散臭さに拍車を掛けていた。

「そういうの、僕が云う側じゃないんですか」
「えっ」
「え」

それはいつもの戯言だった。太宰の部屋で、並んで座って。
椅子ではなくベッドでじゃれ合うのも日常で、厳密には太宰が何かしらちょっかいを掛けた上での結果だ。
ただ、その日は読みかけの本に幾らか意識が持っていかれ、するりと零れた言葉があった。
あまり間をおかず返した敦の声に驚きの反応が被さって、思わず視線を本の頁から相手へ向ければ、僅か瞠った瞳をゆっくりと笑みの形へ細めていく。

「どうして私が飽きるのかな?」
「顔が笑ってるけど笑ってないです太宰さん」
「いやあ、怒ってることが伝わって何よりだ」

にっこり。完全に笑顔になった太宰はそれはもう楽しそうだ。纏う空気が冷えていなければ、の話だが。
柔和な顔立ちは本人の采配で脅しの凶器にもなる。慌てて本を持ち上げて形ばかりの壁を作った。

「云い出したの太宰さんですよね?!」
「あんなもの言葉遊びじゃないか。君、本気で聞き返しただろう」

後半、一段階落ちた声が詰問に変わる。両手で表紙を掲げながら心で毒づいた。

(うわ、めんどくさい)
「うふふ、面倒で結構」
「心を読まないでください!」

大したガードにもなっていない本の向こうで笑う太宰の口の端が歪む。
この男が鬱陶しい笑い方をするときは大抵ろくでもないことになる。

「敦君が分かりやすいのだよ。ほら、質問の答えは?」

催促に主題を思い起こす。何が相手の癇に障ったのだったか。
ぱちり、瞬いて敦の声から力が抜けた。

「え、いや単に僕が太宰さんに飽きるほうが難しいから、興味が他に移るならあり得るかなって」

壁にしていた本を少し下げて口にすると、目の前の太宰が頭を抱えた。

「淡々と告白されつつ諦められてる!ねえ私は喜べばいいの?嘆けばいいの?」
「僕に聞かれても」
「暖簾に腕押し!」

淡白な返答へヒートアップして天を仰ぐのが正直煩い。忙しい人だな、とぼんやり思ううち、のろのろ片手で顔を覆う。
はあー、と大きな溜息が深く深く響いた。瞬間、身体が強張る。
ちらりと寄越された視線は仄暗く思えて、指先の感覚を忘れかけた。
なんとか落とさなかった本を握り、俯こうとすると顎を指で捕らえられる。

「云っておくけれど、これは失望じゃなくて呆れだよ。今もそうやっていつ私に捨てられるかと考えることへのね。もっとも、私は優しいから理解するまで身体に教えるとかするつもりはないし、気持ちいいのはもう覚えてるよねえ?」

語りながら太宰の利き手が肩を滑り、意味ありげに腰へ伸びる。長文を咀嚼しきれない敦の耳元へ唇を寄せ、服の上から擽った。

「今更、私以外のものになるつもり?」

囁く吐息が脳髄を揺らし、ぞくりと身体が跳ねる。
同時に腰骨から臍まで指でなぞられて、開いた口から音が漏れた。

「あ、」
「はい、これ没収」

途端、落ちてくる軽い台詞にいつもの表情。
もはや持つだけの本を奪われ我に返る。

「あっ?!」
「ぞくっとした? ぞくっとした?? いやー敦君は反応がいいから楽しいなあ」

くすくす笑う太宰に先程の影は微塵もなく、してやられたのだと理解する。
最早、どこからだの考えるのも馬鹿馬鹿しい。
脱力する敦を置いて、障害を取り除いた相手が顔を寄せる。

「さて。本はお預け、私の勝ち。大人しく可愛がられてくれ給えよ」

手近な机に放るが早いか、彼の腕に囲われた。

「選択肢、ないじゃないですか……」
「赤い顔で睨まれても、可愛いだけだなあ」

捕食せんとする眼差しに観念して、瞼を閉じる。


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