わがままな恋人


「俺、ジェイドに襲われたい」

持っている本を勢いよく取り落とした。

「頭は大丈夫ですか」

反射的に言葉だけ出してはみたものの思考が上手くいかない、頭が働かない。
とりあえずは落とした本を拾って回収、息をついて眼鏡を押さえる。
子供の方を向く気にもなれない、突拍子がないところではないだろうこれは。

「だってお前いつも涼しい顔してんだもん。取り乱して押さえつけて叫ぶくらいの芸当が見てみたいだろ」

理解不能すぎて身動きもままならない私を置いて、ますます子供が無茶を言う。
その不服そうな声は一体何だ。

「もう一度言います、頭は大丈夫ですか」
「本気で相手にされたい」

噛み締めるよう、低くしっかり発音した問いかけは拗ねた声音に打ち消された。

「俺に何かする時も静かだ、冷静だ、つまんねー」

反応を返す前につらつらつらと文句を零す。
不機嫌な、投げやりな、独り言にも近い配慮も何もない言葉のつぶて。
だからこれは何なのか。

「つまんねーつまんねーつまんねーつまんねー」

どこまで子供だ、どこまで分別がない、どこまで頭が悪いのか。
本を叩きつけ、机が揺れる。

「いい加減にしなさい」

威圧的に吐き出し鋭い視線で子供を刺した。

「やっとこっち見た」

視界に映るのは満足そうに柔らかく笑う顔。
広くも狭くもないソファ。人の傍でぶつくさ文句をぶつけてきたはずのルークが笑っている。
隣に転がり、こちらを見上げ微笑んでいるのだ。

「……なんですって?」

たっぷりの沈黙、即座に切り返すことも叶わず怪訝に聞き返すのが関の山。
まったくもって理解できない。

「こっち見た、お前集中したら俺に構わなくなるから」

淡々と、それでも浮かれた様子でこの説明。
徐々に思考が回りだす、こめかみを押さえ確認の呟き。

「それであの台詞ですか」

「本音だよ、そういうお前も見たい」

柔らかな雰囲気はそのまま、さらりとかけられた一言は無邪気。
臨界点を突破したのが自分でもよく分かった。
とてつもなく愉快な笑顔をしてみせよう。

「そうですかそうですか、私は随分と愛されてますねぇ嬉しいことです、ええ本当に」

「あ、怒ってる怒ってる」

何がそんなに楽しい。

「つまりは私は貴方に本気ではないと見なされた、と。 叫ぶ叫ばないくらいで決め付けられては限りなく不本意ですね不愉快です」

ソファの背を掴み、乗り上げる。距離を詰め、覆い被さり瞳を合わせる。
ゆっくりゆっくりと顔を寄せ、頭の横に手をついて見下ろした。

「自分でも思いますよ、こんな子供に。 しかし事実入れ込んでしまったのだから仕方ないでしょう? 手に入れました、飛び込んできました、貴方から私に。 何が不満です、何が気に入らない?この身体だって私を知らないわけでもないのに」

片手の指で首筋をなぞる、鎖骨へと滑らす、こくりと鳴った喉に手のひらを当てる。
瞬きもせず見つめてくる子供は静か、翠は揺らがずとても穏やか。

「本当に不愉快です」

万感の思いを込めて睨みつける。
至近距離できょとん、としていたルークはそれこそ満面の笑顔で手を伸ばし、私の首へと腕を絡めた。

「それ嬉しい」

声は明るい、そして幸せの響きさえ含まれて耳に届く。
頭が痛い。
ここは喜ぶところなのか、別に怯えて欲しいだの思ってはいないがそれにしてもこれはおかしい。
そもそも始まりからして理不尽だ、とんでもない発言に対し極めて常識的に接したところから何故こうなる。
考察に勤しむ私をよそに、ご機嫌な子供が更に続ける。

「めちゃくちゃ嬉しい、怒らせてよかった」

「まだ言いますかこの子は」

いい加減にしないと、呼びかけた言葉にやはり眩しく笑ってくれた彼。

「襲って欲しいって言ったろ」

――だから、本気で。

幻聴だと思いたい眩暈がする、嬉しそうに笑うんじゃない。
そんな言葉を紡ぐんじゃない。

この純粋さにはどうしたらいい。


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