ピリオドは始まりへ向けて
「おや」 無造作に詰まれた本の影、悪ふざけの延長線で作られた私用の隠し通路から、ひょこんと飛び出た顔がひとつ。 物音で視線を巡らせたところ、見事に視線がかち合った。 「よ、夜這い、みたいな」 他にもっと何かまともな冗談はなかったのかという言葉を発した少年に作った笑みが綺麗に広がる。 「その単語を自分で考えたか吹き込まれたかで私のお説教の種類と長さが変わりますね」 「ごめん勢いで言った、陛下に言われたとかじゃないからほんとごめん」 ペンをかたりと置いた途端の流暢な言葉は平謝りをすぐさま受ける。 別に対して怒ってはおらず、単に馬鹿馬鹿しいことをするなという戒めであるので溜息ひとつで終わらせた。 少し気まずそうな表情で窺う相手に、もう一度視線を寄越す。 「で、その埃っぽいところに留まりたいんですか?」 止めませんけど、と言外に加えるとふるふる首を振って這い出してくる。 ぱたぱた服を払ってから、近づいてきて傍らに立つ。座るこちらを見下ろす形に。 「ジェイド、ここに戻るとあんまり寝てないだろ」 「ルークには言われたくないお説教です」 広がる書類の山と混ざり合う資料、中身を確かめることもせずにルークは言った。 自惚れだと笑ってやるには相手の言葉は足りず、心配だけを表面に据えた見事な切り出し方だと感心する。 夜の不安を持つのは他でもない自分であるくせに、他人のこととなると行動力が跳ね上がるのが何ともいえない。 何度も読み直した文面の可能性は真実を示し、ただ時間だけが終わりを緩やかに知らせてくる。 秒針の音が耳に響く、止まりはしない。 「ありがとう」 目の前の少年は柔らかく笑った。 「俺、すごく嬉しいんだ。こうやってジェイドと話せるようになって、心配してもらって。だからさ、だから、覚えててくれたらなーって」 頭の隅に皹が入る音がした。衝動で立ち上がり肩を掴む。 睨みつけるように視線を落とす。 「私が、貴方を、忘れる…?」 責める声は低い問い掛け。少し驚いた顔を見せたルークは、先程よりも微笑んでみせる。 「はは、俺いま結構ひどいこと考えてて。お前が怒るの、嬉しい」 眩暈がした。抉るような痛みから目を背け、相手を抱き寄せる。凭れてくる確かな体温。 「貴方は本当にひどい人ですね」 「じぇーど」 甘えた口調、砕けた呼びかけは当人以外にありえない。 呆れた目線を投げて寄越すと、嬉しそうな笑いを零す。 「どうしてまともな入口を使わないんですか」 「秘密通路はロマンだって聞くから」 へへっ、だの得意げに言う顔は記憶より大人びているのに幼さが目立つ。 ローレライの奇跡、とはよく言ったもので、あれだけ大騒ぎしておいて数年後に戻ってくる離れ業を やってのけた彼は長い髪を揺らして機嫌よくこちらへ寄る。 ペンを片手に口元を歪めた。 「昼だから夜這いにはなりませんねえ」 「根に持つなよ…」 「おやおや、人聞きの悪い。日中がお好みなら考えますよ?」 苦し紛れな当時の言葉を拾ってみせれば、ばつの悪そうな顔でぼやく。 やり取りを反芻した身としてはこのくらいささやかな報復は当然のこと。 台詞を正しく受け止めて、分かりやすく嫌そうな顔。 「お前、ほんっと性格捻れてんな」 「一生モノの傷を残して消えるつもりだった誰かに勝つなんてとてもとても」 さらりと言い放ったそれは、相手を瞬かせるのに成功する。 「いっしょう」 「ええ」 ゆっくり一文字ずつ復唱するのに頷いて、理解できるよう時間を置く。 目を細めて笑いかけ、伸ばされる手を優しく掴む。 「ですから、責任とってくださいね?」 厭味なくらい恭しく、手の甲へ口付けを落とした。 |