今更ながらワンモアステップ


育ち盛りの男子が昼食だけで放課後までもたせるのは難しい。そんな訳で、小休憩が挟まれると学校での第二のご飯タイムとなるのは致し方ないことであった。登校前に買うか購買で調達するかはさておき、大概がパンになるのは
季節による保存的な問題だ。夏におにぎりを放課後まで鞄に入れるなんてさすがにやばい。

「あ。みんな、俺にシールちょーだい」

台紙片手に笑ってみせればうろんげな視線が集中した。正直慣れているので痛くも痒くもない。なんとか祭だのキャンペーンだので貼り付けられたシールは回収すると漏れなく何かがもらえる。母親が時たまやるそれを見て、思いついたのはなんとなくだった。これだけの人数で集めれば目標数はすぐである。ちょっと楽しくなった及川はたびたびメンバーにねだるに至る。

「セコいんだよクソ及川」
「いった!」

手を勢いよく顔へ叩き付けながらも枠にシールを這ってくれる岩泉に続いて台紙が回されていき、一周して戻ってきた。

「どうぞ」

中途半端な位置に座っていた影山が最後だった為、手渡されることになり及川は笑みを若干引きつらせる。

「ありがとね、トビオちゃん」
「いえ」

特に表情も変えず戻るのを見送らず台紙へ視線を落とす。
少し浮かれていた気分が明らかに急転直下する。
この後輩は苦手だ、というか嫌いだ。己を曲げずに道を歩き、それが正しいと信じて疑わない。それが周囲との軋轢を生み出したとて、何の意にも介さないのだ。自分と岩泉がいる間はいい、チームは間違いなく機能するだろう。
だがしかし、影山がチームの柱になった時、否、そもそもなることすら不可能だと及川は考える。

――それでいい。そうやってお前は潰れればいいんだよ、飛雄

卒業後、コート上の王様なんて二つ名を得た相手は予想通り失脚した。彼が烏野に進学したと耳に入ったのは、それでも影山が有力な選手であり様々な学校の監督が目をつけていたからに他ならない。落ちた強豪、飛べない烏。だが、もし、羽ばたくことがあるならば――

「叩き落としてやらないとね」

季節は春、桜舞い散る入学の季節だった。

 
 ***


人脈を失ったはずの烏野の顧問はなかなか執念深く、青葉城西への練習試合を希望してきた。渡りに船とばかり、影山を指定すればあっさり通り――影山を獲得してセッターとして使わない選択肢などそもそもないだろう――当日を迎える。
ところが意外や意外、良い先輩に当たった王様は傍若無人はそのままにチームへそこそこ溶け込んでいた。しかも自分の希望を叶えるスパイカーまで獲得して。
本来なら、それは自分や岩泉が導くべきことだったのだろう。影山の弱点を分かっていてフォローしなかったのは自分であり、できなかったのが岩泉だ。それは彼が悪かったのではなく、単に及川に近すぎた。何故ならバレーは団体競技。一人二人の問題でなく、全員をまとめてこそ意味がある。影山を諭し、受け入れる度量がなければ成立などしないのだ。それを成し遂げたのが烏野の主将だというなら、なんとも素晴らしい功績といえる。
まだまだ出来上がっていないあのチームが、どこまで王様を御しきれるのか。せいぜい、あがくだけあがいて欲しいものだ。

そんなこんなで迎えたIH予選。存分に可愛がってやろうじゃないかと上から目線で向かってみれば、予想以上に一致団結する精鋭がそこに居た。正直震えた、鳥肌が立った。蹂躙してやるだけのはずだった獲物が対戦相手へと進化していく。
烏野は誰か、ではなく全員で影山を変えた。お前を信頼していると、仲間だと、皆がいるからひとつになれる。まさにハッピーエンド大団円、最終回ならカラーページでお出迎えできる青春模様だ。しかし、笑わせないで欲しい。人生においてそれぞれが主人公だ。巻頭カラーや表紙を獲得できるのがどのタイミングかなんて決める権限は誰にもない、むしろ勝ち取っていくニューゲーム不可能な仕様である。それを示してやったにも拘らず、結果はめんどくさい敵が増えたの一言に尽きた。
勝つのは当たり前だ、分かりきっていた結果なのだ。しかし過程が違ったおかげで何の有り難味もない。
白鳥沢に負けて終わった予選から少し、休息日なのに気分が微妙だ。最近仲良くなりかけた女子のアドレスを呼び出そうとぼんやりスマホを弄る。カ行の列で指がぶれた。

「あっ、」

思った時には発信開始、文明利器のワンタッチはミスと紙一重である。慌てて止めようとした瞬間、繋がる音声。

「はい」

(3コールとかどんだけ早いんだよ!)

心の叫びと共に切ろうとするが、あからさまに間違えました感も出したくはないし、そもそも向こうに発信者ばバレバレなんだから不審がられるだけだ。好かれようなんてこれっぽっちも思っちゃいないけれど、万が一掛け直されても嫌すぎる。

「トビオちゃん、元気ー?」

 非常に白々しい挨拶が口をついて出た。

「及川さん?」

(いやいや及川さん?じゃないだろ、家電でもないのにまさか)

「なに、お前まさか見ないで出たの」
「反射的に」
「動物か。ワンギリでも取る気?」

そのまま切っていれば良かったと心から後悔しながらどうでもいい会話を始めた矢先、通話口から聞こえる大声。

 ――なんだなんだ影山ぁ!彼女か!
 ――田中、その絡み方やめてやれ。

昨今のマイク性能は素晴らしく向こうの会話を拾ってくれた。ちょうどロッカールームだったのか、電話に出れるならそりゃそうだと思いつつ、引きずり出す記憶は予選の光景。あの影山がハイタッチ、あの影山がチームメイトを褒める、あの影山が周りを頼る。くるくる動き、笑い転げる烏野メンバーの中に彼は居た。

「うるせぇ日向ボゲェ!……あ、すみません」

回想と現実の罵りが一致して我に返る。なおも続く喧騒を当然の空気のように纏う相手が忌々しくて仕方ない。

「飛雄さぁ……ほーんと、いい学校入ったよねぇ」
よかったね、と続く言葉が低く落ちる。息を詰めた気配が届く。そして静かに影山が言った。

「次は烏野が、俺たちが、勝つんで」
「なっまいき…」

コート上での空気が一瞬蘇り、ぴりりと肌が粟立つ。影山が及川へ向ける表情は貪欲な挑戦者に変わった。前はそう、貪欲は貪欲でもそれは影山自身にだけ向けられたもので周りへの興味は技術の吸収。少なくとも、及川にはそう見えた。

 ――ティッシュ使いますか。

淡々とした声が脳裏に蘇る。中学最後、悔し涙をバネに変えてクソ生意気な後輩へ宣言した答えがそれだった。眼中にない。そう言われたも同然に近い。影山は平然と自分を見ていた。

「ぼっち解消で調子乗ってんな!ばーか!」

ぶつ切りしてディスプレイを暗転させる。電話じゃ相手の顔も見えない、でも一度目にしたものを頭で再現するには十分だ。居場所を得た、迷いのない瞳。
とっくに認めて理解してぐしゃぐしゃに丸めてポイした答え合わせが赤ペンで頭の隅に書き込まれる。
影山飛雄に及川徹は必要ない。

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