改めて受諾


「本っ当に申し訳ありませんでした!」

畳に頭をこすり付けるのではないかというくらいに深々と謝り倒してくる相手は前田慶次。どうしたら良いものかと傍に控える自慢の部下に視線を寄越したところ、大仰に肩を竦められてしまった。

そもそもの発端はちょっとした喧嘩騒ぎであった。
余所から来た若者が大立ち回りをしていると聞いて飛び出しかけた幸村を諌めたのは他ならぬ佐助だ。
アンタにもそれくらいの分別はあるだろだの不遜なことを言ってのけるその忍は幸村が己の立場を弁えているのを分かっている上で更に重ねた忠義と心配と信頼を足して割った何か。
そこまで思われて無碍にする幸村ではなく、騒動の解決を佐助に任せた、のだが。
様々な要因が一緒くたになった不運だったりその場の流れであったり、とにかく誰が悪いのかを突き詰めるのが難しくなる過程を経て、佐助がぶん殴られる。腹に据えかねて一騎打ちになった矢先、相手方の蕎麦が食いたいのひと言で全てが台無しとなった。
その後、さっさと他国へと渡ってしまった風来坊に憤懣やるかたなかったのは、当事者を追ってきた親族がそれはもう誠心誠意謝罪するまでの僅かな期間。謝罪を終えたのち、苦笑を浮かべる夫の隣でその妻が決意を秘めた目つきで顔を上げ、一言。

――己の不始末はきちんとつけさせる所存でありますれば。

そう口にしたその迫力を幸村は決して忘れないだろう。
しばらくして、無事に甥を捕まえたとの一報が律儀に届けられ、むしろ心配する気持ちになったのは甘いわけではないと思う。

かくてそのまた少し経ってから再び上田を訪れた前田慶次は手土産片手に怒涛の勢いで謝り倒して現在に至る。

「いや俺様も驚いたのよ、ほんとに」

領内に入る前にいつぞやの招かれざる客の訪れを知った佐助はまた懲りずに諸国漫遊かと呆れ半分で目立つ歌舞伎者に声をかけた。だが佐助の姿を目に留めた途端、いきなりざっと居住まいを正して「その度は誠に失礼をいたしました!」と叫ばれたものだから、へ?と間抜けな声を上げて止まってしまった。
そのままきっちりとした挨拶と供に告げられる内容は言わされたに近い暗唱のような文面であったが、本人の必死な顔が全ての証明だった。あの奥方の再教育の賜物に恐ろしさを感じつつ幸村の元へと案内したのだ。
そして始まる先ほどの一幕。実際、怒り自体はとうに通り越した幸村が困惑に包まれるのも無理はない。

「顔を上げてくださらぬか、慶次殿」
「そうそう、アンタもう十分謝ったって。一生分の謝罪したんじゃないの?」

思わず腰を浮かせて両手を宥めの形で突き出すのに合わせ、佐助の補足も入る。
ようやく顔が見える程度に畳から離した慶次が、怯えた声音で「まつ姉ちゃんが……」と繰り返した。
今度こそ幸村は彼の肩をそっと叩いた。隣で佐助が頷く気配がする。

彼方の圧力による和解は真田主従に逆らってはいけない存在を悟らせた。


***


件の騒ぎで落ち着いたのはあくまで上田でのことであり、それで全てを懲りるなら彼の身内も苦労はしない。
相も変わらずあちこちへ顔を出す前田の風来坊は、季節が変わる頃ひょいと現れる。どうやら懐かれたようだ。
城下町では既に受け入れられており、祭の時期に被った時など率先して盛り上げる始末。
悪意でなく好意を向けてくる相手を追い払う幸村ではない。そして主が認めたのなら、佐助は害がない限り口出しはしない。
そんなこんなで今日も行きつけの茶屋で湯呑み片手に恋を語る来客の暇つぶしに付き合った。

「あれだけ怖い身内がいて怒られるの分かってんのにふらふらしてる根性も俺は凄いと思うけどね」

実際は見張られているのだと慶次も分かっている。
しかし、何もする気のない本人にとっては茶飲み友達扱いだ。
形だけのお目付け役にからからと笑い、三色団子で佐助を示す。

「それを言うなら、アンタの主の怒りっぷりもなかなかのもんだったって?」
「何その又聞きのような言い草」

いきなり向いた矛先にひとつ瞬く。その反応に満足したように、慶次は音を立てて茶をすすった。

「実際、利から聞いたんだよ。俺が手合わせした時も怒ってたんだろうけど、こっちも相当はしゃいでたからね」
「よく覚えてない、と」
「楽しかったし蕎麦がうまかったのは覚えてるぜ」
「そんなだから怒られるんじゃないの」
「気分落ちるようなこと言うなよ」

懐かしむていで細められた瞳が佐助の切り込みで暗く翳る。
二回突付けばさすがに記憶に苛まれるのか、胸の辺りを忙しくさすって息を吐く。
未だ健在の楔を認め、佐助は肩を竦めた。

「話を戻して、だ。利が言うには烈火の如く怒り狂ってたって、まつ姉ちゃん並に怖かったって」
「そりゃ凄い評価だわ」

他人事の如く相槌を打つ。激昂する幸村を抑えるのは大概が佐助の役目であり、あの日もなかなか骨が折れた。
直情的な主を持つと戒めるのも大変で、追加給料を頂きたいくらいである。

「ま、旦那は生真面目なぶん、そういうところは激しいからねぇ」

組んだ足に肘をついてのんびり呟けば、隣の慶次がゆっくり髪をかき回す。

「っていうか、さ。アンタ、大事にされてんだよ」
「はい?」

言い聞かせるよう区切られた音の意味。間の抜けた返答に団子の串をぷらぷら揺らした。

「突然領内で暴れまわって好き勝手したのに憤慨するのと同じくらい、アンタ殴ったのを怒ってたんだろ」

あの日、前田夫妻へ向けて放った幸村の言葉――挨拶もせずに暴れ回り、佐助をぶん殴り、蕎麦を食して去っていった ――だいたいそんな内容だった気がする。

「ひとつひとつ挙げていく中に当然のように含まれてるって凄いぜ」

咳き込むのをかろうじて抑えた。気付かなかった、というよりは当たり前すぎて流していた。
己には過ぎた信頼だったり優しさだったり、総合すれば情としか表せないその尊さ。
無意識で受け取らないようにしていた温かさを突きつけられては居た堪れない。

「わざわざ再確認させてくれてどうも」

取り繕いきれなかった顔は眉間に皺が寄り、頭を抱えて溜息を吐く。
人を食った表情ばかり見せてくる忍を困らせるのに満足した慶次が、いいってことよと快活に笑った。


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