マッチポイントはとっくの昔に


「と、いう訳だから」
「は?」

もう一度説明した方がいいかい?と聞いてくる相手とは明らかに意思の疎通ができていない。
よろしく、と肩を叩かれてしまえば拒否権など存在しない訳で。
抗議をする間もなく微妙な役割を押し付けられてしまう事となった。
後輩という立場はかくも弱いものである。




「練習、見に来てください」

って、先輩たちが言ってました。
ぼそり、言いづらそうに本に視線を落としたままリョーマが零す。
図書室の貸し出しカウンター、当番である日に手塚と出会うのは珍しくない。
3年生が引退した今、接点といえばこれと時たますれ違う廊下くらいのものだ。
貸し出しカードを受け取り、本を手渡す瞬間、やっとの思いでそれを口にする。

「お前が言うのは珍しいな」

差し出された本と言葉のセットに数瞬止まり、表情を変えず答えが返る。
淡々としているようで、僅かばかり含まれた疑問。
本人にそんなつもりはないかもしれないが、詰問されているようで居心地が悪い。

「強制されたんで」

更に本を前に出す。失敗だろうがもうどうでもいい、一回言った、自分は誘った、ノルマは達した。
とにかくこの空気から逃れられることが最重要事項である。

「直接来ればいいだろう」
「俺に言われても」
「そうだな」

じゃあ言うなよ、心の中で激しく毒づいた。
元より「新体制の邪魔はしたくない」と10回誘って1回来るか分からないような頭の固い相手にこのミッションはきつすぎる。大体、手塚が来なくともちょくちょく顔を出しては乱入していく元レギュラーが
いる時点でぶっちゃけ新体制も何もないのだ。
だんだん腹が立ってくる、もういいから仕事を済まそう。いっそ本を押し付けようかと力をこめた時、予想外の返事がきた。

「いつだ?」

え、と顔を上げると同時に手からなくなる本の重み。
交わる目線、表情の変化も何もあったもんじゃない生真面目な顔の手塚部長は、
本を片手に言ってくれた。

「お前の顔を立ててやろう」

――どうでもいいけど、なんでそんな偉そうなんだよ。

釈然としないリョーマをよそに、案外あっさりと第一段階は成功してしまった。
気まぐれか何かは分からないが、「越前が頼めば来ると思うよ」なんて言ってくれた乾先輩は間違ってなかったようである。


そして訪れた実行日。
ただ連れて行くだけでなく、『さり気なく時間を稼いでこい』という指令まで頂いたリョーマは心中で毒づく。

――さり気なく、ってどんなだよ!

生意気の太鼓判を押される自分へ難易度の高すぎる問題だった。
だがしかし、手塚の性格上、放課後すぐさま部活へ直行しかねない。それでは自分の労力が無駄になる、さすがにそれは嫌だ。
普段、通り過ぎるだけの三年生の教室前。目的を持って足を向けるのは初めてだ。
とりあえず来たはいいもの、ノープランのまま教室を覗きかけて声が掛かる。

「どうした、越前」

ゆるり、肩越しへ振り向けば標的発見。
どこからか戻ってきたらしい手塚が僅か間を置いて。

「心配しなくてもちゃんと行くつもりだが?」
「いや、アンタがばっくれるとは思ってないけどさ…」

歯切れの悪い語尾に首を傾げる相手。とにかくこの場は分が悪い。
手塚はとにかく目立つのだ、立ち話しているだけで視線が集まってくる。

「部長、鞄とか取ってきなよ」
「ああ。少し待っていろ」

部長が帰り支度を済ませる間、あからさまに好機の視線を注がれたのは自分の口調のせいだと気付くのに少しかかった。

教室からグラウンドまで距離はある。
あるとは言ってもたかだか校内、きびきび寄り道もしないで歩く男にどうやってタイムロスさせるのか。

――足止めとか無茶言ってくれやがってこのやろう。

先輩方への恨み節は数分と経たずに思わぬ方向で昇華された。
呼び止められる回数がすこぶる多い。生徒会も部活も引退したのにこの磁石っぷりには恐れ入る。
むしろ現役ではなくなったからこそ話しかけやすくなったという話もあるかもしれない。
頼れば答えてくれる無言実行第一人者は随分と慕われているようだ――なんて他人事のように考える。
被るのは一年間、接するのは部活のみ。そりゃあメンバーで遊びにいったことがないわけじゃない。
でも、それにしても、リョーマは手塚を知らなさすぎた。

五回ほどトラップに引っかかったあたりでさすがに疲れを感じたのか部長が小さく息を吐く。

「部長、少し遠回りしようよ」

答えも待たずに腕を引いて、早足で進んでいく。
逆らわなかったのだから、きっと了承したんだろう。
自分が先導する、なんて不思議極まりない状況に笑いが浮かぶ。
やがて辿り着いたのは、通いなれた昼寝スポット。
木陰もあれば校舎側の影もあり、気分に応じて転がる場所を変えている。
絶妙に差し込む日の光へ感謝しながら座るよう促した。
幹にもたれてしばし沈黙。

「部長ってさ、損なタイプとか言われない?」
「今日はよく喋るな」
「ぶっ、」

返事どころか感想がきた。つい噴き出したリョーマに手塚が首を傾げる。

「まあね、部長よりは喋ると思うよ」
「俺も雑談くらいする」
「相槌だけじゃなくて?」
「お前は、」

またも遮る声が一度止まった。待ってみると閉じかけた口が続きを繋いだ。

「お前は挑戦的なことばかり言うからな」
「ふ、」

今度の笑いはなんだろうか、零れた音は息に近く、自分でもとりあえずしばらく小刻みに震える。

「そうだね、だってアンタ越えさせてくれないから」

口角を上げて目を細めれば、相手が瞬いた。
再度何か言いかけるのを仕返しとばかり先手を取る。

「やっぱり、なーんか慣れないんだよね」

視線を逸らして大きく伸びをひとつ。タイミングをくじかれた手塚の眉間に皺が数本。

「部長がいないの」

自嘲気味に呟いたリョーマの表情に、瞠られる目。

「そろそろ行こうよ、みんな待ってるから」

手塚は無言で立ち上がった。



今度こそ辿り着いた部室前。すっかり平常を取り戻した手塚を隣にリョーマが無造作に扉を開ける。
もちろん、合図の三回ノックも忘れずに。
がちゃり。開いた向こうで立ちはだかる乾の無表情。

「スーパードッキリ企画」
「は?」

これまた抑揚のない発言に手塚の眉が寄る。
瞬間、退いたデータマンの背後から次々と鳴るクラッカー。

『手塚、お誕生日おめでとー!』
『おめでとうございます!!』

紙テープその他諸々はきちんと手塚本人及びリョーマに降りかかり、よく知る面々にわっと囲まれる。
グラウンド側からもテニス部員だけでなく他の部活まで手塚へハッピーバースデーコールだ。

「足止めはこういうことか」

細い紙テープを眼鏡に垂らしながら淡々と言うのに対し菊丸が胸を張った。

「だっておチビが一番そういうのやらなさそうでしょ?」

それが狙い、と得意げな菊丸の横で乾が薄く笑う。

「手塚も可愛い後輩を無下にできないだろうしね」

ご苦労様、の労いと共に乾汁ではなくファンタが手渡された。



「で、おチビは荷物もちね」
「ちーっス」
「待て、何の話だ」

持ち寄ったケーキ(不二の姉提供)やお菓子でミニパーティ。
さすがに元レギュラー分しかないので1時間だけ貸しきらせてもらい楽しく過ごす。
最後はみんなで片付けて――さすがに主賓の手塚にはやらせていない――校門前で解散と相成ったその時、菊丸の発言に部長が待ったをかけた。

「だって何も思いつかないっていうから」

悪気ゼロパーセントの顔で答える様子に絶句する主役。
そう、きっちり期間を設けて練ったこの企画、探りを入れた反応があまりにあんまりだったのでプレゼントがなかった。
いや、ないこともない、というか実際持ち帰るのが少し困るくらいにはあるのだが、それは各自が決めた贈答品であり
サプライズパーティーとしてのプレゼントは本人の物欲が少ないせいで方向性がずれた。

「手塚国光1日お手伝いサービスってことで」

後ろから両肩をぽん、と掴まれ押し出される。
無邪気な先輩の好意に部長は何ともいえない顔をした。


「別に本当に持たなくてもいいぞ」
「いいよ、やるっていったし。2個もこんなのぶらさげたら邪魔でしょ」

心の篭もったプレゼントは紙袋二つ分。一つずつ持っての帰路は少しだけゆったりだ。

「囮も含めての役目なのか?」
「あ、荷物持ちはくじ引きだった」

さすがに呆れて問う声にさくさく答えると真顔で言われた。

「運のない奴だな」
「部長にだけは言われたくない」

貧乏くじ引きっぱなしの真面目一直線、融通の利き方がおかしい男は今更思い出したように訂正を飛ばす。

「俺はもう」
「部長じゃないとか、聞かないから」

何度も何度も、視線や態度のみに表れていた相手の主張を跳ね除ける。
紙袋のもち手が掌に食い込む。

「いいじゃんもう、呼びなれちゃったし、どうせ、」

――どうせ、

「あと少しでしょ」

俯いた低音。
三年生と一年生、被る季節はもう少ない。

「そうだな」

ただただ現実を肯定する返答。取り繕いや誤魔化しは無縁。

「アンタのそういうとこ、結構ヤダ」
「そうか」
「そうだよ」

責めるような口調に笑いが混じる、むかむかとこみ上げるのは痛みか悔しさか。

「全部完結しててさ、いつも」
「そんなことはない。高望みも多い」

まさかの被せに一瞬思考が停止。
このまま自分の罵倒が続くとばかり思っていたから驚いてしまった。

「たとえば?」

見上げた隣は憎たらしいほどいつもの無表情で、視線を向けたことを若干後悔する。
しかしその顔のまま手塚は何かを投げた。

「お前と気軽に話せる権利が欲しい」
「いや、権利っていうか……」

いつの間にか止まった足。住宅街近くの公園沿いは静かで、夕方に差し掛かる影が二人を覆う。

「話すくらい、別にいつでも」

落ちてきた願いが理解できず、見詰め合ったまま途切れがちに紡ぐ。
一度だけ瞼を閉じた相手が静かに言い直す。

「お前と話す時間が欲しい。この先も、ずっとだ」
「なにその遠まわし」
「なら、」

瞳に炎が宿った気がした。

「お前が欲しいと言えばいいか」

手から滑り落ちる紙袋。
割れ物とかありませんように、だの頭をよぎるけれど何より目の前の怪物が恐ろしい。

「めちゃめちゃねだってるじゃん」
「聞いたのは誰だ」

心外だ、とでもいうように責任を押し付けてくる年長者が拗ねていたのだと分かるのは、もう少し後の話になる。


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