限度


普段どおりと言い張ればそう言えない事もない。 部活の仲間が見たのなら「またお前らか」と一刀両断されるくらい情景としては自然なものだった。 仕込みでもなんでもないという事実は現在のところ本人たちだけの認識である。

無造作に頭に手をやり、指を通る髪の質感にそういえばと思い至る。 癖のついた七三の分け目は頑固なもので、多少かき回してもするりと元に戻った。 ウィッグと本物はやはり違うだとかどうでもいいことを考えながら、仁王は目の前の憤怒した自分におざなりに告げる。

「いつも入れかわっとるから無問題じゃろ」
「大有りに決まってるでしょう!試合だけの話じゃないんですよ!」

録音でもしなければ聞けないはずの自分の声を大音量でぶつけられ、貴重な体験を噛み締めて笑った。

「ならこの状態でカツラ被るか?」
「…楽しんでますね?」
「おう、よく分かったな」

恨めしげな瞳に映る己の姿はまごうことなきダブルスの相棒、紳士のあだ名に似つかわしくない笑みを浮かべて眼鏡を押し上げる。 俗に言う、入れ替わり、だ。 マンガやらドラマでお約束のあれをまさか自分が味わうとは、人生はなかなかにエンターテイメント。 とりあえず、生真面目に慌てふためく柳生が面白すぎた。

「白々しい。その悪趣味な性格を何とかしたまえ!」
「何とかしたら俺じゃなくなるけん」
「なんですかその開き直りは…!私の顔でその表情はやめてください!不愉快です」
「おーおー、俺がテンパっとるゆーのもなかなか面白いもんじゃの」

持ち前の自制心で声を荒げるだめに留めているあたり、お人好しだとつくづく思う。
飄々と嘯き続ける柳生に向かって必死の形相で掴みかかろうとする仁王、そんな絵面が頭に浮かぶ。

「これまたシュールな……」

ぽつり零れた感想が、いよいよ柳生の怒髪天を突いた。

「人の話を聞いているんですか!」

一段と顔が近くなって凄まれているのは分かるのだが、胸倉掴みあげるまでいかずに肩を強く掴む程度なあたりが柳生の柳生たる所以だ。 抵抗せずに聞いてると返すも、不機嫌度は増すばかり。どうしろと言うのか。思わずため息をつくと、眉を跳ね上げた柳生が叫んだ。

「貴方の体のまま赤い羽根募金とかしますよ?!」
「また斬新な脅し文句が生まれたのう」

ツッコミがボケると何も出来ない。真面目だからこその結果は脱力も呆れも通り過ぎていっそ憐れみの視線になる。
さすがにこれ以上の放置はまずいかと思う反面、わきでてくる別の感情。 いくらなんでも悩む、悩むけれどもまあいいかで流せるくらいには仁王はやっぱり適当でもあった。 俯き気味の相手の顔――自分なのだが――を覗き込んで、口元に微笑を。ぴくり、引き攣る目の前の顔。

「まあ自分にするっちゅーのは気味悪い話じゃが変装したままと思えば…」
「いけるわけありません!少しは現状を憂いてください!」

力一杯の抵抗が始まった。





「――っつー夢を見ての」
「心から聞きたくないので黙って頂けますか」

結局ほとんど聞く羽目になってしまった柳生が冷たい声で切り捨てた。
何の変哲もない放課後、人の頼みを断りきれずに書類整理の手伝いを買って出たのはいいものの、 ふらり現れる見慣れた問題児は傍らに陣取って馬鹿馬鹿しい話を展開した。 無視をしても気にせず話し出す相手には慣れていたつもりだったが、 完全にシャットアウトできない自身への怒りやら情けなさやらで柳生は頭を抱えたくなる。

「前振りで話を終わらしたらいかんぜよ」
「まだ続くんですか」

うんざりした様子で書類を持ち上げた瞬間、無邪気な声が飛ぶ。

「本物の柳生にちゅーしたい」

ばさばさばさばさっ。
綺麗にまとめた紙の束は手から滑り落ち、机を白く彩った。

「やーぎゅ」

耳に注ぎ込まれる音と息、びくり身を竦めるもいつの間にか距離を詰めた仁王が顎を人差し指でつい、と持ち上げる。
反射的に目を閉じる。この状態で視線を合わせてしまったら崩れ落ちてしまいそうだ。次いで聞こえるのは微かな苦笑。

「あんまおもいっきし瞑るもんじゃなか、拒否されてるみたいじゃー」

眉間の皺に触れる体温。仁王の指がひどく優しくそこを撫でる。とてつもなく、熱い。 やがて指が離れ、身構えた柳生に近づいてくる気配はよく知っているもの。
ちゅ。乾いた軽い音を立て、いやに早くそれは去った。二秒遅れて目を開けると、困ったような顔で仁王が笑う。

「舌くらい入れてやろー思うたのにそんな怯えられたらなんもできん」

髪をすく指だけが名残惜しげに自分へ体温を伝えている。仁王は深く息をついて、肩を竦めた。

「はー…俺って紳士じゃね」
「どの口がそれを言いますか」



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