消化吸収、お待ちしてます


局長を継いでからの忙しさは今までの比ではなかった。
近藤が統括していたプロデュース部門はそれまでのノウハウを培った隊士に任せて安定している。
しかし権限の頂点は今や土方だ。市中警護と愛獲、それぞれに仕事を割り振り報告を受けねばならない。
そして何より疎かに出来ないのは、営業だった。近藤のように素で愛想を撒くことは土方には無理難題であり、近しい沖田にも真顔で止められた。
結果、藤堂や原田たちが率先して行ってくれているものの、贔屓のスポンサーには最高責任者が挨拶するのが筋だ。
ぴたりと寄り添う沖田の愛獲笑顔に助けられながら、各所へ礼を尽くしている。

「土方さんの場合、別の意味で大変だと思いますけど」

表情を消してぽつり呟いた随伴者の言葉を理解するのは一ヶ月も経たないうちだった。
何故か次々に舞い込んでくる見合いの嵐。そろそろいい歳、というのは愛獲活動に対する遠回しな嫌味かと思っていたがまさかの適齢期の話であった。局長だから身を固めるのも大事でしょう、なんて添えられる文面へ溜息を吐く。第一線を退いたのならまだしも現役活動中の最高愛獲が――いやそれで大人しく裏方におさまれの意かもしれない、だの真剣に考え出したあたり土方はやはり疲れていた。
一通目の封は開けたが、書状の一行目で読むのを止めた始末。写真も見ずにそれ以降は平積みされたままの書類を沖田が早々に回収した。
曰く、どうせ断るんなら他の隊士にやらせればいい、とのこと。
正式な契約文書であればもちろん土方の手を通るが、でなければ担当の部署が返答するのも昔からの仕組みだ。その後も懲りない見合い話は定期的に届いたが、全て見る前に返却または処分となる。
だが立場上、どうしても断り切れぬ場合も幾度かあるのだ。顔を立てつつ穏便に辞退する流れを繰り返したある日、単独撮影に赴いた沖田と帰りに鉢合わせる。

「土方さん」

土方の姿を認めた途端、表情を和らげる相手が足早に距離を詰めてきた。

「お疲れ様です」
「まったくだ」
「ぷっ、」

お決まりの挨拶へ思わず零れたのは溜息さえ含まれた感想で、堪えきれずに噴き出す沖田。

「だって土方さんが本音すぎます」

咎める視線を受けて片手を振ってみせたのち、悪戯っぽく口の端をあげる。

「そんなに嫌なら行かなきゃいいのに」
「そうもいかん」
「真面目だなあ」

あくまで他人事で話す沖田は笑みを崩さず雑談を続け、やがて屯所が近くなると声を落とした。

「最近、あんまり話せませんね」

大して表情も変わらず紡がれた言の葉はしかし、瞳に宿った寂しさを隠しはしない。
思えば稽古を抜けてまで自分との時間を作った前科のある沖田だ。それがただの我侭だけでないことも土方は知っている。
近藤と三人で家族だった、互いだけになってしまった。坂本たちのような仲間が出来たとはいえ、沖田が甘えられる相手は土方なのだ。
そう考える自体、過保護だという認識もある。だが、家族を優先して何が悪いのか。

「夜は休息のために付き合い以外は極力空けている」

感情が先走って口が動いた内容に、沖田が何事かと視線を上げる。

「あまり遅くまでは無理だが、お前と話す時間くらいは」

瞬間、目を瞠ってからの子供のような笑みに言葉が止まった。

「じゃあ、お邪魔します」

嬉しそうな返答は弾んでおり、ひとつ咳払いを混ぜて誤魔化す。

「また気まぐれにサボられては困るからな」
「探しに来てくれるくせに」

いつもの調子を取り戻した沖田の頭を軽く小突いた。


それから時折、夜は二人の時間になる。
障子越し、遠慮がちに声を掛けていた沖田も数度通えばいつものとおり。
さすがに酒は飲まないが、茶請けが用意されるのも当たり前になった。

「ちゃんと建前があると楽ですね」
「何かなくても来ればいいだろう」
「僕も子供じゃないから気を使うんです」

湯飲みを両手で持つ沖田へ小さい頃の面影が重なる。
そういえば近藤と三人で月見をしたこともあったはず――記憶の星空はごく遠い。
思い出は優しく、まだ苦さも与えるけれど、ゆっくり時を刻んでゆけばいい。

尽きぬ語りは欠伸によってお開きの合図、瞼の重そうな沖田の肩へ手を伸ばした。

「総司、もう遅い」

流れるように凭れこんできた身体の重みと眠たげな声。

「ここで寝たい、めんどくさい」
「大人はどこにいった」
「じゃあ子供でいいです」

即答が限界でないことを伝えていたが、こうなった沖田は基本動かない。

「仕方ない奴だな」

軽く頭を撫でると、布団を敷くために引き剥がす。
少しばかり不服そうに唸るものの、追い返す気がないのを察したか大人しい。
掛け布団を整える頃には自分から寄ってきていたので先に入ればするりと潜り込んでくる。

「ふふ、本当に昔みたい」

土方へ擦り寄る沖田から寝息が聞こえるまでさほど時間はかからなかった。


翌朝、腕の中の体温に違和感を覚えて目を開く。すうすうと穏やかな眠りへ沈む相手を確認し、顛末を思い出す。
抱きしめて眠ったかは定かでないが、安心して身を預ける沖田にどうでもよくなった。
同衾など、最後はいつだったろう。顔にかかる前髪をのけてやりながら口元が僅か緩む。
時刻を確認し、起こさないようそっと布団から抜け出る。

本日は朝早くから予定が入っていた。身支度を整え、時間まで書類の見直しで潰す。
迎えの隊士から声が掛かり、立ち上がろうとして名を呼ばれた。

「土方さん……?」

ひそやかに響く音色へ寄り添うよう膝をつき、静かに囁く。

「起こしたか、まだ寝ていろ」
「大丈夫です、起きます。どうせ朝稽古あるし」
「そうか」

無防備な様子で瞼を擦る沖田の頭を殊更優しく撫でた。
綻んで笑みへ変わった唇から柔らかく。

「いってらっしゃい」
「ああ」

答えて障子を開けた先、どういうわけか隊士が後ろを向いていた。
土方が何事か問うても言葉を濁すだけだったので、首を傾げながら歩き出す。


***


相変わらず忙しい土方の隣、書面と格闘する彼に凭れて沖田は楽譜を読んでは捲る。
机仕事の分担は概ね順調で、邪魔をしなければ傍にいるくらいは出来るようになった。
重要書類の決裁なら完全に篭ってしまうし、それならさすがに稽古へ向かう。
近頃は下級隊士の面倒も受け持つから、沖田とて暇ではないのだ。

「土方さーん、お茶冷めてますよ」
「む。それは悪いことをした」

適温で差し入れられた玉露は今やすっかり冷たくなっており、それでもぐいと飲み干す土方は律儀といえる。

「小休止、しません?今日は羊羹だって」

にこり、微笑んだ沖田に息をついた相手を確認し人を呼ぶ、お茶のお代わりと菓子の催促だ。
ぱたぱた駆けて行く足音を聞きながら身体を起こす。

「肩こってません?」
「凭れていたお前が言うのか」

本気ではないジト目にからから笑って伸びをする。
肩を軽く回していた土方が、ふと思い出した様子で呟いた。

「最近、あまり煩く言われなくなってな……」

何を、と聞くまでもない。見合い話だ。
一時期、強気にもほどがあった良家の猛攻は最近鳴りを潜めていた。

「断りまくってるから観念したんじゃないですかー」

沖田の返事へ、うむむ、と唸る声。生真面目な表情で腕を組む。

「悪いとは思うが、俺はまだ新撰組で手一杯だからな」
「そうですよ」

被せるように相槌、勢いのある同意に土方は瞬く。そっと指を伸ばして腕へ触れた。

「土方さんはやりたいことをやればいいんです、僕が傍にいますから」

まっすぐ見据えて告げれば、相手の瞳が穏やかに凪ぐ。

「それは心強いな」
「当然」

微笑みあってすぐ障子の外から声がして、そのまま首だけを向けて応じる。
運ばれてきた盆をそのまま畳へ置かせ、退室を待つ。

「ね、今日も来ていいですか」

閉じたと同時、続きの如く口にした。

「もう聞く意味もない気がするが……俺の予定がなければいつもだろう」

呆れながらも断らない土方に沖田の笑みが深まる。
温かい茶を手に取って、聞こえぬ音量でただ一言。

「――土方さんは僕の だからね」


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