幕間パーミテーション


▼6歳

扉を開けてすぐ漂ってきたのは甘い匂い。
台所兼リビングへ顔をのぞかせるとちょうど電子レンジを開けた花京院が振り返った。

「ちょうどいいところに」

はい、と手渡されたのは赤いミトン。言われるままに両手へ嵌めて取り出したものは長方形のケーキ型。
中で膨らむのもパウンドケーキ以外の何でもない。

「熱いから気をつけて」

指示に従って皿へ中身を転がせば、キッチンペーパーごところりと落ちてそれを花京院が紙の端をつまんで起き上がらせる。
ふっくらと山形に膨らんだそれはチョコレート色で、聞けばココアを混ぜたのだという。

「刃物も火も使っていないよ」

何か言う前に先手を打つ相手の申告どおり、このレシピに包丁もガスコンロも不要だ。
粉を混ぜてバターの代わりにマーガリンを使ってレンジで規定時間。唯一の火傷の心配は承太郎の帰宅によって解消された。
机の端へ広がる雑誌の切り抜きは二人暮らしを知ったホリィからのお節介である。これが意外と手軽な料理が満載で、きっちりファイリングして日々の生活に役立てていた。箱で届いた雑誌の束を抱える姿を見た花京院があからさまに笑いを堪えたのを覚えている。
曰く、――君が買ったことを想像すると面白すぎた、だそうだ。
あくまで外見上は六歳である花京院に包丁と火を取り扱うことは許していない。
そもそもまだ背がキッチンに足りず、電子レンジも踏み台を使っているのだから当然といえる。
よってこの出来上がったパウンドケーキを切る役目も承太郎な訳で。タイミングよく向けられた笑みに使われている気がしたのは何故だろうか。
切り分けた断面は見事なマーブル模様を描いており、本人もご満悦だ。端をひとかけら口に入れ、こくりと頷く。

「はい、承太郎」

味を確かめたのち、差し出された一切れは見た目から手作りにしてはなかなかのクオリティ。
レシピ通りにすればなんてことはないよ、と花京院は言うがそれが出来ないから商品は存在するのだ。
焼きたての香りがふわりと広がり、咀嚼して思わず、うまいと零す。
よくある味だ。しかしだからこそ、むしろ彼が作ったから、かもしれないが。
その反応に嬉しそうに笑う彼を視界に納めながら一切れ食べ終え、そもそも何故いきなり菓子作りなど始めたのかと問う。

「今すぐじゃないけれど、学習所で調理実習を考えているんだってさ。最初はお菓子からで、ゆくゆくはご飯を炊いて一食分かな」

クッキーの生地作りや型抜きからのスタートは当然の話で、危なくないものから徐々にレベルアップする方針らしい。
通っている子供の年齢も上下があるので、包丁を使ったメニューも検討されている。
監督役が複数名ついていれば文句もないだろう?と言われればまあその通りだ。承太郎の知らぬ間に一人で怪我をしないための措置なのだから。

「で、それがこれになる理由はどうした」

勘を取り戻したかった、というのは少し苦しい。わざわざ一人で承太郎が帰ってくるのに合わせて作る必要がどこにある。
単なる疑問を飛ばしたつもりだが、花京院はほんの僅か気まずげに押し黙った。
機嫌を損ねたのかと思った矢先、おずおず開かれる唇の動き。

――だって、

「はじめては君がいいじゃないか」

逸らした視線に含まれる照れと微かに染まった頬。
久しぶりに作るんだから、の意は承太郎の胸を違う意味でも撃ち抜いた。

「おれは試されてんのか」


▼8歳

部屋まで送るついでに承太郎へ定期報告をしよう。
そう考えた仗助は悪くなかったし、何度かやっていることでもある。
ただひとつ失念していたのは、花京院という存在が相手の中で最優先事項すぎたことだった。

「何を食べた」
「詰問?!」

部屋に入ってのただいまおかえり、次いで仗助の挨拶も終えたところで口を開いた花京院の十年でマックも変わるもんだねえ、の一言に承太郎の空気が変わった。低い声に思わず身構える自分を気にせず、花京院は間食を告げる。

「ハンバーガーとポテト、シェイクを少々」
「そんなレシピみたいに!!」

どう考えても怒っている目の前の大人へ歩み寄る相手。

「期間限定って言われると飲みたくならないか?」

抹茶だった、といい笑顔で言ってのけた花京院から視線を外し、ゆっくり仗助に承太郎の顔が向く。
背後に漫画の書き文字が見えそうなほどのプレッシャーを放つ承太郎が重苦しく語りかけてくる。

「仗助……成長期の子供に炭酸が良くないのを知っているか」
「なんでいまその話を?!」

骨が溶けるとか成長を妨げるとか様々な噂は聞くがたまに飲むくらいは平気だろう、と思うがいまの承太郎にその考えが通じるとは思わないしこの語りは前提できっと長々しい解説が始まる。

「一食くらいで死にやしないよ、大袈裟だなまったく」

呆れた声音で肩を竦めた花京院に承太郎の表情が完全に消えた。

――花京院さん、そのワード完全にアウトですよォーーッ!!

仗助の心中の叫びむなしく、数日後、野菜ジュースを都度飲んでいる様子を見る羽目になる。


***


事件が終わり、承太郎やジョセフが去って年月が過ぎた。
進学を期に上京した仗助も今年で二十歳。三年目となった今年、大学に承太郎が訪れた。自分の専門ではないので特別講義を受けることはないが、丁度いいからと花京院を頼まれる。二つ返事で請け負ってカフェテラスへ案内した。
当たり前のように承太郎に連れ回される彼はさすが四年経っただけあってだいぶ身長も伸びており、知的な印象が増している。外見上はそれでも子供でしかなかったのだが、重ねた年月が倍はある事実を仗助は知っていた。
深緑のズボンは子供服によくあったな、というくらいシックな色合いで白い長袖のシャツは上品の一言に尽きる。
胸元のリボンタイのおかげで完全に深層のお坊ちゃま状態ともいえた。全身真っ白な美丈夫とこの美少年ではさぞかし目立つ。

――こりゃ一人にはできねーよなァ。

基本的に、このような外出時は承太郎は一人で動く。
しかし本日は講義後にそのまま支部へ用事があるらしく、二度手間も考えて仕方なく連れて来たという。
日当たりのいい窓際へ腰掛けながら、近くのメニュー表を指差した。

「なんか飲みます?」
「いや、気を使わなくていいよ。ぼくは持参してるから」

がさり、と鳴るビニール袋はおそらく構内の売店。
持ち込み可の学生食堂のようなものだから行動自体に問題はないが、中身とは。
半ば無表情で取り出された紙パックに仗助も苦い気分になる。

「……それまだ根に持ってたんスか」

いうまでもなく、承太郎が、だ。
花京院の手にあるのは、飲みきりサイズの野菜ジュース。
あのファーストフード事件で保護者モードを発動した彼が花京院に課したノルマである。

「食べ物は好きなの食べてろってさ。ご丁寧に二つも渡されたよ」

律儀に消化する為ストローを刺す少年(外見上)が白い丸テーブルを弱くない力で叩いた。

「あの白コートを野菜生*緑王で染めてやりたい…!」
「それ回りまわって後悔すんの絶対花京院さんスよ!?」

新発売の青汁飲料を思い浮かべ、仗助は必死に首を振る。
惚気と相違ない愚痴を聞きながら、遅い昼食は過ぎていく。


▼14歳

玄関を開けると聞こえる生活音――よぎったデジャヴに歩を進めてリビングへ辿り着けば、キッチンへ立つ花京院の姿が見えた。

「おかえり、承太郎」
「どうした」

ただいまより先に質問が出たのは他でもない。
およそ三ヶ月周期の同居生活は花京院の両親の帰国と承太郎のフィールドワークが交互にくる。
二週間ほど前に本来の保護者は日本に戻り、己の出国は来週であった。
一度振り向いたのち調理に戻っていた相手の規則的な包丁の音が止まる。危なげなく中断されたまな板を置いて承太郎へと足早に近付く。
屈むよう指で指示されて従うと両頬を勢いよく挟まれた。べちん、と叩くような勢いは若干痛く、そして指先でなにやら確かめる花京院の顔は渋い。

「肌が荒れてる」

不満げに呟き、次いで頭突きを繰り出してきた。恐らく向こうもかなり痛い。

「君、ぼくがいないと適当に過ごしすぎなんだよ!人には栄養をとやかく言うくせに!」

当てた額を離し、次に触れてきた箇所は柔らかく啄ばんで。
ちゅ、と響く後で合わさる瞳が揺れている。

「この前帰ったら唇が荒れてたじゃないか」
「それは乾燥した空気の」
「言い訳厳禁!」

額へぐりぐり押し付けられる人差し指の力は強い。
承太郎にリップクリームなど塗る習慣などないので、海の上で乾燥すれば当然の話でもあった。
一旦解放され、向き合う花京院は落ち着きなく前髪を弄り僅か視線をずらす。

「こっちに居るといっても忙しい日は遅いんだよ。そういう時はぼく一人だし」

込められた意味合いに抱き締める腕を止める必要はなかった。
体温で人心地ついた承太郎へ、花京院も身を預ける。
すぐ離れなければならないのに、愛しさが増すのも困りものだ。

「名残惜しくさせてどうする」
「補給して頑張る、くらい言ったらどうだ」

溜息を含んで零せば、くぐもった声が胸元から聞こえる。
自然と緩む表情は相手に見えない。

「そうだな。今日は泊まるのか」

覗くように囁きかけた瞬間、耳から赤く染まった。
少しだけ身を硬くする相手を見つめること数秒、逸らされていた視線が挑むように突き刺さる。

「自分から言うのとされるのじゃ心構えが違う!笑うなら笑え!」
「いや、余計に可愛い」
「かっ…!」

口を開閉させるところへ顔を寄せると掌で拒否された。

「承太郎はじゃがいもの面取り!ほらさっさとする!」

抗わず大人しく相手を解放する。まだ眉を寄せた花京院が、じとり睨んで(あとで)と呟く。
口元を緩めながら材料を検分。本日の献立は肉じゃがのようだ。
調理へ入る前に袖が引かれ、お預けのキスが与えられる。


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