終演からカーテンコール


「やあ、久しぶり」

軽いノリの第一声に止まってしまった表情筋はとても見事な間抜け面だったと原因どころじゃない花京院はのちに笑った。 季節は夏、そして8月半ばといえば盂蘭盆会。行事に則って現れた彼は確認するまでもなく故人である。

「無反応は失礼だぞ、承太郎」

自室の畳の上で仁王立ち。せっかく会いに来たのに、だとか言ってくれた相手があまりにふてぶてしい。 夢なら夢でもう少し何かないのかと思ったが、笑う花京院の腕が自分の肩をすり抜けて息を飲む。 幻だと思うならそれでいい、なんてあっさり言い切るのに首を振り、ぽつりぽつり近況を話す。 長くない邂逅がどのくらいだったか分からないが、穏やかなひとときが優しく過ぎた。
来年もくるのか、と問えば少し考えたのちに頷いた。
そうして本当に次の年も訪れた花京院を見て、承太郎はようやく彼の死を実感した。

二年目も生きた、三年目も生きた。
高校は卒業して大学に進み、周囲も環境も目まぐるしく変わる。 表向き平和に過ごしながら、SPW財団から要請があれば出向くこともあった。 日々は誰にも等しく降り積もり、承太郎はもう子供ではない。 成人し責任を持ち過ごすなか、それでも8月を心待ちにする。
唯一心安らげる、花京院との時間だった。

「承太郎、君にひとつ言いたいことがある」

四年目に現れてのお説教はそんな承太郎をまっすぐに打ち据えてきた。

「お盆を目標に一年を過ごすのをやめたらどうだ。死者に会うために生きる、不健全、実に不健全だ」
「最初に会いにきた奴が何言ってやがる」
「ああ言えばこう言わない!」

理不尽すぎる返しで机を叩くジェスチャーをしてみせ、次いで頭を抱える。
その体勢はまるで懺悔のように見えた。

「ここまで悪化すると思わなかったんだ」
「人聞き悪ぃな」
「だいたい、君もう子供も生まれるんだろう結婚おめでとう!タイミング逃してたけども!」
「ありがとよ」
「どういたしまして!じゃあない!」

勢いに乗せた応酬は相手のボルテージのみを上昇させていった。
話していない情報もやはり筒抜けであったようで――別に隠していたわけではなく花京院の言うとおりタイミングの問題だが―― 死後の世界とは便利だなとぼんやり思う。

「とにかく!君はぼくなんかに振り回されずちゃんと生きろ、いいな?」

やけに真剣な様子に頷いた翌年、花京院は訪れなかった。
愛想を尽かしたのか、限度があったのか、そもそもが長い幻覚だったのか。 確かめようもない、ただ己にだけある空虚感。何にせよ、ここまで導いてくれたのが彼であるなら、疎かにできるはずもない。
責任を負う日常へ承太郎は戻っていった。


***


「こら!起きろ承太郎!」

間違えるはずのない声に瞼を開ける。
覗き込む顔はやはり花京院で、現状の把握に時間が掛かった。

「……会いに来ないんじゃなかったのか」
「ぼくじゃなくて君が来たんだよ。あーあーあー、何をしてるんだ空条承太郎ともあろう男が!爆弾くらいで!」
「相変わらず、よく知ってるな」
「君に関してはね、ってそんなことはどうでもいい!すぐ戻れ今すぐ戻れ」

しっしっ、とまるで犬を追い払うような仕草に肩を竦める。
気付けば立ち上がっていた身体はこの空間から考えれば当たり前だが傷もない。
花京院以外に何も見当たらぬ場所はどちらかといえば暗かった。生死の狭間というイメージのせいだろうか。 まだきちんと働いていない頭を追い立てるかのごとく、目の前の男はまくし立てる。

「考え込む暇があるなら目を覚ませ、家族を置いていく気かい?」

その台詞にどれだけのものが込められていたか、顔を見るだけで感じ取った。
責めるのではない、ただただ、優しい瞳。後悔はしてくれるなと、表情が語る。

「まだまだ、こちら側になんて渡してやらないからな」

軽く肩を押され、身体が浮いた。
遠のく意識が次に引き戻された時には杜王町で、年下の叔父が安堵の表情と共に胸を撫で下ろす。
夢と思うには連続した、しかし都合のいい幻覚といえた。

それからまたしばらく、花京院に会うことは叶わなかった。


***


海面から深く深く沈んでいく。暗い底だと思った場所は存外明るく、閉じたつもりの瞼はいつの間にか開いて周りを視認しており、 浮いたような感覚は消えて足が床についていた。床、だろうか。白い、ただただ白い空間だ。 これだけ白ければ眩しさに目を細めそうなものだが、どちらかというと優しさを感じる色が広がっている。

「だから、会いに来いとは言ってないだろう」

抑え込んだように不機嫌な声、数歩先へ足音もなく現れたのは記憶のままの姿を保つ花京院。
腕を組み、承太郎を見つめる眼差しは険しいが、今更そんなものに堪える本人ではなかった。

「随分な挨拶だな」
「41歳だと!却下!まだまだ現役でいける!」

腕を振り払うよう薙ぐ腕は空気を切り鋭い風を生み出したが、口走る内容は無茶振りである。
学帽じゃなくなって久しいものの、染み付いた癖で無意識に唾へ触れた。 示す心は「やれやれだぜ」といったところだが、仕草だけで正しく伝わったようなので省略して言葉を返す。

「もう帰り道はないんでな」
「開き直るな!」

硬いのか柔らかいのか分からない床を踏み付けて花京院が前へ出る。

「人生五十年の時代じゃないんだぞ、むしろ高齢者社会の時代じゃあないかッ」
「てめーが言えた立場かよ」

天寿を全うした者の説教であればいざ知らず、この状況でそんな戯言は意味がない。
一瞬だけ詰まった花京院はすぐさま声を荒げ――

「それでもぼくは!」

震える手を胸元まで持ち上げて、握った。

「君に……生きて欲しかった……!」

かすれて零れる音は酷く苦しげで、相手が俯くのと承太郎が踏み出すのは同時になる。

「生きたぜ」

はっきりと口にすれば肩が揺れて、それを宥めるように両手を置いた。

「もう、十分生きた」

慰めでも建前でもなく心から。

「承太郎……」

告げる言葉に花京院が気遣うように視線を上げる。 この場でなお、承太郎を優先する相手は根底の部分をちっとも理解していなかった。その点だけは不満が募る。
人間五十年とはよく言えたものだ。そもそも元の一節を出すのなら、花京院こそ儚まれる立場になる。
そして悔いて引きずるところまで被るのだから笑えない。

「言っとくが、花京院、お前が死んだ時点で俺も一度死んだ。生きるってのは心臓が動くことじゃあない、未来へ進むことだろう。 俺自身の未来なんざもう興味はなかった、ただ繋いで残されたものを守る矜持はあったぜ。あれだけやっといて後処理が杜撰で意味がねえなんて それこそあの五十日を無駄にする、んなもん許せるか。俺は過去を守るために未来を守ると決めた、まあ最後はあっけなかったがな」

そんなことはない、と文末だけを拾って首を振った花京院は何かフォローを口にしようとしたらしいが、前半の主張が遅れて脳に到達し固まった。
死んだ云々への労いはこの際どうでもよく、溜めに溜めた行き場のない想いの発散を今こそ叶える好機である。 呆然と受け止めた相手の顔は明らかに動揺で染まり、金魚のように唇をぱくぱくさせた。

「君は、だって、ぼくがいなくてもちゃんと、」
「そうしろっつったのはてめーだがな」
「空条承太郎は!そんな風に指針を決めるような男では、」
「じゃあいま覚えとけ、おれはそんな男だ」
「っ!」

そんな、だの、ありえないだの呟く様子に笑いがこみ上げてくる。
あれだけの積み重ねがあって言われなければ分からないとはいっそ愉快だ。
もう何も背負わぬ身なれば、やるべきことはただひとつ。元々近い身体を簡単に抱き寄せた。

「あの世の流儀は知らんが、てめーがおれに自由に干渉してたくらいだ。規律が緩くて結構じゃねーか」
「や、そのあたりは思い返すと恥ずかしいので忘れてくれると非常にありがたい……」
「断る。まずはさし当たって24年分、埋めてやるから覚悟しな」

やんわりと腕から抜け出そうとしていた花京院だが、承太郎に離すつもりがないと分かると抵抗を諦めたように息を吐く。

「君、完全にテンションがあの頃なのは気のせいじゃないね」

呆れたような安心したような表情の意味を図りかねて違和感を覚える。相手を抱く自分の腕、衣服が何故か変わっていた。 知った重みと擦れる金属音は鎖に相違なく、完全にあの、十代の学ラン姿だった。
眩しげに目を細める花京院をそっと離し、帽子の位置を確かめる。

「仕切り直しだ、花京院」

瞳を見据え、終ぞ伝えずにいた言葉を紡ぐ。

「おれはてめーに惚れてる、ずっとな」

交わす視線が揺らめいて、花京院が眉尻を下げる。

「ああ、君は本当に、本当にずるい」

困ったような微笑は嬉しさで色づき、今度は向こうから手を伸ばした。

「ぼくだって、君の為に生きたんだ」

飛び込む温もりを今度こそ噛み締め、互いの名を何度も呼ぶ。
始まってもいなかった恋がここにある。


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