限定福音
旅の帰還から翌年、二人そろって留年した承太郎と花京院はガクセー生活を謳歌していた。 同じ時期に復帰というだけでも目立つのに、当然の如く揃って行動すれば注目必至。 初めて花京院が承太郎を迎えに来た時、教室が静まり返った。 女子が呼びにくるもしくは騒ぐならまだしも、現れたのは隙のなさそうな優男風味が一名。 もっとも、背丈もガタイも一般男子より余程しっかりしているのだが、物腰の柔らかさが彼を中性的に感じさせた。 どうすんだこれ誰が取り次ぐんだ、の空気が広がり、視線が当人へ集中する。 入口から遠い窓側の一番後ろ、ゆらり顔を上げた承太郎が花京院を捉えた。 立ち上がる長身はヌシヌシと歩み寄り、言葉も交わさず教室を出る。花京院はそのまま続くと隣へ並んで廊下を歩いていく。 数拍置いて大騒ぎになったのはいうまでもない。 実はこの時、ハイエロファントグリーンで床から這わせ、承太郎の服の裾を引っ張って呼んだのは二人だけが知ることである。 昼休みは大体が屋上。風の強い日や天気の悪い日、そして寒すぎたり暑すぎればその限りではないにせよ、 コンクリートに座りフェンスに凭れる昼食はリズムに組み込まれた。 夏の焼ける暑さが終わって秋に差し掛かり、久々に訪れたそこで承太郎はうとうとまどろむ。 隣で本を読む花京院の気配が心地良い。たまに笑う気配と髪を梳く感触があるのも好きにさせた。 二人にとって、互いが傍にいるのは呼吸と同義になり始めている。否、もうそれが自然なのだ。 絶望的な状態を必死で繋ぎとめ、病院に送り込んで数ヶ月。奇跡の目覚めに立ち会ったのは承太郎だった。 それもそのはず、五体満足で生還した英雄は命の途切れそうな戦友の回復を信じ、誰よりも傍に居たからだ。 一日も欠かさず面会時間ギリギリまで居座るうちに花京院の母とは打ち解けて、リハビリ中も貴方がいるなら安心だと全幅の信頼。 退院が決まり、自宅療養が始まるあたりでは家族ぐるみの付き合いになっていた。 いよいよ来年度から復学すると決まった翌日、自室で寛ぐ花京院が密やかに零す。 「君と居る時間が減るのは少し寂しく思う」 どこか儚げな笑みへデコピンを飛ばし、痛みより驚きで見開く相手の瞳を覗きこむ。 「離れやしねぇよ」 宣言すれば、安堵したように表情が緩んだ。 そして復帰から半年以上、花京院は今日も変わらず隣へ座る。 交友を遮断してる訳ではなく、承太郎を優先するだけだ。 クラスでの評判も悪くない、どころか学校内で人気だった。 元々が素材のいい男である。物腰柔らかくスマートな男子など、高校生にはなかなか存在しない。 あっという間に女子の話題となり、承太郎と並べば黄色い声は二倍になった。 つれない人気者のタッグは異性の弾きっぷりからしてまさに親友、などと話題に事欠かず、どうにか外堀を埋められないか粘る挑戦者も多かった。 憶測が変な勘ぐりを生んで問い詰める馬鹿がやってきても、花京院はやんわりとかわして取り合わない。 本当は、ぼんやりと自覚はしていた。そしてきっと相手も同じではないか、とも。 さして伝える必要がないと感じたのは、花京院が望んでいると思わなかったからだ。 この心地良い関係をわざわざ変える必要などないと、確かにそう考えた。 それを叩き壊した黒船のような何かは、思春期の暴走だった。 いつもの屋上で、承太郎は帽子を顔に乗せほぼ寝入る直前。 花京院が鞄から本を取り出そうとした時、現れたのは恋する乙女。 ほぼ不可侵領域と化す屋上だが、たまに乗り込んでくる猛者もいる。 今回のお目当ては花京院だったようで、繰り返された断り文句が流れてきた。 だがしかし、その日のチャレンジャーはなかなか諦めない。 まずは友達から、付き合ってみれば分かる、そもそも女子に興味がないなんておかしい、 どんどんヒートアップしていく相手に辟易する花京院の心境がいつの間にか伸びていた触手越しに伝わってくる。 立ち上がって離れた距離分の甘えを感じ、指へ絡むのをそっと撫でた。 吐き出し終わるまで待つのを決めたらしい付き合いのよさにいっそ感心していると、反応のないことに焦れた少女が何かを叫ぶ。 完全に聞き流す態勢だった為、認識が遅れたがおおよその意味を汲み取って並べる。 ――そのままじゃ幸せになんてなれない。 「それは君が決めることなのか?」 反芻した瞬間、恐ろしく冷たい声が空間に響いた。 少女が息を飲み、走り去る音が後に続く。 扉が閉まるのに合わせて花京院は呼吸を整え、振り返る。触手は離れ、スタンドは姿を消していた。承太郎も起き上がり、帽子を被り直す。 「煩くしたね、すまない」 やり取りを聞かせてしまったことに対する謝罪、次いで向けられた眼差しは覚悟を決めていた。 胸元へ当てた手が制服を握り、はっきりと口にする。 「しかし、この際だから言っておこう。ぼくは君が好きだ。 もちろん親愛の意味も含まれているけれど、君という存在そのものを愛しく思っている。 だから多少の独占欲くらいはあるにせよ、友人の立ち位置を不満に感じたことはないし、この先もずっとそうだと考えた。 例えば、君に恋人が出来て結婚して子供ができても心から祝福できる自信があるよ。だがしかし!」 スピーチの如く朗々と放たれる告白は逆接によって雰囲気を変えた。 だん!と足をコンクリートに叩き付け花京院が声を荒げる。 「ぼくが承太郎といて幸せになれないだなんて心外だ! ぼくの幸せはぼくが決めるものだろう、誰かにとやかく言われる筋合いはない。むしろ幸福以外の可能性がどこにあるっていうんだ?勝手な憶測で枠に嵌められるのは腹立たしい。 こうなったら証明してみせようじゃあないか!」 一息に言い切って凄んでみせた相手と見詰め合う一秒。 「で、おれはおめーと付き合えばいいのか」 ひと言で要約する承太郎に花京院は表情を止める。 やおら口元へ手を持っていき、ぶつぶつと呟き始めた。 「そうあっさり了承されると返答に困るな……いや君から何も感じていなかった訳ではないんだが、もし この流れに気を使った発言なら」 「花京院」 立ち上がり、少し強めに呼ぶ。肩が震え、視線が逃げるのを許さない。 足早に追い詰め、顔を寄せる。 「てめーで崩した均衡は責任取りな」 ぐ、と引き結ばれる唇から、不満そうな表情に変わり。 「だったら君も言葉にしてくれ」 「好きだ」 反射的に答えたら、びっくり顔で固まったあと赤く染まった。 *** まさかの急展開イベントで成立した関係は本人たちの枷が外れてしまえば障害などなく、仲睦まじく進学する。少ないが気の合う友人もでき、実に平和な生活だ。 相変わらず二人ともモテて、それを蹴散らしスルーし日常を続ける。 およそ共通点のなさそうな男が親密な雰囲気を漂わせて、しかも女子には目もくれない。 ストイックだとか友情が一番なんだとか噂される中、やっぱり問うてくる輩はいる。 というか、粉を掛けてくるので袖にしたら食い下がられたのだ。 「恋人がいるので」 聞かれなかったから答えなかった、のていで花京院が口にした途端、爆発的に広まった。 承太郎は基本的に取り合わず何も言わなかったから、余計に情報が錯綜する。 謎のイケメンの片割れの相手は誰かと色めき立つところで、友人の一人が首を傾げた。 そういえばお前ら、一緒に住んでなかったか?それで恋人とか難しくないか?聞かれた方向に本人がぱちくり瞬き。 承太郎のほうをちらりと見たので、好きにしろの意を示す。花京院の目が笑った。 「ぼくたち、付き合ってます」 大きすぎる爆弾の投下に男子はガッツポーズし、女子はそれでも諦めなかった。 承太郎へは強く言えない臆病者は花京院へ矛先を向け、学年の違う二人が離れた時間を狙う。あからさまな好奇の視線および揶揄が飛び交い、直接心無い発言をする者もいた。 視線くらいなら涼しげに流す花京院も、侮辱に対しては鋭い眼差しを向ける。 途端、身動きの取れなくなった同学年の男性数名は花京院が去ったのち盛大にスッ転ぶ。 頭を打ったりはしないが、繰り返されるその現象に「怒った花京院は怯えて腰が抜けるほど怖い」と広まった。 もちろんカラクリはハイエロファントグリーンの触手で、女性には限度を超す態度の相手にだけ拘束程度で済ませている。 一ヶ月もしないうちに、悪意は静かになった。好意はまだまだ健在ではあったが。 かくして、名物イケメンは恋人認識を見事勝ち取った。 「男なら勝てる!って思い込みも凄いな……」 完全なる他人事でしみじみ呟く花京院の隣で、やれやれと零す承太郎。 高校生からの反発心がいまだ根付いているパートナーは非常に好戦的で頼もしい。 その男らしさからファンも更に増え続ける事実を彼は知らない。 承太郎も承太郎で、どうだこいつは魅力的だろう、と自慢したい気持ちもあるから 清々しいくらい豪快に斬り捨てていく様を満足げに眺めていた。 年長者が院生へ上がり、二人が校内で並ぶのも珍しくなった頃、事件は起こる。 今更の話だが花京院は高校時代から十分に人気があった。承太郎と一緒に居るから下手に声も掛けられず思いを秘めた者も少なくない。実際、一学年違う門番が卒業した翌年は勢いが増したそうだ。 チャンスは自分で作るとばかり行動に移す女子は脅威である。 「どうして私じゃダメなんですか」 誰が通るとも分からない中庭で花京院を足止めしていたのは、記憶を手繰れば同じゼミの一人だった。人当たり良く聡明で、承太郎も話していて不快にならなかった思い出がある。 花京院と話が弾むのも珍しくなく、好感触だ。あくまでも、友人として。 いつかの屋上が重なる光景。目を細めた花京院は静かに微笑んだ。 「ごめんなさい、ぼくを幸せに出来るのは承太郎だけだから」 承太郎の時間がきっちり五秒ほど停止する。意識を飛ばすうちに敗者は背中を向けて立ち去っており、遅れて恋人に気付いた花京院がのほほんと笑う。 「おや。君、どこから聞いていたんだ」 「詰め寄られたあたり、か」 ずれてもいない帽子を直しながら答えると軽く肩を叩かれる。 「すぐに会えて良かった。さ、帰ろう」 素早く歩き出した相手はいつもより大股だ。 コンパス的に追いつけないことはないが、どこかおかしい。 「おい、花京院、」 「いま必死にポーカーフェイスを保っているんだ、君なら分かるだろう!」 覗いた顔はむしろ怒りに近い無表情。言われなければ赤くもないし、照れているとは分からない。 「全くなんだってタイミング良く現れるかな」 家に着いてから「それは愛だ」と囁いたところ、何故か腹部に一発食らった。 顔は無理だから、とのことだが承太郎の頭には疑問符が飛ぶ。 *** 更に数年、海洋学者として身を立てて博士号も取得した。 助手のように付き添う花京院は公私でも相変わらずパートナーである。 休日のけだるい朝、擦り寄る相手の指を絡ませ、握りながら静かに切り出す。 「好きな柄はあるか」 「実に唐突な問いだな。何か注文でもするのかい?」 「見えるより内側に彫る方がおめーは気に入ると思ってな」 わざと省いた説明を責めるみたいに眉が寄る。 「承太郎、主語がないぞ」 「材質は白金にする」 ぱちり、大きく開いた瞳。すぐさま顔全体が笑みに取って代わり、繋いだ手がきゅっと握り返される。 「君のイチオシは?イルカとか」 「毎日つけるもんにそれで文句ねぇのか」 「あ、ぼくは星を入れたいかな」 はしゃいで喜ぶ様子の愛しさに唇を寄せた。くすぐったげに啄ばんで、やがて深くなっていく。 完全なるオーダーメイドは忘れた頃に小さな箱で届いた。 そういえば一ヶ月以上前にそんな話もしたかもしれない、なんて応じる相手の額を突付く。 じゃれあいはさておき、開いた小箱の中にはきらめくプラチナ。 二つの輪が重なり合ったデザインに内側の彫刻、泳ぐイルカと星が連なる絵柄は上品にまとまっている。 「なんという職人技……三十路手前の男がするにはファンシーすぎるデザインなのに」 まじまじと眺める花京院の呟きは聞き捨てならない気もするが、秘密で仕込んだものに視線が留まるとどうでもよくなった。揺れる瞳、顔を上げ見つめてくる相手の感情は奔流のように溢れて伝わる。 「承、太郎」 「なんだ」 「君って本当に、ああもうかなわないな」 掠れる声に機嫌良く笑う。緩く頭を振って言葉を紡ぐ花京院の眼差しは潤んでいた。 イルカの鼻先近く、埋められた色は輝くエメラルド。 震える手をそっと掴み、誓いの儀式のように指輪をはめていく。承太郎の指にも花京院からはめてもらい、視線で誘い合ってキスをする。 「ありがとう、これからも君を幸せにするよ」 彼は左手を嬉しげにかざし、花が綻ぶように微笑んだ。 |