愛しさは定形外
晩酌というには飲み放題すぎる状態になっておよそ2時間。 最初こそ普通の宅飲みだったはずだが、どんどんペースを上げていく花京院の目が据わっていくにつれて 承太郎はある種の覚悟をした。彼は現在、飲まなきゃやってられないのだと。 外なら嗜めて連れ帰るのだが、そもそもが花京院のアパートである。自分の限界も知らぬ阿呆ではない、 きっちり成人してから酒を解禁した彼はきちんとセーブしてなおかつ強かった。 大学に進んで二年、学部も学年も違う承太郎とは何とか時間を擦り合せて付き合っている。 互いの住居へ足を運ぶどころか鍵まで交換しているのだから、もはや一緒に住まない意味が分からない。 しかし妙な頑固さを発揮する花京院は渡した合鍵もほとんと使わず、承太郎が連れて行かなければ扉をくぐることはまずなかった。 花京院には彼なりの理由があるのだろう。一度失いかけて掬い上げただけで僥倖なのだ、今更待つくらいは何でもない。 言葉少なに向かい合って酒を煽る相手を見つめながら思考へ沈んでいた矢先、グラスの底を叩き付ける音がした。 とうとうきたか。どんな爆発が起きるか、そしてそれが自分へ向けるものか様子を見ようと視線をやれば残り少ない酒を握った手はそのままに 花京院が吐き捨てた。 「酔って甘えられればいいのに」 「いや酔ってるだろ」 思わず即答で返したほどには理解不能な発言であった。 承太郎の混乱をよそに花京院は鼻を鳴らし、グラスから離した掌で机の端を掴む。 「酔ってたらこんな冷静に頭が回るもんか」 ――冷静じゃねえ。 今度は口にしなかったのは余計な一言がちゃぶ台返しの切っ掛けになりそうな気がしたからだ。 ガラスのローテーブルでそれをやられると非常に危ない。 いざとなったら時を止めるのもやぶさかではないが、花京院と机は守れてもそれ以外をぶちまけた惨状が予想される。 黙った承太郎に一旦は落ち着いたかに見えた相手は掴んだ部分を支えに立ち上がり、こちら側へ回り込んですとんと腰を下ろした。 次いで見上げてきた表情は至極真面目で。 「ぼくが可愛くもないのは百も承知だ。それ以前に男でかわいいとか無理があるだろ、まあ君はぼくにとっては可愛いんだけれども」 自棄のように放たれた愚痴は後半にいくに従って思案の色を帯び勢いを失くす。 「矛盾わかってるか」 「うるさいな、君はぼくにとってヒーローなんだから規格外に決まってるだろう」 戒めたのも一瞬で忘れて突っ込みをかましたくなる宣言に口が動いてしまい、即ぴしゃりと叱られた。 内容は完全なる賞賛なのに理不尽なのは何故か。 見つめる視線を受ける僅かな沈黙のち、確かめるよう伸ばされた手が肩へ触れる。体温を感じ、眼差しが和らいだ。 「こんな図体して海洋生物にメロメロだったり、分かりやすく拗ねたり、 およそ外見から予想できない行動をしすぎなんだよ君は。ずるい、非常にずるい。 顔を逸らすのも舌打ちするのも怖くなんかないさ。17歳の君は今よりずっと不器用だったし 沸点も低かったし力ずくで止めるのも一苦労だったけど、本当は優しいことをぼくは知っていたから」 指を二の腕まで滑らせながらうっとりと目を細めていく花京院。思わず頬へ手を当てれば嬉しそうに瞼を伏せた。 「そう、最初から、助けてくれた時から君がぼくの光なんだ」 再度開いた瞳の奥は澄んだ色で承太郎を射抜く。ふわりと微笑んだが早いか名残は一瞬で消え、真剣な顔と共に今度は両肩を掴まれた。 「そんな唯一の光明に愛されて平気だとでも思ったのか。幸せすぎてこわい、ありえない。 でも選ばれた事実をどこぞの誰かに渡すつもりはさらさらないし、君にはぼくだけ見ていて欲しいしぼくだって君しか見ない」 弾みで頬に触れた手が離れ、そのぶん覗き込むように花京院が寄る。 「取り繕うのはもう性分なんだ、アイデンティティが形成されたあとに作り直すなんて無理だろう? ぼくは面倒くさい男だし君も大概勝手な男だしお似合いじゃあないか、お似合いだよ、だから離したりするもんか」 「何か言われたのか」 「誰に?文句を言いそうな相手は君が黙らせたくせに。まあ今更とやかく外野にいちゃもんつけられたところで痛くも痒くもないんだけどね。 ぼくが勝手にくだを巻いてるだけですよ」 並べ立てられた告白に不穏なものを覚え問う声が低くなる。しかし意にも介さずまた一笑に付した花京院が自嘲めいた呟きで表情を沈ませる。 同性に対するあれやこれやは面倒すぎて、使える手段を余すことなく使った。おかげで邪魔は入らないし、万が一入ったとして散滅する以外の選択肢はない。 ならば何故そんなに不安げに、と聞くより早く彼の両手が承太郎の頬を包み込んで引き寄せた。酒のせいで潤んだ瞳を向け、懺悔のように甘く紡ぐ。 「ああ、好きだよ、すきだ。承太郎、君がすきなんだ」 「おれだって愛してるぜ」 息をするような即答にぱち、と瞬く仕草。先ほどの影を帯びた艶は欠片もない。やはりこいつは酔っているな、と再確認する。 続く声は生徒を叱るようなトーンだった。 「こら、その一言で済ませるのが嫌だから分けて繰り返したのに」 「そいつは悪かった。好きだから許せ」 「フフ、ぼくが君を許さないとでも思ってるんですか。くくっ、ふふふ」 含み笑いからノォホホノォホと声を上げるまで至り、治まらないのを噛み殺しながら再度覗き込んできた。 「許しますよ、許すとも。承太郎がぼくにひどいことなんてしないのもわかっている。 いつまでも優しいからね、切羽詰っても確認するし謝るしあそこまで理性がもつのも凄いと思うよ」 「おい、何の話だ」 上機嫌にひとりごちる内容は水道の蛇口から流れるようにハイスピード。 理解が一瞬追いつかず引っかかった単語へ眉を寄せれば、ふっ、と唇から漏れる息が掛かる。眇める視線が挑発的に。 「言わせるのか?ぼくに?そうしたら我慢しないでくれるかな」 問いかけは形だけ、足を踏み外せと誘う色だ。ぞくりと震える感覚は寒さではない。 「てめ、ほんとに酔ってんのか」 「だから酔ってないって、」 言い終わる前に唇を塞ぐ。熱をもつ口内を舐めさすり酔ってきた舌を絡めるとくぐもった声が幾度も零れる。 深くなりすぎる前に解放したのは遠慮というよりは状況の把握だ。 「酒くせぇ」 離すなり呟いた承太郎に、あはははは、と笑う声。そして頬をぺちぺち叩く音。 「飲んだんだから当たり前だろ」 へにゃり、崩れる表情にこれは重症だと内心で息を吐く。 相手の酒量ごときで萎える訳もないが、花京院はさっさと寝かせるべきである。 蕩けた眼差しは寝落ち寸前、力の抜け始めた腕でそれでもなかなか引き寄せた頬を離さない。 「承太郎、承太郎、じょうたろう」 「なんだ」 もう呂律も怪しくなり始めた相手が必死に己を呼ぶ。 ゆっくりと打った相槌へ、くしゃりと歪む顔は泣きそうなもの。 「甘えられなくて、ごめん」 ようやく零れ落ちた本音を掬い取り、額を合わせて注ぎ込む。 「勝手に甘やかすから、好きにしてろ」 大きく見開かれた瞳が喜びに染まり、指先が頬を撫ぜた。 「やっぱり言いたいから、」 ほぼ口の動きだけで五文字を紡ぎ、花京院の腕がぱたんと落ちる。 穏やかな寝息を聞きながら、承太郎は口癖を呟いた。 *** 翌朝、腕の中の体温へ擦り付きながら瞼を開けると熟睡する花京院の顔が目に入る。 閉じられた唇を人差し指で緩くなぞってなんとなく大きさを確かめた。 「ん、」 息だけ漏らすのにそっと指を離し、鼻先へそっと口付けを落とす。僅か揺れる睫毛を穴が開くほど見つめ、ひと房の前髪をのけてやった。 やがて寝返りを打つ動きに腕を緩めて解放してやり、己の髪の毛を掻き回しながら床に降りる。 1LDKの狭い部屋は冷蔵庫まですぐそこだ。勝手知ったる手つきでミネラルウォーターを取り出すと二杯分注ぐ。 自分で一杯飲み干す間に起きたのか、何やら低い声に視線を向けるとベッドにて顔まで布団を被った花京院らしき塊が唸っている。 グラス片手に近づいていくと、不機嫌なトーンがぽつり。 「ありえないくらい痛い、頭が」 「あんだけ空けてりゃあな」 酒宴の名残は床と机、瓶が三本に缶は数えるのも面倒くさい。 ちゃんぽん極まれりである。 「君だって飲んだだろう!何で無事なんだ!」 「騒ぐな、水飲んでろ」 小さめのサイドテーブルを引き寄せベッド脇に置く。乗せたグラスの水滴が水溜りを作る前に起き上がった花京院は見事な一気飲みでもって 再び布団へと潜り込んだ。 「君、なんだか機嫌が良いのは気のせいか」 天岩戸よろしく出てこないかと思えば、警戒心を纏って聞いてくる。 そんなもの、数値で表すなら9を幾ら並べても足りないほどだ。 加えて、聞きたくないポーズを取りながら問うてしまっている時点で花京院には敗北しかない。 「熱烈な告白の嵐だったしな」 「ぼくは覚えてません夢です忘れました」 「誰にも渡さない、おめーだけ見てろ、好きにしろ、ってぇところか」 「要約するな!特に最後!!」 往生際悪く篭もる相手の傍らで記憶をぞんざいに読み上げたところ、抗議と共に布団が跳ねた。 勢いで顔を出した愚かさにハッとするも既に遅い。足側からベッドへ乗り上げ、逃げる身体に覆い被さる。 「動くな、頭打つぜ」 壁に髪が触れるまであと五センチ。まだ後ろへ下がろうとするのをシーツへ縫い止めるよう片腕を突く。 「シラフじゃあ言わねーのか」 「な、にを」 上からの視線に相手の喉が震える。突いた手を滑らせて髪を撫でた。 「愛してるぜ、花京院」 「ばっ…!」 瞬時に染め上がった赤は耳まで侵食し、ぱくぱくと金魚のように口を開閉する。 やがて、まったく視線を動かす気のない承太郎から逃げられもせず目が泳ぐこと幾許か。 一度唇を引き結ぶと、しっかりと見つめなおしてくる。 「承太郎」 呼ぶ音は僅か戸惑いを含んで。 「もう少し、近くに」 壊れるまま肘を曲げ、囁く距離へ顔を寄せた。 耳元でやっと紡がれた昨日と同じ言葉を受け取って、緩む頬を擦り付ける。 背中へ腕が回った感触に、満足な息を吐いた。 求められるのが、何よりも嬉しい。 |