開き直るまで如何ほどか
ほだされて流されて――承太郎からすれば観念した、ということらしいが花京院は頑なに認めない―― 了承してしまった関係に名前をつけるのを未だ決めかねている。 そろそろ契約した荷物置き場と化してきた己の住居を思い返し、現状に溜息を吐いた。 あの追い詰められた告白ののち、何かされる訳でもなく非常に平和な日常が続いている。 花京院の勤め先自体、いってしまえばスピードワゴン財団の子会社だったわけで、 長年お世話になっていてそこまで頼れませんよ、と首を振るのをそれくらいはさせてほしい、だなんて言われて頷いたのだ。 財団経由のスタンド関連の部署も勧められたが、そんなジョースター家に見つかりそうなところは勘弁願いたく辞退した。 しかし、一番見つかりたくない相手にバレてしまっては建前など消え失せる。 これ幸いと花京院へコンタクトを取ってきたのは目覚めた時から診てくれた担当職員で、是非力を貸してくださいと言われて断れるはずもなかった。 否、それこそ言い訳にすぎず、承太郎の傍へ居る分かりやすい肩書きが降ってわいたのを喜ぶ自分も確かにいた。 めでたく顔パス重要人物の一人に数え上げられた花京院は専用IDカードまで貰って複雑な気分で一杯である。 そして空条承太郎。元凶であり彼がいなければ何も始まりも終わりもしないフラグ立ちっぱなしの長編映画の主人公みたいな男の 言によれば、花京院へ娘を預けたのは罠というより信頼に基づく処置だったとのこと。 てっきり自分を逃がさない為に断りづらいネタを出してきたのかしかもよりによって実の娘とか最低だ、くらいは 本気で思っていたのだが、話を聞いて頭を抱えた。 離婚後、日本へ移住したものの、徐倫が一人で過ごす時間があまりにも多い。いっそ祖母ホリィへと預ける提案もあったのだが、 当のホリィから却下された。曰く、離婚に加えて母親にも父親にも見捨てられたと思えば彼女はいよいよ心を閉ざしてしまう。 徐倫はホリィには懐いているが、それは根本的解決にはならない。 電話口で諭された承太郎がどんな顔をしていたのかとても気になる本音はさておき、親権を持った父親の独り身生活がスタートした。 実際、スピードワゴン財団はとても優秀で、承太郎が留守の時は徐倫を見つからないようさりげなくガードしているらしい。 だが、一般人である娘にお父さんは狙われやすい人だから云々の説明は不可。よって財団スタッフ経由の家政婦が徐倫についた。 しかし、愛娘は非常に手強かった。 ――ひとりでいいから、帰って。 何度か門前払いを食らわせた徐倫は、さすがに食事に関しては妥協せざるを得ないと思ったのか 一応迎え入れるものの、必要最低限の会話しか交わさない。 結局、編み出された手段が徐倫の帰宅までに家事を終え、夕食を準備して退室する流れである。 一ヶ月を過ぎたあたりでさすがにやばいと、主に見守っているボディガードチームから進言があり ――余談だが彼らの中に既婚者で娘持ちがいたのも拍車をかけた――やはりホリィの元へ、と話が進みかけたところで花京院とエンカウントしたのだ。 承太郎も疲れていた、そこに死んだと思った相手が現れ色々とタガが外れたのだろう。 口実も打算も全てを含めて、助けを求めた先が自分だった。 思い出す彼女との初対面。 承太郎との距離を測りかね、渋々向かったアパートにてまさに帰宅中の徐倫と出くわした。 不審げな視線を受け止めて、出来る限り優しい微笑みを作り口を開く。 「はじめまして。お父さんの友人の花京院典明です」 こちらに顔を向けたまま固まった少女は大きく目を見開き、ややあって呟いた。 「友達なんていたの」 瞬間、思い切り噴き出してしまった花京院に落ち度はない、はずだ。 結局はそれが取っ掛かりとなり、ものの一時間で徐倫はあっさり受け入れてくれた。 たまたま早めの帰宅となった承太郎が現状を把握できず少しフリーズしたくらいには。 その止まった様子を見て、やっぱり親子だな、なんて思ったりしたものだ。 「承太郎は言葉が足りない、言葉が足りない、言葉が足りない」 「三乗か」 「三乗だよ」 長い回想を終了して感想を繰り出した花京院へすぐさま返事が来る。 あの日追い詰められたリビングにてくつろぐ家主様はソファに転がって本を捲っていたはずだが、いつの間にか自分を見ていた。 凭れる脇の大きなイルカのクッションが実にシュールで、いつも被っている帽子についていなければ娘のために買ったのだと納得したかもしれない。 ハンガーにかかるコートへ視線をちらり、襟元へ留められた星型のバッジは再会のときに目を引いた。 そういえば死に物狂いの追いかけっこにも種明かしがあったのも最近の話で、 どうやら承太郎は最初こそ動転して本気ダッシュをしかけていたらしいが、 途中で我に返ってスタンドを使ったんだとか。しかも時を止めるなんて反則すぎる能力を。 戦線を途中離脱した花京院は知らなかった、宿敵と同じ力。ジョセフ経由で伝わっていたメッセージを嬉しく思うと同時、 この男は誰が止めるんだと背筋が寒くなる。どうしていい話で終わらせてくれないのか。 とにかく、クッションとしてこの部屋のあちこちにも散乱する星もといヒトデ型が承太郎の好みなのは近しい者には周知の話であり、 数少ない親子の交流がそこにあった。 ――ヒトデが好きなの?星がすきなの? 幼い娘の問いに答えあぐねる父親に、差し出されたシンプルなバッジ。 スクールのバザーで見つけて買ってきた、プレゼントだった。 「子煩悩じゃないか!」 話を聞いた花京院が思わず机を叩いた衝動を分かって頂きたい。 「それだけ愛情溢れてどうしてこんなことに……」 「おい」 思わず片手で顔を覆い始める仕草に不機嫌な声が掛かる。こんなこと、へ含まれた花京院との関係の意味も正しく汲み取っての反応だ。 けれど甘やかすつもりはない、冷ややかな視線でもってねめつける。 「どうせ君、ホリィさんの件もあって家庭を巻き込むのが嫌だったんだろう。 それは仕方のないことかもしれない。しかし、だからって不安を与えたまま払拭しないなんてもってのほかだ。 守る為に傷つけていたら世話ないよ」 そもそも、活動拠点が海外から日本に戻った理由が家庭事情いわゆる離婚なのが私的すぎた。 スピードワゴン財団のジョースター家甘やかしいい加減にしろ、の呪詛を込めて空の彼方を睨んだのも致し方ないことといえよう。 杜王町の事件を解決し、ヒトデで博士号を取った彼への妻の言葉は静かだったという。 ――おめでとう、そして別れましょう。 憎むではなく諦めの入った繋がりは薄氷のように割れ、粛々と調停が進められた。 全てが終わったタイミングで地中海方面へ赴き、そこで再会だなんて出来上がりすぎである。 「てめーが偶然出てきたんだろうが」 「そこを絶対逃さないあたりが君だよね……」 いけしゃあしゃあと言ってのける相手に頭痛を覚えて額を押さえる。 まさかの間男を神回避、そんなスキルはシューティングゲームだけで十分だった。 確かに徐倫は可愛い、物凄く可愛い。正直言って承太郎の娘の時点で愛しいに決まっている。 懐いてくれたのも心底嬉しいし、このまま成長を見守っていくのもやぶさかでない。 だけど、その父親と懇意にするのはハードルが高すぎる。 そんなこんなでのらりくらりとスルーしてきた求愛は、どうせいつか落ちてくるだろうという承太郎の譲歩によってバランスを取っていた。 勿論、どこかへ逃げ出そうものなら今度こそ容赦してもらえない。それくらいはさすがに分かっている。 ただし理解と感情は別物で、花京院はここ数ヶ月で目まぐるしく変わってしまった己の環境に異を唱えたかった。 「ぼくは静かに暮らしたいんだよ!」 「そうか、おれはてめーと暮らしたいぜ」 ぐらり、と机へ突っ伏しそうになる身体をなんとか支えて意識を保つ。 こういう男なのは知っていた、今更ペースを乱されるわけにはいかない。 ソファの上から見下ろす視線はフローリングに座する自分へまっすぐと。承太郎、と呼びかけて宥めるように。 「話を聞くっていうのは流すことじゃあないんだよ。意識にちゃんと留めてキャッチボールをしてくれないかな?」 「嫌ならハッキリ言え」 「暴投!」 堪らず机を拳で叩く。若干の痛みより何より呆れが先立つ。 今度こそしっかり睨みつけると、凭れていた体勢から起き上がりソファから降りた。 「花京院」 近づきながら囁く声は真剣そのもの。瞳の色が眼差しが、諦めないと、逃がさないと伝えてきた時とフラッシュバックする。 「そ、んな顔してもダメだ」 今ならわかる。それが懇願からくる衝動で、求める強さが果てしないということを。 狡く逃げ回る花京院を離すまいと伸びる腕が手首を捕らえた。振りほどくのも迷ううち、顔が寄せられる。 「あ、こら、んっ」 開いた状態で塞がれた唇は深く合わさり、当然のように舌が入り込む。 ぬるりとした感触に驚くより早く絡め取られ、呼吸を忘れる。 吸い上げる力は段々強くなって擦り合う水音が耳を侵す。 ざらついた表面の熱さに思い出したよう息を漏らし、甘える声が抜けた。 「ふ……ぅ、」 解放された途端、後ろへ倒れかけたのを腰からぐっと支えられる。 たくましい腕に凭れるしかない花京院の手首をいとおしそうに唇で触れて、零す。 「もう通うんじゃ足りねえ」 「通ってるのぼくですけど!」 反射的に動かした自由な右手が顔面にクリーンヒットした。 拗ねた承太郎の機嫌が回復する前に愛しい姫が帰宅した為、本日の議論はお開きとなる。 |