Is it a simple mind?


花京院は無理のない距離を取るのが上手い。
無遠慮に踏み込まず、それでいてさりげなく気を掛ける細やかさがあるのだと気付くのにそう時間はかからなかった。
意味もなく群がる同級生や粋がった不良ばかり振り払ってきた承太郎にとって初めてのパターンであり、傍らへ立つことが自然となる。 宿を取れば大体が花京院と一緒で、特に相談もなく部屋を宛がわれた。仲間内でもそれが当たり前になっていたらしい。

静かに本を捲る音、聞き慣れたそれに閉じていた瞼を開ける。
眠っていた訳ではないが、久しぶりの布団の感触に少し意識が遠のいていた。
入室するなりベッドへ向かい、転がったまでは記憶がある。そこで微かに笑った気配がしたことも。 首を巡らせ視線を向ければ、やや遅れて花京院が承太郎を見る。

「起こしてしまったかな」
「いや」

身じろぎした時点で気付いていたのだろう、指はとっくに止まってページに掛かる紐が読書の中断を告げる。 起き上がり床に足を下ろす、帽子を被りなおすよう唾を持った。もう一度合わさった瞳は微笑んでいる。 大して距離のない二つのベッド、立ち上がって少し踏み出せば見下ろす位置だ。無意識に屈んで手を伸ばし垂れる前髪を指でつまむ。 細い髪の毛がさらさらと滑り、強行軍の割に保たれている質に感心した。 きょとん、と目を開いた花京院は動く指を見つめ、口元を緩める。

「こら承太郎、絡まったらどうしてくれるんだい」

ちっとも怒っていない声音で穏やかに、払いのけるでもなく笑う。
何か、スイッチの入る感覚がした。

「髪じゃなきゃいいのか」
「え」

するりと撫で上げるよう、掌を頬へ当てた。今度は故意に、相手へ触れる。
髪では得られなかった体温がじんわり伝わっていき、そのまま瞳を覗きこむ。
先程より大きく見開く瞳が何度か瞬きを繰り返し、やがて不自然に泳ぎ始めた。
そのうち、顔ごと俯いていくにあたり、問いかける。

「どうした」
「いや、この距離はさすがに照れるというか」

触れているせいで中途半端な角度の花京院は答え辛そうに言葉を紡ぐ。 接した掌は幾らか熱が増して感じられた。照明の光と自分の視覚がおかしくなければ、皮膚は僅か赤い。
親指で耳たぶを軽く擽ると肩が跳ねた。

「じょ、うたろう」
「何だ」
「離して、くれないだろうか」

薄く開いた唇から途切れ途切れ呼ぶ声に応じる。
やはり目線は外されたまま、どこか懇願めいた言い草に瞳を眇めた。

「おめーは嫌なら殴るだろ」
「っ、」

口を噤む花京院の眉が寄り、数秒ののち途方にくれたよう零す。

「君だから、困っているんだ……」
「ほう」

漏れ出る喜色に語尾が上がった。弧を描く唇で囁きかける。

「殴らねー程度には好きか」
「!!」

途端、耳まで赤くなる瞬間沸騰をしてのけた相手が往生際悪く声を震わせた。

「わ、わからない」
「その顔でわからん、だと」

何を今更、の意を込めたところ、視線が鋭く尖り数分振りに目が合う。

「ぼく自身には見えないだろう!というか何なんだ君は!唐突すぎて全くついていけないぞ!」
「そうでもねぇな」
「はい?」

睨み付け不服を唱える花京院は声を荒げるが、即座に返すと勢いを殺がれて止まる。 頬に触れていなければ首を傾げていたかもしれない。他人事みたいに思いながら言葉を続け掌でさする。

「隣に居て落ち着く、邪魔じゃねーってのは稀だ。オラ、顔あげろ」
「上げている!むしろ上げさせられている!」
「逆らうなっつってんだ」
「どんな横暴だ君は」

呆れの感情が乗り、さっきまでの緊張が霧散した。結構なことだった。
固まられては話も進まない。

「同意がなけりゃ何もできねーだろ」
「はあ?!」
「さっさと本閉じとけ、落とすぞ」

いよいよ不可解だ、と表情をゆがめる花京院へ最終通告。
瞼をゆっくり下ろし、深く溜息。続いて本も静かに閉じた。
もう一度開いた瞳はすっかり凪いでおり、ひたと見つめて一言。

「承太郎、もう少し分かりやすく言うべきことがあるはずだ」

涼やかな指摘に待たせた答えをようやく届ける。

「好きだぜ、花京院」

揺らぐ瞳の色に同意を汲み取り、ふ、と笑みが漏れた。 唇を寄せれば、触れる直前で相手の指が頬をなぞる。柔らかく溶けていく表情が理性を削り取っても仕方ない。

「ぼくも好きだよ」

吐息ごと受け取って今度こそ互いに目を閉じた。


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