幸せ迎えてまた明日


「ただいまー」

花京院は疲れていた、とてつもなく疲れていた。スタッフ総掛かりでの仕事はおよそ一週間、最後の数日など休憩という名の仮眠を申し訳程度に取ったのみ。人間、追い詰められるとハイになる事例もあるのだが、彼の場合は疲労からの饒舌テンションがほぼMAXに達した。

「いやー終わった終わった、2日ほぼ寝てないとかいっそ清々しいくらいだな、この勢いで未開封のパッケージを開けてオープニングムービーくらい見てもいいかもしれない。どうせ食欲も飛んでるし寝落ちてから考えてもいいよ。承太郎が帰ってくるまで2週間はあるし、それまでに体調整えておけばバレないバレない」

靴を脱いでリビングへ向かう間、流暢に語られた独り言。鼻唄でも歌いそうな雰囲気は視界に入った存在により一瞬にして霧散した。

「玄関からやり直すんで勘弁してくださいお願いします」

早口の謝罪と共に後ろに下がると無言でゆっくりと近付いてくる。いつの間にか距離を埋められる時止めパターンじゃないのが逆に怖い。白コートは脱いで帽子もオフ、寛いだスタイルに見える承太郎が見下ろす位置でさらりと告げた。

「靴、あっただろ」
「君、この家に何足か置いていってるじゃないか。靴箱ギリギリだから入れ換えで外に出てることもあるしそこまで頭回らないよ」

反射的に答えた内容で自身の状況を重ねて肯定してしまったことに気付く。細かいことにまで対応できないほどギリギリ限界ですよ、と言ったようなものだ。

「いや、仮眠はしたから完全なる徹夜ではありませんし、ちゃんと動ける状態で帰ってきましたし」
「ほう?」
(やばい、何を言っても墓穴だこれ)

淡々とお説教とかならまだいい、聞き流せる。しかし承太郎の場合は非難でもまかりまちがって罵倒でもなく、いかに花京院が大切かを懇切丁寧に語ってくる。拷問である。その上で更に電化製品の接続コードを悉く隠す刑が執行される。仕事用のパソコンはもちろん、夜更かしの直接原因八割だったりするゲーム機の接続端子および携帯機に至っては本体ごと奪われた。何せ、寝落ち爆睡で起きたら反省しろとばかりに部屋が綺麗になっていたのだから笑えない。テレビやビデオはもちろん無事だけれど、そこまでやられては、本当に申し訳ありませんでした気を付けますから小学生に対する罰みたいなことはやめてくださいと言うしかなくなる。
ゴゴゴゴゴ、という擬音さえ幻視できそうな威圧感に嫌な汗を掻きそうになったところで溜息一つと共にバスタオルが放られた。まともに被る、ふんわりした感触は間違いなく来客用、むしろ承太郎用の新品だった。どこに何があるか完全に把握しているあたり、なぜ一緒に住んでいないのか己でも疑問に思う。バスタオルを顔から外せば振ってくる声は呆れ混じりで。

「まずは風呂入ってこい、つっても浸かると寝るかもしれねーしシャワーだ」
「そこまで言うならいっそ見張ればいいのに」

細かい注文に呟き返すと、相手の眉尻がやおら跳ね上がり低音の威嚇。

「久々にてめーの身体見て耐えられると思ってんのか」
「ごめんなさい」

早口で謝罪し、それ以上の無駄口は叩かずに浴室へ向かった。
シャワーを浴びて全身を洗うと麻痺していた疲労が一気に押し寄せてくる。これは確かに浸かったら寝落ち待ったなしだと頷きながら扉を開けた。入る前はバスタオルだけを放り込んでいた籠へパジャマと下着が用意されている。
おそらく洗って干して取り込んだまではいいが山になった洗濯物から見繕ってくれたのだろう。放っておくと全て綺麗に畳んでくれかねない。居た堪れない。
ほかほか状態でリビングへ戻れば、承太郎が待っていたようにコップを入った水を差し出した。素直に受け取って喉を潤す。思いのほか、乾いていた。一息で飲み終えた花京院を確認して頷く承太郎。

「よし、さっさと寝ろ」
「はい」

もう抗うまい、と寝室へ向かう。一切の下心なく荷物のように運んでくれた前提があるので過保護状態の相手には逆らってはならないのだ。見送るでなく、ついてくるあたり信用がなさすぎる。
ベッドに寝転んで、シーツの感触に息を吐く。これもきっとシャワーを浴びている間に新しく交換されている。洗濯機が回っていたし、溜まった分まで処理されそうだ。
うつらうつら、眠りに沈み込みそうな視界で腕を伸ばす。傍らについた相手が指を絡めるのを確認し、なんとか口を動かした。

「君、いつ帰ってきたんだ」
「てめーが鼻歌で戻る一時間前くらいか」

しれりと答えるのに、ああやっぱりという気持ちへ加えて湧き上がる感情があるけれど、もう眠い。

「きみだってつかれてるくせ、に」

少しだけ強く、手を握られた。


***


靄がかかった意識のまま、身じろぎかけて違和感を覚える。
動かない身体に瞼だけを開けてみれば、目の前には美丈夫の寝顔。思わずぱちりと瞬いて意識が覚醒する。
確かめるまでもなくがっちりホールド、花京院を抱き込んで眠る承太郎はこの家に置きっぱなしの寝巻きを着用済みだ。
あれから何時間経ったか窺い知れないが、少なくとも回した洗濯物を干してからこの男は寝ただろう。規則正しい寝息を立てる鼻先へ指を伸ばし、ちょんと突付く。

「無防備な顔して」

皺のない眉間にも触れて、微かな吐息。
帰国の疲れよりも花京院を優先し、その上で安心しきった寝顔まで見せられては文句も出ない。でこぴんくらいしてやりたい気持ちを抑え、既に近い距離を更に擦り寄る。

「会いたかった。すごく会いたかったよ、承太郎」

素直に零れ出た音、応えるように片手が頭へ触れたのはすぐだった。
わしゃわしゃ掻き回す動きにぼーっとしていると、額に優しくキスが落ちる。
その上で抱きしめられ、寝息とも判別付かない声が漏れるのに寝ぼけていると判断した。よくもまあ的確に口付けてくれたものだが。

「昨日、言えていないな」

今まさに思い出したていで、囁き掛ける。

「お帰り、承太郎」
「おう」

答えた声の主はまだまだ眠そうで、くすくす笑う。

「やっぱり起きてたか」
「眠さが勝ったが、聞いてはいた」
「じゃあもう少しサービスしよう」

瞼の開ききらない相手を覗き込むよう、眼差しに分かりやすい意図を込めて。

「君が足りない、早く欲しい」

ホールドからマウント体勢になるまで数秒。ころん、と転がされた花京院はなおもおかしそうに笑って、両手を承太郎の首へ絡めた。
ワンラウンドで腹の虫が鳴ってお開きになるのはまた別の話である。


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