万有引力、とでも嘯く


「ちょうど十二時、か」

廊下を歩きながら時計を確認。簡単な確認だけで済んでしまったのはありがたいが、午前中で終わると手持ち無沙汰な気分になる。仕事中毒、の文字は頭からすぐに追いやって、久しぶりにゆっくり外食しようか思案を巡らす。支部の入口まで辿り着いたところで見知った姿が目に入った。

「承太郎」

白い人影が振り返るのに合わせ、少し早足。相手を見上げる位置に来てから言葉を続ける。

「引き止めてごめん」
「いや、昼だから気にすんな」

お前は?と視線で問うのにつられて笑った。

「ぼくはもう上がりでね、良かったら一緒に食べないか」

休日以外で昼を二人で食べる機会はなかなかない。僥倖に感謝して、程近い店へ足を運んだ。
ランチもやっているレストランで小一時間、舌の肥えた相手と食事すると自分も贅沢になっていく気がしてならない。    承太郎は素朴な味も好むが、それはあくまで彼の基準であって、ホリィの料理レベルから考えれば推して知るべし。ジャンクフードはそういうものとして楽しんでいる節があるから、難しいともいえた。色々あって手料理を振舞う羽目になった時は戦々恐々としたものだ。旅の途中で自炊を余儀なくされたのとは違う、日常での採点などハードルが高い。結局は杞憂で済んだ理由が花京院が作ったから、だけでないことも分かっている。一人で困らない程度だった料理の腕がめきめき上達した根本原因がコーヒーを飲みえるのを待って、店を後にする。
許される範囲でゆっくりさせてもらってなかなかに満足、気分良く歩き出そうと隣へ挨拶。

「それじゃあ午後も頑張って、」

言いかけたその瞬間、強く引っ張られる腕。気が付けば、少し離れたビルの影へ連行されている。目測でメートルを確認し、小さく溜息。

「君なあ」
「花京院、」

言葉を紡ぐ間も惜しいとばかり寄ってきた顔に瞼を閉じる。
触れた唇は柔らかく何度か食んで、最後に僅か吸い付くと離れていった。舌が入らなかっただけ我慢したほうといえよう。
名残惜しげに頬を撫でる仕草が可愛く思えて笑みが零れる。

「仕方ないな」

その手へ重ねて擦り寄ると、ぐ、と詰まる気配。おそらくかなり耐えている。煽っているつもりもないが、触れたかったので致し方あるまい。承太郎は目を細め、低く囁く息を落とす。

「帰ったら」
「うん」

またも音にならない続きを受け取って、離れた掌と引き換えに今度は相手の両頬を包み込む。自ら軽く押し付けた感触と、見開く承太郎の瞳が心躍らせる。

「待ってるよ」

反応の鈍い相手の肩を掴み反転させ、背中を押した。

「はい、今度こそ頑張っておいで」
「…おう」

一度だけ振り返り、特に文句もなく仕事に戻る承太郎は心なしか上機嫌だ。きちんと見送ってから帰路に着きながら、首を傾げる。

「あのくらいで喜ぶなんて、ぼくはそこまで自分から何もしなかっただろうか」

外でキスを仕掛けたのが初めてだという事実に花京院が気付くのは、路地の出る方向を間違えてからだった。

 ***

昼は濃い味を食べたので、夜はあっさり目でいこうと考えたのが夕方頃。煮物は保温して、魚は焼くだけ。白米が炊けた音が響く台所にて文庫本を閉じた。リビングで読んでいれば良かったのに持ち込んだおかげで読破してしまった。
中途半端な姿勢のせいで身体が固まった感じがする。立ち上がり大きく伸びをした矢先、後ろから覆い被さる体温。
そこまで気を抜いていただろうか、玄関から距離のある場所とはいえこれだけ近寄られて分からないはずもない。もしかしてまた時を止めていたらどうしようこの男、まで考えてとりあえず迎えてやることにした。

「お帰り」

ぎゅうううう、と更に強くなる力に(あ、これ止めたかもしれない。これは止めた)と疑念を深めつつ腕を下ろして好きにさせていれば息と共に吐き出した。

「花京院」

聞きなれたはずの文字数が身体を震わせる。呼ばれただけで伝わる渇望、その飢えが途方もなく花京院の胸を揺さぶった。

「お前がいい」
「問い掛けもすっ飛ばしてきたか」

なおも畳み掛ける直球に軽口が零れる。右肩へ乗せられた額が甘えるよう擦りつく。その頭を撫でるよう、優しく髪に触れながら笑う。

「そんな分かりきったこと聞いてやらないが」

指で突付けば、緩慢な動作で顔が覗いた。顎を掬い上げ、微笑みかける。

「待ちわびたよ、承太郎」

自分だけが、なんて思ってるのだとしたら分からせてやらねば気がすまない。


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