愛着理論など今更の


眠い、とてつもなく眠い。
玄関の鍵を開けたところまでは覚えているが、どうやって寝室まで歩いてきたかも曖昧だ。
手癖で閉めた鍵の感触はギリギリ記憶にあるからセキュリティ大解放ということはないだろう。
とにかくこの睡眠欲を満たす為にベッドへ身を投げてしまいたい。
ふらつく足で踏み入れた部屋、二つ並んだそれの向かって左側、シングルサイズ、にしては大きい寝具。 右にあるのはキングサイズの特注も特注、何せ195センチが余裕をもって寝転がるのだからそりゃあ大きいに決まっている。 同居開始前からどうでもいい争いを生んだのが実はこのベッド。ひとつで十分だとのたまう承太郎に断固反対の意を唱えたのは勿論ぼくだ。
お互いの生活スタイルだってあるし、正直な気持ちとして夏は一人で寝たい。 しかしそこで強気な主張を続けると承太郎も引かない恐れがある。 彼は「一緒に寝たくて何が悪い」みたいなことを真顔で照れもなく言う男なのだ。勘弁して欲しい。
あまりに埒が明かないため、その場の思いつきで、

「君がいないとき、広すぎるベッドは寂しいじゃないか……」

とか適当に言ったら何の琴線に触れたか分からないがシングルベッドをゲットした。
承太郎はもう少しぼくを疑うことを覚えた方がいい。
回想のうちに進む足が、おざなりに下ろした荷物を蹴る。ベッドに行く途中で左手に何かが引っかかった。 倒れ込みながら確かめると白い布、むしろコート。そうだ、これは承太郎の白いコートだ。 クリーニング以前に汚した時点で終了としか思えない物体の扱いが彼はとても雑だった。
また脱ぎ捨てたな全く数着持ってるとかいうことじゃないんだぞ。
きちんとハンガーやコート掛けに直さなければ、だの考える途中で意識が途切れた。


温かな感触が、柔らかく柔らかく頭を撫でる。
うすぼんやりした視界で瞬いて、まだ残る眠さに再び下りていく瞼。
抱えた布団へ口元を埋め、呼吸したところで前髪が軽く掻き回された。
反射的に目を開く。覗き込むのは当然、承太郎だった。

「おはよう。君が帰る時間なのか」

最後に見た時計が7時だったから短く見積もっても3時間はかたい。
そのまま朝までコースの可能性もあったぼくを起こしてくれた本人様は、何故か反応が薄い。
無表情に見えるのはいつものことだが、ただいまくらいは言うはずだ。
自分が注視されていると気付くまで、寝起きの頭では数秒掛かった。

「抱き締めるなら本体にしてほしいがな」
「?!」

そこでようやく、大事に抱え込んでいるのが寝落ち間際に引っ掴んだコートだと分かった訳で。
道理で布団にしてはとか思わないこともなかったけど眠さに負けたというか、それよりも 無意識に吸い込んだのは、そしてそれを見られていた成る程消えたい。

「何か言うことはあるか」
「クリーニング代はぼくが出します……」

皺くちゃどころじゃない惨状から目を背けるようシーツへ伏せると、楽しげな声が振って来る。

「やはりベッドはひとつでいいな?」
「喧嘩するかもしれないじゃないか!」

ヤケクソ極まって反抗すると、承太郎が思い切り噴き出した。
ぶっは、じゃないよ君。こら、くつくつ笑うなそこの色男。それも様になるとか許し難い。
コートを抱いたまま反転し、背中を向けると思い出したように呼ばれた。

「花京院」
「コートは我侭も嫌味も言わないからね!」
「キスしてくれねーぜ?」
「ぼくは眠い」

ふてくされて言い放つ返答は想定外に低くなる。
呆れではない息を吐いた承太郎がぽんぽんと頭へ触れて。

「服のままじゃ休まんねーだろ、着替えな」

立ち上がる気配がしたのをハイエロファントグリーンで捕まえた。
身を起こしてベッドから降り、顔も見ず腕を掴んでぐいぐい引っ張る。
大人しくついてくる相手ごと、キングベッドへ沈み込む。 抱き合うような形でごろごろと、視線の合う承太郎はぽかんとしており、ほんの少し溜飲が下がった。

「君が脱がせてくれるんだろ」

言葉で示せば、塗り変わっていく彼の表情。

「……そうだな」

嬉しそうに細まる瞳とその声音。それだけで満たされるのも本当は悔しい。
ああなんていとしくて、ずるいのか。


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