Good night my precious


悩みに悩んだ、しかしどう思考を巡らせてもこの状況はいかんともしがたかった。
疲れた息を吐き出して呟く。

「重いよ……承太郎」

物理的に。

そう、まさに今、ぼくの上に覆い被さる形で寝こけてくれているのは全長195センチメートルの大男である。
事の起こりは少し前、ソファでごろごろと寛ぐリビングへ足を踏み入れた相手は無言だった。

「わ、びっくりした。おかえり」

広い家の欠点か、玄関が遠いと鍵を開けて入ってきても気付かないことが時たまあった。
戦闘でもないのだから気を張っている訳ではないし、それはいい。
肘掛けに頭を置き、文庫本を見上げるぼくの間近までヌシヌシ近付いた承太郎はそのまま無言で乗り上げてきた。 大きめとはいっても長身の成人男性二人が寝転がるには少々厳しい。
帽子の影で見えなかった表情が分かりやすくなってきたあたりで予想が確信に変わる。
完全なる真顔だが、これは眠いのが九割だ。
胸元に頭が埋まるのを受けとめ、片腕を伸ばして文庫を近くの机へ避難させた。
もぞもぞと微妙に擦り寄る動きに合わせてずれた帽子は奪い取り、頭を撫でて甘えに応じる。

「はーいはいはい」

それが引き金か後押しか、程なくして承太郎は完全に眠りに落ちた。
穏やかな寝息は何よりであるし、ノーガードをさらけ出されるのも実に嬉しい。
だがこれは重い。半端なく重い。そりゃこの図体なんだから重いに決まってるんだが、 こうして実感するとは予想しなかった。 ぼくだってそこそこの力は持ち合わせているし、ハイエロファントグリーンもいるから押しのけられないことはないけど、 すやすや眠る相手にそれはどうかと悩み始めてそろそろ数分がすぎた。自分でも甘すぎると思う。 同時に普段からとても大事にされていることが分かってしまった。圧し掛かったとして押さえつけたりはしないもんな。 全く重くなかったわけじゃないが、身体的に辛く感じた覚えはほぼない。やめよう反芻すると恥ずかしくなってくる。

――あーあ。まったく、こんな無防備な寝顔してくれちゃって。

十年以上の時間経過は確かにあるはずなのに、眠る相手は高校生の頃と相違なく思える。
顔つきは大人びて、立場だって責任だって昔とはまったく別だ。
それでも変わらないと感じるのは、有体にいって特権というやつなのだろう。
羞恥および身体に限界を覚え、ハイエロファントグリーンで承太郎を支えつつそっと抜け出した。
割とだるい、そして肘掛けへ中途半端に持たれ続けた首も痛い。これはそのままいたら危なかった。
視線を向けると、うつ伏せから仰向けに態勢を変えさせた相手の腕が何かを探すようにゆっくり動く。
ちなみに先ほどまで片腕が若干腰へ巻かれていた、なんて事実がある。

もしかしてぼくですかー!

頭を抱えたくなった瞬間、聞こえてきた駄目押しの寝言。

「花京院……」

――呼ばなくていいです!!

意識のない本人の前で顔を覆った。
熱い頬に消えたくなることしばし、そろそろと指の間から相手を見やり、深く息を吐く。 まだ若干彷徨い気味の手を取り、きゅっと握る。途端、眉間の皺が消えたのを確かめて、そこへ柔らかくキスを落とした。

「お疲れ様」

ようやく力の抜けた身体から手を離し、洗濯したばかりのシーツを取ってきてふわりと掛ける。
落ちない位置で寝入ってくれたことに安心して、机上の文庫本を拾った。


***


読み終わったと同時に喉の渇きを覚え、台所へ。
コーヒーの気分だがブラックよりカフェオレが欲しくて牛乳を手に取る。
扉を閉めて振り返れば、最低限の明かりの中、ぬぼっと立つ巨体が近くに居た。なんというデジャヴ。 コートがないぶん、そしてベストも脱いだおかげで黒のインナーによるいかつさが増しており、正直慣れてるぼくでも怖い。

「起きたのか」

水でも飲むかい?と聞こうとしたら、突如伸びてくる腕に捕まった。抱き締めようとする勢いに逆らいつつ、必死に主張する。

「ちょっと待て、待ってくれ。せめて牛乳は戻したい」

離してはくれなかったが力を緩めてはもらえたので、注ぐまでいかなかった紙パックを冷蔵庫へ何とかしまう。 手ぶらになってすぐ抱き寄せられるのを抵抗する気にはならなかった。
体温を確認するかのような抱擁から数秒、ぽつりと落ちる声。

「何でいねーんだ」
「え」

思考が追いつかず止まる。
反応がお気に召さず、耳元で急降下する機嫌とバリトンボイス。

「てめえ、離れてんじゃねーぞ」
「ご、ごめん」

反射的に謝ったものの、無言でぎゅうぎゅうと抱きすくめられる。少し痛い。

「悪かった、悪かったよ」

後頭部へ手のひらを当てて緩やかに撫でる。
痛いほどの力ではなくなったが、やはり拘束は解いてくれない。

「もしかしなくても、君まだ眠いな?」

寝惚けの延長だったことに思い至り、肩へ鼻先を埋める相手を宥めにかかる。
ここで寝るなよ頼むから。
視線の先には壁掛け時計、示す時刻は22時40分。 少し早いけどまあいいか。
本日最大の甘やかしは、利子をつけて後日回収しよう。
承太郎、と名前を呼んで、大好きな緑の瞳を覗きこむ。

「ぼくも今日は寝るから、ベッドにいこう?」

囁きかけ、大きな子供の背中を軽く叩いた。


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